第2局 将棋界を救えるのは俺だけなんだ!

「いや~、桃花ちゃんがやってくれたね。夕方の全国ニュースでも、取り上げられてるよ。ほら見てよ、稲田くん」


 あの後、桃花のインタビューの後に、俺は連盟の応接室に連れ込まれていた。


「北(きた)野(の)会長、今日は関西の会館にいらしたんですね。リーグ最終日でもないのに」

「今日で決めるだろうなって予感があったんだよ」


 応接室に設置されたテレビを、俺と、北(きた)野(の)明(あきら) 将棋連盟会長とソファに座りながら観る。


 19時のニュース番組で、先ほどの桃花のインタビューの映像が流れる。

 カメラのフラッシュがまばゆく光る。


「早く対局が終わって、夕方のニュースに間に合ったからな。ありがてぇ話よ」

「今日のあの子は早指しでしたからね」


 三段リーグは、若者たちが文字通りしのぎを削る場で、勝利のためには何だってするという玄人さや狡猾さを兼ね備えた者も多いが、やはり相手も若さが出たか。


 相手が自分よりずっと年下の女子中学生で、ノータイムで指されて対抗意識が無意識に湧いて、つい早指しで応戦してしまい自滅したといった所だろう。


「これから忙しくなるぞ~」

「会長は元気ですね」


 ウシシと笑う北野会長は、まんま悪人顔だ。


「なんだよ稲田くんは、元気ないな~。師匠なんだから、もっと喜べよ」


 上機嫌な北野会長が、バンバンと俺の背中を叩いて来る。


「痛いです、会長」


 俺は、ため息まじりに肩を揺らして、北野会長の手を鬱陶しく振り払う。

 ガサツなオッサンだが、これでも桃花と同じく、史上4人目の中学生棋士だ。


 今は、メガネに強面スキンヘッドのがっしりとした体つきで、将棋連盟の会長というよりは、マフィアのボスっぽいが。


「本当、頼むよ稲田くん。桃花ちゃんは棋界の宝なんだから。あ、あと……」

「なんです?」


「スキャンダルとか止めてね。マジで」


 先ほどまでの豪(ごう)放(ほう)磊(らい)落(らく)さとは打って変わって、急に北野会長が真顔で俺を見つめる。


 緩急つきすぎて怖いわ!


「……悪い虫がつかないように注視します」

「頼むね稲田く~ん。さて、そろそろ記者たちのインタビューに答えてくるかな。これ、今日のために新調したダブルのスーツなんだけど、どうかな?」


「いいんじゃないですか? どこぞの組織のボスみたいで似合ってますよ」

「まぁボスである事は代わりねぇな。じゃあ、行ってくるね~」


 俺が顔を引きつらせながら応諾の返答をすると、また、百面相よろしく好々爺モードに戻った北野会長が、ルンルン気分で応接室を出ていく。


「はぁ……」


 桃花に悪い虫がつくね……


 もし、桃花が年頃の女子中学生よろしく一般的な恋愛に耽ってくれるなら、いっそ、その方が良いと俺は思っている。


 それは、別に桃花からの好意を迷惑に思っているからとかではない。


 俺は、将棋の師匠として、どうしても桃花の好意を受け取る訳にはいかない理由があるのだ。


 それは……


「あ~、疲れましたよ~ 師匠~」


 北野会長と入れ違いに、また騒がしいのが応接室に入って来たので、俺の黙考は中断された。


「お疲れ。そして、四段昇段おめでとう桃花」

「ありがとうございます師匠。って、何かお祝いの言葉、あっさりし過ぎてませんか?」


 ソファにだらしなく腹ばいに寝そべった桃花が、顔だけこちらに向けて不服そうに頬を膨らませる。


「四段なんて、桃花にとっては通過点だろ?」

「え、という事はゴールの名人になった暁には、積年の約束が」


「寝転がってると制服がシワになるぞ」

「そうやって、すぐ誤魔化す。相変わらず私を子供扱いして……」


「まぁ、桃花もプロ棋士になるんだから、もう一人前扱いをしなきゃだな」

「そうですよ、師匠……もう私、負けるたびに盤の前で泣きじゃくる子供じゃないんですよ」


 桃花はソファから上半身を上げ起こして、見返り美人がよろしく、こちらに熱っぽい視線を送る。


「そういうのは、自分で自分の世話が出来てから言うんだな。今着てる、桃花の制服にアイロンかけてるのは誰だと思ってるんだ?」


「う……師匠です……」


 ちょっと大人げない反撃かもしれないが、まだ桃花には子供でいて欲しいと思っている。

 これは、師匠としての俺のエゴなのかもしれないが。


「ほら、会長がマスコミの人たちを引き付けてくれてる間に、会館の裏口から抜け出て家に帰るぞ」


「はい! 師匠」


 先ほどまで、疲れて寝そべっていたソファからピョコンッ! と跳ねるように、桃花は立ち上がった。


(普段は素直に師匠の俺の言う事をよく聞くのに、なんで将棋のことになると聞かん坊になっちゃうのか……)


 俺は心の中でボヤキながら、応接室の隅に集められた大量の花束が入った袋を、いくつも持ち上げながら、関西将棋会館の応接室を後にした。




◇◇◇◆◇◇◇




「ただいま~ あ~、我が家はやっぱりいいな~ 師匠、何かオヤツありませんか~?」


「冷蔵庫に手作りプリンが冷やしてある。今朝、出がけに冷やし始めたから、ちょうどいい具合だろ」

「わ~い、私の大好きな奴だ。ん~、カラメルがほろ苦くて私好み~ ありがと師匠~」


 制服から、部屋着のパーカーに着替えた桃花が、慣れた手つきで俺の家の冷蔵庫を開けてスプーンを食器棚の引き出しから取り出して、ソファに座って食べだした。


「食べる時はダイニングテーブルで。ソファで食べるなっていつも言ってるだろ」

「は~い」


 俺の注意を聞いて、桃花はスプーンを咥えたままリビングテーブルへ移動しつつ、リモコンを手に取りテレビをつける。


「あ! ねぇ、師匠! ちょうど私のことニュースでやってるよ! 一緒に観よ」


 桃花に誘われて、俺もプリンを冷蔵庫から取り出して、桃花の対面のダイニングテーブルの椅子に座ってテレビのニュースを観る。


 まばゆいカメラのフラッシュが浴びせかけられる中、桃花が微笑みを口元に讃えながらにこやかに記者の問いかけや、ポージングリクエストに応対している。


「ねぇ、師匠。今、どんな気分?」

「……どんな、とは? っていうか距離が近い」


 いつの間にか、対面に座っていた桃花が俺の横の椅子に移動してきていた。

 椅子はピッタリと、俺の横に引っ付けられている。


「こっちの椅子の方がテレビ観やすいんですもん。それより、テレビの中の人が今、自分のすぐ目の前にいるんだよ~?」


 悪戯っぽく笑いながら、桃花が俺のシャツの袖をつかむ。


 桃花が俺の答えを期待したように、顔を覗き込んでくる。


 そうすると、目の前にいる屈託のない笑顔の桃花と、テレビでインタビューを微笑みをたたえた楚々とした表情で応じる桃花の顔が一緒の視界に入る。


 同じ女の子なのに、見せる相手によってその印象はまるで違う。


 今、目の前にいるのは、俺の前でだけ晒してくれる無防備な桃花な訳で……


「ちょっと師匠相手に調子に乗り過ぎだぞ桃花」

「家の中でも師匠と弟子の関係じゃ息が詰まるから、プライベート空間ではフランクにって言ったのは師匠でしょ~?」


 口をすべらせる前に、俺は師匠の立場を持ち出して、話題転換をする。


 棋界でも最近は、師匠と弟子の関係は一昔前と変わってきている。

 それこそ、弟子が師匠の家に住み込む徒弟制なんて、今のご時世はほとんどない訳だが、じゃあ、何故、桃花が俺の家にいるのかと言うと。


「プリン食べたんだから、ちゃんと歯磨きしてから寝るんだぞ桃花」

「は~い……あ! 私、まだホームシックで独りの夜って怖いの……師匠、私が寝るまでベッドの横で一緒に」


「お休み」


 俺は玄関から桃花を押しやり、マンションの隣の部屋の扉を開けて、バタンと閉めた。


 桃花が俺のマンションの隣の部屋に引っ越してきたのは、ちょうど年が変わった1月だった。


 桃花の実家は田舎で電車の本数が本当に少ないので、プロ棋士になったのなら都市部に引っ越してくるのは無論ありだ。


 だが、何故、プロになれるかの瀬戸際の奨励会三段リーグの真っ最中という大事な時期に引っ越しや転校をしたのか?


そして、何故に俺の隣の部屋なのか⁉


『え? だって四段昇段が正式に決まる3月じゃ、ちょうど引っ越しシーズンで、師匠の隣の部屋が獲られちゃうから』


 俺が、最初に桃花に隣の部屋に引っ越してくると知った時に驚いて訊ねると、

 さも、『当然でしょ?』 という風に桃花は答えた。


 どうやら、桃花はあの地獄の三段リーグでの己の勝ち星の数より、俺の隣の部屋を獲られることの方が、気が気でなかったようだ。


「天才の考えることは本当に解らん……」


 俺は、そうボヤキながら床についた。


 本来なら、弟子がプロになったという師匠としての幸せを噛み締めながら寝るのだろうが、俺の場合はちょっと事情があって素直に喜べなかった。



『名人になったら結婚してね師匠。あ、師匠のお嫁さんになったら棋士は引退するから』



 これが、俺が桃花の好意に応えてあげる訳にはいかない、最大の理由だ。


 この際、民法やら刑法といった法律の問題はとりあえず抜きにして、俺が桃花と結婚することは、百歩譲ってOKだとしよう。


 あくまで……あくまで仮の話でね。


 それで、桃花が名人になって俺と結婚したら、当代の名人が即引退するという事になる。


そんな事は、絶対に許されない!

 そんなことをしたら棋界は大混乱に陥る!


 強面の北野会長が俺に激怒する姿が目に浮かぶ。

 桃花が引退したら、バッシングを受けるのは、そのまま棋界に残る俺なのだ。


 この点については、幾度も桃花に言い含めて軌道修正しようと試みた。


「名人になっても引退はしないでくれ」と。

「本当に名人になったら、約束は守るから!」とまで言った。


 それでも、桃花は頑として首を縦に振らなかった。


 こと、将棋に関しては頑固な我が弟子は、こうと決めたら曲げない意志の強さがあることを知っている俺は、途方に暮れている。


 中学生でプロ棋士となり、桃花の名人位戴冠への道がいよいよ実現性を帯びてきた今、俺は師匠として……否、1人の棋士として、ある決意を固めた。



「棋界のために、何としても、我が弟子が名人になることを阻止しなければ!」



 俺は後年、インタビューで人生のターニングポイントはいつだったかと問われた時に、


『弟子の桃花がプロ棋士になることを決めた日です』


 と答えることになる訳だが、そんなことを、布団の中で悶々として過ごす今の俺は知る由も無かったのであった。

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