第5話 子宝遍路 その伍
部屋に戻ってみると布団が敷かれていた。行灯の灯りは1つだけになり、部屋の中は適度に薄暗い。
「行灯ってどうやって消すん?」
「横の小さい扉みたいのを開けて、ふって息を吹きかけるんとちゃう?時代劇とかでよく見るやん」
「慎吾、やって」
「ああ」
慎吾は言葉通りの方法で行灯の灯りを吹き消した。完全な暗闇、静寂。なぜか虫の声さえしない。
「ちいこ……」
「待って。お布団が汚れたらまずいやん」
「汚れないようにする」
布団が汚れないような体位を選びながら、私は再び慎吾に抱かれた。さっきお風呂場でしたばかりなのに。この旅行中の慎吾の性欲は異常と思えるほど盛んだ。子作り旅行なんだから私は構わないんだけど、さすがに慎吾の体が心配になってくる。
明日からは昼間のセックスはやめた方がいいかな。でも外で裸にされて犯される気持ちの良さを知ってしまった今となっては、慎吾の要求を断れるかどうか、はなはだ自信がない。私も、かなりやばいかも……
その夜は慎吾に抱かれたまま、いつの間にか眠ってしまったらしい。目が覚めたときは明るくなっていた。腕時計を確認すると6時前。
となりでは慎吾がぐっすり眠っている。さすがに疲れたのだろう。
そう言えば洗面はどこですればいいのだろう。トイレにも行きたい。障子を開けて廊下を覗いてみたが誰もいない。物音も聞こえない。
千里は昨日部屋に案内されたときに通った方向に歩いて行ってみた。結構進んだつもりだったが、玄関は見えなかった。廊下からはずっと庭が見えている。夕べお風呂場へ向かう曲がり角があったはずだが、廊下はまっすぐに延びている。方向を間違えたのかな……そう思って引き返そうとして振り向いた、その目の前に、あの黄色い着物の少女が立っていた。
あんまりびっくりしたので、声も出さずに千里は後方に飛び退いた。
「何かお探しですか?」微笑みながら少女は言った。
「あの、あの……お手洗いはどこでしょうか?」
「ああ」その少女は手をぽんと叩きながら、
「ご案内しておりませんでしたね。大変失礼しました」
「それでしたら反対の方向になります」と今来た方へ戻って行った。
「ここからお庭に下りていただき、あの建物がお手洗いです」
庭には踏み石が敷かれており、降り口には下駄が一足置いてあった。
「外にあるんですか?」
そう尋ねた千里に、少女は首をかしげて微笑んだ。当たり前だと言わんばかりに。
「ちなみに、洗面はそこの井戸をお使いください」
「井戸!?」
「それから御用がございましたら、手を2回叩いてください。こんな風に」
少女は実際に手を2回叩いて見せた。勝手にうろうろするなってことだろうか。
「そう言えば、朝食は何時頃お持ちしましょうか?」
確かに、朝食の時間の打ち合わせはしていなかった。普通なら夕べのうちにしておかなくてはならないことだろう。この少女も意外といい加減なところがあるんだな。そう思うと少し親しみが沸いた。全部見透かされているようで、正直、ちょっと怖かったのだ。
「夫が起きてからでもいいですか?疲れてるみたいなので」
時間がはっきりしないような返事をしたら、嫌な顔をされるかな。嫌な顔をされるのが普通だ。
「もちろん大丈夫です。準備しておきますので、旦那様がお起きになられましたらご連絡ください」
こんな風に手を2回叩いて。そう言ってまた実際に叩いて見せた。
結局、慎吾が目を覚ましたのは7時を過ぎた頃だった。私は何度もしつこく念を押された通り、手を2回叩いた。
黄色と青の着物の2人の少女は、手際よく布団を畳んで部屋の隅に寄せ、朝の御膳を運び込んでくれる。慎吾はその様子を寝起きのぼーとした顔で眺めていた。
朝のお膳のメニューは、玄米のご飯、三つ葉のお味噌汁、ナスと大根の漬物、鮎の塩焼き、それにタコときゅうりの酢の物。
千里はおやっと思った。海のものが出て来たのは初めてだ。ここは山の中だから海のものは簡単には手に入らないからだろうと思っていた。
「今朝、珍しく下の村から上って来たものです」
朝、下の村に食材の仕入れに行ったら、珍しくタコがあったので買ってきた、たぶんそういう意味だろう。それにしても、私、まだ何も聞いていないのに勘が鋭すぎて怖い。
朝ご飯も、素材がいいのだろう、それぞれが体に染みるようにおいしい。思わず「うーん」と唸ってしまう。二人とも「うーん「うーん」と唸りながら食べていることに気がついて、同時に吹き出した。
出発の準備を整えたのが8時頃。千里は2回手を叩いた。間もなく黄色の着物の少女が現れ、廊下に両膝を揃えて座った。
「お立ちでございますか?」
「お世話になりました。とても気持ちよく過ごさせていただきました」
「それは、何よりでございます」
「是非、またいつか来たいと思います」
少女は微笑んで、
「是非、またのお越しをお待ちしております」
「その折は、お子様もご一緒にお越しくださいませ」
「あー……そうなればいいんですけどねえ」
慎吾は照れて頭を掻きながら答える。どっちが大人なんだか分からない。
「ここは子宝の湯の宿でございますから、きっとかわいいお子を授かりますよ」
そう言ってくれるのはうれしいんだけど、小さな女の子に言われると、何故か無性に恥ずかしい。夕べのこと全部お見透しって感じ。
お会計を済ませて、玄関に向かう。今朝はちゃんと玄関に着いた。部屋から玄関まではまっすぐだから間違えたはずはないんだけど……
玄関先まで2人の少女は見送りに出てきてくれた。
「これを」
黄色い着物の少女が小さな紙包みを差し出した。横から竹串が飛び出している。慎吾がそれを受け取った。
「この村の出口にある道神様のお社にお供えください」
「これは?」
「中身は……まあ、申し上げない方がいいでしょう。それより、いいですか?お供えすることを絶対に忘れてはいけませんよ」
私と慎吾は顔を見合わせ、神妙に答えた。
「分かりました」
「では、お気をつけてお出かけなさいませ」
2人の少女は同時にぴょこんと頭を下げた。私たちが見えなくなるまで、玄関先に立って見送ってくれているのが分かった。
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