第4話 子宝遍路 その肆

 峠を下りきったとこで森林が途切れた。その先には少し開けた平地があるように見える。その平地への入口を示すように小さな祠が建っていた。これが地図に書いてあった『道神社』なんだろうか。地元の人たちがきちんと手入れしているらしく、さほど傷んだところはみられない。掃除道具が床下にしまわれているのが見える。

「一応、ここにもお願いしとこうか」

「私たちに子宝が授かりますように!」

 ぱんぱんと柏手を打って頭を下げる。

 昼休憩にちょっと時間をかけ過ぎたせいで、今日の行程は遅れ気味。そろそろキャンプ地を見つけないといけない。日はすでに山に隠れ、蜩の鳴く声が森の中から響いている。

 ここもかつては村があったのだろう、私たちはその草原のような場所に足を踏み入れた。

 すぐに違和感を感じた。道は人が頻繁に通っているかのように固く、落ち葉もない。道の脇の草もきれいに短く刈り取られていて、まるで住んでいる人がいるようだ。

 二人で顔を見合わせる。慎吾も同じことを思ったらしい。訝しく思いながら道をさらに進む。誰かが突然姿を現してもおかしくない雰囲気だ。

 雑木林のところで折れ曲がった先に灯りが見える。人家がある!びっくりした。警戒しながらも急ぎ足で近ずいて見ると、なんとそれは旅館だった。

 周囲にはそれ以外の人家は見あたらないが、この先に村があるのかもしれない。

 慎吾は首をひねった。ここに村があるなんてどの地図にも載っていない。ましてや宿泊施設があるなんて。山中に入る前の村の札所でもらったお遍路道の地図によると、このあたりは『鬼頭』(きとう)と言う地名であることが分かる。

 お遍路道はこの『鬼頭』という土地を縦断しており、入口、さっき私たちが通ってきたところ、と反対の出口側にも『道神社』があるようだ。

 慎吾が私の顔を見る。「どうする?」とその目が問いかけているのが分かる。「どうしよう」と私も首を傾けて目で応えた。

「こんな話、本で読んだことがあるよなあ。年経た狐とか狸の仕業で、食べ物が全部木の実や葉っぱだったって話」

「宮沢賢治の本では、たしかムジナとか言う妖怪に食べられそうになるって話があったよ」

「ムジナって歳とって妖怪になった狸のことだよな」

「へえ、そうなん?」

「でもその話って化け猫やなかったっけ?」

 そんなことを話しているところに後ろから声を掛けられて、私たちは本当に飛び上がった。思わず数歩後退りして、私は慎吾にしがみついた。

 振り向くと女の子が立っていた。黄色い着物を身に着けて微笑んでいる。見たところ中学生くらいか。高校生にしては色んな意味で幼すぎるように見える。

「失礼しました。驚かせてしまったようですね。ちょうど出先から戻って来た所だったものですから」

 そう言う彼女は、黄色と青の花を手に抱えていた。花を摘みに行っていたのだろうか。

「お泊りですか?」

「あの、ここって旅館ですか?」

「はい。見ての通りの旅籠でございます」

「泊まれるんですか?」

「本日は他にお客様のご予定もありませんので、大丈夫でございますよ」

「どうする?」

 今度は口に出して慎吾が私に尋ねた。興味を持ったらしいことが分かる。

「あの、二人で一泊したら、お値段はおいくらくらいですか?」

「こちらがお値段表になっております」

 少女は襟元からすっと一枚の紙を取り出した。

 それを受け取った私は値段を見る前に「珍しい和紙だな」と思った。漉きが粗く、分厚くて硬い。おそらく手で漉いたものだろう。

 横からその値段表を覗き込んだ慎吾が、

「へえ、安いなあ。二人で朝夕付きでこの値段か」

「何しろ不便なところですから、大したおもてなしもできません」

「ですが、温泉もございます」

 お風呂に入れる!その一言で私の心は決まった。野宿で一番困るのはお風呂に入れないことだ。川の水で身体を拭いて凌いではいるけれど、女としては、汗臭くなることにはやっぱり抵抗がある。

「当方のお湯は『子宝の湯』としても知られております」

「!」もうこれは泊まるしかないだろう。

「お願いします!」二人同時に答えていた。

「承知いたしました。ではどうぞお上がり下さい」

 玄関を入ると青い着物の少女が廊下に正座していた。さっきの少女とよく似ている。双子かもしれない。

「いらっしゃいませ」

 その少女はにっこりと微笑むと、両手を付いて頭を下げた。

「お部屋にご案内いたします」

 案内された部屋は結構長い廊下を歩いた先にある、離れのような8畳くらいの和室だった。途中の廊下からはずっと庭が見えている。そこには季節の野の花々が咲いていた。白、黄色、紫、赤、青、ピンク……。花の名前は分からないけど、初夏のこの季節に咲く花の種類は多いようだ。

 案内された部屋には床の間があって、花瓶には黄色と青の花が活けられていた。さっきの黄色い着物の少女が抱えていた花と思われた。いつのまに活けたのだろうか、とちょっと気になった。

「へえ、いい部屋やなあ」

 慎吾が思わずと言った感じでつぶやく。

 青い着物の少女が部屋の隅にある2つの行灯(あんどん)に火を入れた。私たちはぎょっとした。行灯!?

「お食事はおまかせになります」

「はい」

「お夕食は何時頃お持ち致しましょうか?」

 今、6時過ぎ。すでにお腹はぺこぺこだ。

「なる早でお願いします」

「なるはや?」少女は首を傾げる。通じなかったらしい。

「なるべく早くでお願いします」

「ああ……承知いたしました」

「お風呂って何時から入れますか?」

「お夕食の後でしたらいつでもお入りいただけます」

「何時まで入れますか?」

「いつでもお好きな時間にお入り下さい。いつでも沸いておりますので」

 

「お酒もございますが、召し上がりますか?」

 あ、飲みたいなと私は思ったが、私が答える前に慎吾が、

「いえ、お酒は結構です」と言った。

「そうですか。ではごゆっくりおくつろぎ下さい。直にお夕食をお持ち致します」

 そう言って青い着物の女の子は戻って行った。

「慎吾、なんでお酒断ったん?こんなところで出てくるお酒ってめっちゃ興味あるんやけど」

「うん……でも、酒飲んで酔っ払ったところを……なんて思っちゃって」

「それにあの行灯……」

「ああ、びっくりしたね!古い旅館ぽくてすごくいい雰囲気やん。何か細かいところまで芸が行き届いてる感じがする」

「あれ、どうやって火を点けたんやろ。マッチとかライターを使ったように見へんかったんやけど」

「点火するスイッチがあるんとちゃう?」

 二人で行灯を詳細に調べたが、何のへんてつも、仕掛けもないただの行灯だった。そもそも実物の行灯なんて見たことない。ましてや実際に火が灯っているところなんてなおさらだ。

 押入れの中やら、鏡台の引き出しやら、部屋中見て回ったが特に不審な点はない。いや、不審と言えばこの部屋には電化製品がない。電気のコンセントもない。

「芸が細かいか……そもそもこれ芸なんか?」

「どういうこと?」

「いや、分からんけど……」

 そうこうしているところへ夕ご飯が運ばれて来た。足つきの御膳が2つ。それにご飯の入ったお櫃、お茶の入った急須。

 夕ご飯の御膳は、鮎の塩焼き、ナスの田楽、きゅうりの酢の物、山菜の天ぷら、銀杏の茶碗蒸し、キノコの炙ったものには味噌が添えられている。味噌汁に浮いているのは、昼間渓流沿いで見かけた三つ葉だ。

 黄色い着物の少女と青い着物の少女がそれぞれ一つずつ御膳を運んでくれる。

「お食事が済みましたら手を2つ叩いてお知らせ下さい。お風呂にご案内いたします」

 ではごゆっくり、と言って二人の少女は戻って行った。

「おいしそうやな……」

「うん……」

 私たちは恐る恐る、それぞれに箸を付けた。

「うま!この鮎、肉厚でぷりぷり。油のっててめっちゃうまい!」

「このキノコの炙ったやつ、すごくいい香りがする。食べてみて!」

 私たちはそれぞれに感想を言い合いながら、最初の警戒なんてすっかり忘れて料理に舌鼓を打った。お米は玄米で、炊き加減も絶妙。お櫃のご飯もすべて平らげて、

「あー、おいしかった」

「ごちそうさまでした」

「……なあ、これ全部、木の実や葉っぱでした、なんてことないよな」

「もう、これだけおいしいんやから、木の実でも葉っぱでもええやん。死ぬことはないやろう」

「そやな」慎吾はあっさり納得した。

「いっそお酒も頼んだらよかったかなー。毒を喰らわば皿までって言うしな」

「お酒もお持ちしましょうか?」

 障子の外から声が聞こえた。直後にすっと障子が開いたかと思うと、黄色い着物の少女が座っていた。

「まさかずっとそこに!?」

「たまたま通りかかったところ、そちらの旦那様のお声が聞こえたので」

「お酒も当方のおまかせになりますが、よろしいですか?」

「はい!」

「では、とりあえず2本ほどお持ち致しましょう」


「あー、びっくりしたー。俺、もしかして読まれてる?」

 運ばれてきたお酒は甘すぎず、辛すぎず、ちょうど私好みの味で、するすると心地よく喉を滑り落ちていく。

 色々と不思議に思いながらも、私たちはこの宿の細かい所まで行き届いた心遣いに、 すっかり心を許してくつろいでいた。

 さてお風呂に入ろうかということで、慎吾が言われた通り、手を2つ叩いた。こんなんで聞こえるのかなと千里は思ったが、すぐに障子が開いて、

「お食事はお済みになりましたか?」

 そこにはさっきの黄色と青の着物を着た2人の少女が座っていた。

「では、お風呂にご案内致しましょう」

 青い着物の少女に促され、私たちは備え付けの浴衣と着替え、それにタオル、じゃなくて備え付けの和手拭いを抱えてその後に従った。

 黄色い着物の少女は御膳を片付ける係であるらしい。

 酔のせいもあるだろう、途中で慎吾が千里の耳元で囁いた。

「なあ、ちいこ。他のお客さんおらへんて言うてたやろ」

「うん」

「一緒に入らへん?」

「いやいや、それはまずいでしょ」

「ええやん。どうせ俺らだけなんやから」

 一緒にお風呂に入るのはいい。でもそういう意味じゃないよね。働いてる仲居さんがこんな小さな女の子なんだし、お風呂場で変なことしてることがバレたら、きっと嫌な思いをするだろう。

 さっき部屋へ案内されたとき通った廊下を戻り、右に折れる。さっきこんなところに曲がり角があったかな。

 廊下にはところどころに行灯が灯されていて、微妙にほの明るい。

「こっちが男湯で、その先が女湯です」

「今夜は他にお客さんはおられませんから、ご一緒に入られても大丈夫ですよ」

 さっきの話、聞かれた?けどこの子、自分の言っている意味、分かってんのかな?

「ではごゆっくり」

 そう言うと青い着物の少女は戻って行った。その後姿が薄暗い廊下の先の方で消えたように見えて、千里は背筋がすっと寒くなるのを感じた。

「まさか……ね」

「よっしゃ!ほな一緒に男湯に入ろか」

 こんなとき、慎吾の能天気さには救われる。


 木造りの浴槽にはお湯が絶え間なく注ぎ込まれている。その浴槽の縁に腰を掛けている千里の股間に、慎吾は顔を埋めている。

 いつもはどちらかというとせっかちで、激しく求めるタイプなのに、今夜の慎吾はずいぶんと落ち着いている。優しく、ゆっくりと千里の体を愛撫する。こんな慎吾は珍しい。でも、こういうのも悪くないと千里は思う。

 ゆっくりとした慎吾の愛撫に、次第に盛上がって行く快感。千里はうっとりと目を閉じて体を捩った。吐息とともに喘ぎ声が漏れる。

 これだけ大きな造りの旅館だ。ちょっとくらい声を出しても聞こえないだろう。

「ちいこ」と呼ばれて閉じていた目を開いた。まっすぐにこちらを見ている慎吾と目が合った。千里は膝を曲げた足を左右に大きく開いて、慎吾を受け入れた。

 ゆっくりと慎吾の腰が動くのに合わせて、千里の口から「あ」「あ」と声が漏れる。

 慎吾の要求に応え、千里は慎吾に背を向けて浴槽の縁に手を付いた。千里の腰を両手で抑えながら、後ろから慎吾が入ってくる。最初はゆっくりだった動きが段々と速くなって、千里の興奮もそれに合わせるように高まっていき、ついに限界点に達しようとしている。

「慎吾、イきそう!」

「俺も!」

「ああ……来て!」

 慎吾が千里の中でイッたのと、千里がイッたタイミングが重なった。頭の先からつま先まで、感電したようなしびれが走る。

 ああ……こんなすごいの初めて……千里は薄れゆく意識の中でそう思った。

 どれくらい失神していたのだろう。気がついたとき、千里は慎吾に抱きかかえられて浴槽の縁に座っていた。

「ちいこ、気がついたか?」

「慎吾……すごくよかった」

「俺も、すごくよかった」

「私、声出してなかった?」

「ああ……ちょっと、出してたかなあ」慎吾が笑う。

 あー、やっちゃったんだ。あの女の子たち、どう思うだろう。

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