第8話 再訪 その弐
出発は子供たちが夏休みに入ってすぐの7月末。徳島へはフェリーで渡り、お遍路道以外の場所への移動は車を使う。3泊4日の予定で、そのうち2泊はお遍路道の途中でのキャンプと、あの旅館での泊まりになる予定。
子供たちに旅行のことを話したらキャンプをしたそうだったので、もしあの旅館が営業していないと分かったとしても、キャンプはしょうと言うことになった。
子供たちは動きやす服装に運動靴。雨に備えてレインウエアだけはそれぞれに合わせて3人分購入。キャンプは1泊だけだし、お茶堂に泊まるつもりなのでテントは不要なのだが、万一の場合に備え、テントも持ち物に加えた。食料は現地調達するとして、簡単な調理道具を一式。一番嵩張るのは寝袋だ。キャンプに不要な着替え等の荷物は車に残す。無事にお遍路道の向こう側の村にたどり着けたら、電車で車を置いた場所まで戻ってくる。
荷物は基本的には千里と千鶴と千歳の3人で背負えるように分配するが、千尋が自分で歩けそうなところでは、慎吾も荷物を分担する。
まずは例の旅館の情報収集のため、村で聞き込み調査をする。そこでおかしな話を聞いた。
「鬼頭にはずっと前から誰も住んどらんし、もちろん旅館なんてない」
「確かに昔は村があって、温泉宿も何件かあったと聞いたことはある。でも、ずいぶん昔の話や」
誰に尋ねても同じ様な答えが返ってくる。
「とにかく行ってみよう」
私たちはそう決心した。
出発する準備を整え、車は札所の駐車場に停めさせてもらってロックする。
渓流に沿って続くお遍路道は、13年前とまったく変わっていないように見える。渓流を流れる水は相変わらず澄んでいるし、あちこちで山から湧き出た小さな水の流れが渓流に注いでいるところも同じだ。
みんなの水筒に水を補給する。今夜の目的地のお茶堂までは緩い上りの傾斜が続くものの山越えはないから、子供の足でも歩けるだろう。千尋もがんばって歩いている。
途中でお昼休憩をとる。お昼のメニューは、村で買った食パンにハムとトマト、きゅうりを乗せた即席サンドイッチ。ポケットコンロで温めたお湯でインスタントのスープを淹れる。初めてのキャンプのお昼ご飯に子供たちも楽しそうだ。
13年前、慎吾と2人で子宝祈願で訪れたときには、子供たちを連れて家族でまたここに来ることになるなんて想像もしていなかった。
そう思うと、今目の前で3人の子供たちがはしゃいでいる様子が、ことさらに愛おしく思える。
お昼を食べ終えると千尋は眠くなってしまったらしい。慎吾が背負子に座らせて落ちないようにベルトで固定して背負うことになった。慎吾の背負子に乗っていた荷物は、他の3人が分担して背負う。
お茶堂は13年前と同じ様子でそこにあった。
夜、天空の月が輝きを増し、誰もいない草原を白々と照らし出す。かつての村の跡にぽつんと建つお茶堂から、今夜ばかりは子供たちのにぎやかな笑い声が周囲の山々に響いていた。
翌日は山越えなので、慎吾は登りにかかったところから千尋を背負った。千尋は自分で歩くと言い張ったが、千尋の速度に合わせていたら今日中に山を越えた向こう側まで下りられないのだ。ちょっとかわいそうかと思ったが無理やり背負子に縛り付けた。
千尋の機嫌をとるために、千鶴と千歳が慎吾の後ろを歩いて千尋の相手をしてくれている。今は3人で『尻取り』をしている。
尾根筋に着いたところでお昼にする。フランスパンのスライスに子供たちの好きなココナッツバターを塗ったものに干しレーズンを乗せる。
下りになると、ゆらゆら揺られて千尋は背負子に背負られたまま眠ってしまった。
この先にあの宿はあるんだろうか。もしなかったとしても今夜はあの宿があったあたりで野宿することになるだろう。
日が傾いて山間の道には影がさし、向かいの山の山頂付近にだけ残光が照らす時刻になったとき、私たちはようやく山を下りきって村の入口に差しかかった。
「あった!」
私は思わず声を出した。道神様の社。13年前と同じだ。全然古くなっているようには思えない。地元の人たちがきちんと維持しているのが分かる。
一足遅れて千尋をおぶった慎吾が到着した。
「さて、いよいよこの先やな」
「うん」
みんなでぱんぱんと手を打ってお祈りする。
「13年前にお世話になった者です。家族を連れてまたやって来ました。どうかもう一度、あの宿に泊まらせて下さい」
私は口の中でぶつぶつと呟いた。
山の端を照らしていた最後の残照が消え、急に蜩の鳴き声が大きくなったような気がする。
私たちはかつて『鬼頭』という村があった場所に足を踏み入れた。道幅が広がり、土が踏み固められて歩きやすい。道の両端の草もきれいに刈り取られている。13年前と同じだ。やはり誰か人が住んで手入れをしているとしか思えない。
私の記憶が正しければ、あの雑木林を過ぎたら、その先あたりにあの宿が見えるはず。ドキドキしてきた。朽ちた建物があったら嫌だな。まさか跡形すらないなんてことはないよね。祈るような気持ちで先へ進む。雑木林を通り過ぎた。
建物が見える。懐かしいあの宿に違いない。少なくともちゃんと建っているようだ。私の足は思わず速くなった。建物が近いずいてくる。
玄関先に人がいるのが見える。黄色い着物を着た女性が軒先の提灯に火を入れているらしい。火の入った提灯がふわりと夕方の薄暮の中に浮かび上がった。それとは逆に周囲の暗がりが広がったような気がした。
2つの提灯に火を入れたその女性がこっちを見た。13年前のあの少女だった。まったく同じ黄色い着物を着て、まったく同じ顔で微笑んだ。
「お泊りでございますか?」
13年前とまったく同じ声で問いかけてくる。
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