第4局 さすまたで「ヤー-ッ‼」

(ピンポ~ン!)


 鍵無しっ子の俺は、桃花の中学校の校門前でインターホンを押した。

 最近の学校は、登下校時以外は門を閉め切っているので、


「あの~、お世話になっております。2年生の飛龍桃花の保護者代わりの者なんですが」


『はい……どういった御用でしょうか?』


 インターホンで応対してくれてるのは、おそらく学校事務員の人か、あるいは授業の無い教諭なのだろうか?


何だか随分と素っ気ない……というか警戒レベルが高い対応だ。


「飛龍桃花をこちらに呼び出していただけないでしょうか? ちょっと家のカギを忘れてしまったので、桃花が持ってる合い鍵を」



(ブツッ!)



 あれ? インターホンが切れた。


 間違えて向こうで切っちゃったのかな?

 いぶかしく思いつつ、俺はインターホンを再度押す。


 しかし、何度押しても、相手からの応答がない。


 何だろう、インターホンが壊れたのかな?

 それとも、桃花を呼びに行ってくれたのか?


 俺は大人しく門の前に待つことにする。

 学校のグラウンドには人影も無く、静かな物だった。


 今は授業中の時間か。


 となると、流石に桃花を呼び出すことは出来ないな。

 上手い事、授業の合間の休み時間に合い鍵を預かってもらうことは出来ないかしら?


 そんな事を考えながらボーッと校門の前で佇んでいると、


「こんにちはー。どうされましたー?」


 気付くと校門の向こう側から学校の先生と思しき人が立っていた。



「あ、すいません。御足労いただきまして。いつもお世話に……」



 いつもお世話になっておりますと言おうとして、俺は途中で声が出ずに思わず絶句してしまう。


 俺に声掛けをしてきたのは若い、俺とそんなに歳が変わらないであろう女性教師だった。

 若くて歳も近いので、生徒たちにも人気がありそうだ。


 そんな、若手女性教師の手には、ゴッツイさすまたが握られていた。


 え、なにこれ?

 学校の付近で熊でも出たの?


「あ、あの……わたし、この学校でお世話になっている2年生の飛龍桃花の保護者代わりの者です。それで……」



「お帰り下さい」



 門の向こうにいる若手女教師が口元に笑みをたたえつつ、しかし全然笑っていない目で、キッパリと言い切った。


「は、はい?」


 俺は一瞬、何を言われているのか解らなかった。

 用件もろくに聞かずに、まさかの門前払いってどういうことだ⁉


「今日はこの手の輩が既に何人も来ているんですよ。まったく……」


 汚物を見るような目で俺を見る女教師の目は、ビックリするほど冷徹な物だった。


 これは……もしかしなくてもだが、桃花の厄介なファンや不審者と思われてるのか⁉


「いやいや違います! 私、稲田と申します。正真正銘、桃花の保護者代わりの者で」

「飛龍さんと苗字が全然違いますね。親戚の方なんですか? それを証明できる物はお持ちで?」


「あ、身分証とかは今持ってなくて……」


 ランニングに出るだけのつもりだったので、運転免許証の入った財布は持って出ていなかったのだ。


「ふ~ん……」


 俺の歯切れの悪い回答に、疑念をより深めたという顔で、女教師はまるで、子熊を連れた母熊のように警戒感をあらわにする。


「そもそも私は親戚という訳では無くてですね……将棋の師匠でして」


「はは~ん。大方、飛龍さんが小さな子供の頃に、将棋を指した近所のおじさんって所ですか? まったく……それで有名になった途端にすり寄ろうと来たわけですね」


 何言ってんだ、この女教師は!


 それに、俺の事を、おじ……おじさん⁉

 俺、アナタとおそらく、そんなに歳は変わらないと思うんですが!


「もう、いいから桃花を呼んでください! それで話は済みますから!」


 俺は少々苛立ちながら、正門の門扉を掴んで、無礼な女教師に訴えかける。



「こんにちはー、どうされましたかー?」



 背後から突如、柔らかい口調ながら野太い声が響いた。


 目の前にいる女教師では埒が明かないと思っていた所で、ようやく話のわかる

他の教師が来てくれたのかと、俺は少々安堵しながら振り向いた。


 振り向くと、そこには


「警察です。お兄さん、ちょっと話を聞かせてもらえますか?」


 バッチリ制服と制帽を被った、2人の男性警察官が立っていた。



 あの女……!


 警察呼びやがったのか!


 俺は、慌てて正門にいる、クソ女教師の方を見る。

 クソ女教師はさすまたを手に、勝ち誇ったような顔でふんぞり返っている。


「違うんです! 私は!」

「はいはい。ここでお話すると生徒さんたちが不安になるから、署の方へ行きましょうか~」


 職務質問というか任意同行を促す警察官に、俺は青い顔で弁明をしようとするが、警察官2人はにこやかに俺の両端にさりげなく位置取りして俺の動きを封じてくる。


 背後は、学校の校門がピシャリと閉められていて、あのクソ女教師がふんぞり返っている。


 そして両端は警察官に抑えられた。


 『玉は包むように寄せよ』は将棋の有名な格言だが、まさに俺には警察署に連行される道しか残されていなかった。


 これは万事休すかと思って絶望していると、




「何やってるんですか師匠……」




 振り向くと、そこには桃花が正門の前に半笑いで立っていた。




◇◇◇◆◇◇◇




「「本当~に、申し訳ありませんでした!」」


 校長室の応接ソファで、俺は校長先生と先ほどのクソ女教師から深々と頭を下げられていた。


 あの後、桃花が俺の事を本当の師匠だと説明してくれたので、警察の人は事件性なしということで帰り、俺はその後、校内に無事に招かれたのであった。


「いいですよ別に……解ってもらえましたから。確かに、こちらも不審人物だったのは確かなので」


 大の大人からの謝罪に居心地悪く感じた俺は、少々ぶっきら棒ながら謝罪を受け入れる旨を返す。


「本当に申し訳ありませんでした。岩佐 いわさ先生は若手でパワフルな先生で、生徒にも人気があるんですが、少し猪突猛進な所がありまして……」


「申し訳ありません……飛龍さんの生徒情報資料の備考欄に、保護者以外の身元引受人の記載があるのを見落としてました。クラス担任教諭としての不手際です。申し訳ありません……」


 俺を不審者扱いして女教師が、小柄な身体を震わせながら謝罪を繰り返す。


「え、貴女が桃花のクラス担任の先生なんですか?」

「はい。岩佐 いわさ鈴香 すずかと申します」


「そうなんですか……」


 クソ女教師とか、心の中で悪態をついちゃってたけど、日頃、桃花がお世話になってる先生だったのか。


「あの……あんな事をしでかしてしまった私のような者が飛龍さんの担任で不安かと思いますが……」


「ああ、いやそんな事は。先ほどの件も、しっかりと桃花のことを護ろうという気持ちが強かったが故の事だったと思うので、どうかお気になさらず」


 流石に、桃花のクラス担任の先生との関係が悪化してしまうのはよろしくない。

 相手方も深く謝罪してくれてる事だし、ここは大人らしく謝罪を受け入れよう。


 実際、俺もランニングの格好でろくに自分の説明が出来ていなかったので、こちらにも落ち度がある。


「謝罪を受け入れていただき、ありがとうございます。しかし、稲田先生はお若いのにお師匠さんなんですね」


 校長が汗をふきふき、一先ず今回の件が落着しそうだと安堵しつつ、俺に雑談を振ってくる。


 まぁ、将棋の師匠というワードを聞くと、多くの人は中年から壮年の和服の似合う貫禄ある人物を想像するだろうしな。


 対して、今の俺はランニングする恰好な訳で、師匠というイメージなんて見た目からは想起されないだろう。


「将棋界でも、私の歳で弟子を取ってる者は珍しいですね」

「という事は、稲田先生は優秀な棋士の先生なんですな。失礼ですが、歳はおいくつなのですか?」


「歳は25歳になります」


「ほぉ~! その若さで師匠に、それも将来を嘱望される飛龍さんのような弟子を任されるとは凄いですね」


「いえ、桃花が弟子に来たのは、たまたま同郷のプロ棋士だったと言うだけですよ」


 今後も良好な関係を保ちたいという校長の意図があるのか、校長は俺を、ややオーバー気味に持ち上げてくる。


 こういうおべんちゃらを受けるのは、内心では落ち着かないのだが、そうすることで円滑な関係になったという儀式に付き合うためにも、俺は大人しく校長の太鼓持ちを拒否せずに付き合った。


「ウソ……年下……」


 岩佐先生……驚きで、つい声に出ちゃってますよ。

 不審者扱いのことは許したけど、俺をオジサン呼ばわりしたのは許してないですからね。



(キーンコーン♪ カーンコーン♪)



 そうこうしていると、授業終わりのチャイムが鳴った。

 すると間もなく、ドタドタとやかましい音が校長室のドアの向こうの廊下から響いて来る。


「師匠、お待たせしました」

「桃花、廊下は走るなよ」


 ノックもせずに校長室に飛び込んできた桃花を、俺は、師匠なのに学校の先生のような注意をする。


「すいません師匠」

「あれ? 桃花、なんで通学カバン持ってコートも着てるんだ?」


「今日は卒業式準備で午前授業なんです」

「そうだったのか⁉ じゃあ、大人しく待ってりゃ、午後には家に帰れてたのか……」


 失礼な女教師に不審者扱いされたり、警察に連れて行かれそうになったのは、全て徒労だったということだ。


「飛龍さん、ゴメンなさいね。私、あなたのお師匠さんに失礼を……」

「鈴ちゃん先生は悪くないですよ。悪いのは、家の鍵を忘れて、中学校にこんな格好で来た師匠のせいですから」


 登場早々、桃花が核心を容赦なくぶった切ってきた。

 いや、確かに俺が怪しかったというのはそうなんだけど……


「おま! 先生たちの前なんだから、そうハッキリと言うなよ」

「教室の窓からバッチリ一部始終が見えてましたよ」


「マジでか⁉」


 たしかに、グラウンドを挟んで距離はそこそこあるが、教室のある校舎から正門までの視界は開けている。


 そんな場所で、さすまたを持った教師と怪しいランニングウェアの男が対峙していて、極めつけには警察まで来ちゃった日には、教室内は授業どころではなかっただろう。


 そんな注目の視線が刺さる中で、桃花は俺を助けに来てくれたのか。

 恥ずかしかったろうに、悪いことしたな……


 俺は本当に良い弟子を持ったな。


「あ、鈴ちゃん先生。帰りのホームルームは教頭先生がやってくれましたよ。その時に、私の方で、さっきの不審者は私の彼氏なので大丈夫ですって、みんなに言っておきましたから」



「「彼氏ぃぃ⁉」」



 前言撤回。

 やっぱりこの弟子、ダメだわ。


 と、俺とシンクロして素っ頓狂な声を上げた鈴ちゃん先生の、俺を汚物を見るような視線を見咎めつつ、俺は天を仰いだ。

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