第2話 子宝遍路 その弐

 第1番札所にお参りし、次の目的地までは電車で移動する。ここから本格的に徒歩となる。

 週間天気予報によると、曇の日はあるが傘マークはない。降水確率はゼロではないから雨に会う可能性はある。慎吾のアドバイスで雨対策もバッチリしているとは言え、やっぱり雨には会いたくない。

 晴れの日が続きますようにと1番札所でお祈りしたことは内緒だ。「お前、何お祈りしてんねん」と突っ込まれることは間違いない。

 これから人も家も灯もない山の中に入って、キャンプ場でもない真っ暗なところで野宿するのだ。慎吾は慣れてるかもしれないけど私はやっぱり不安だし、怖いのだ。

 何が怖いのかと言うと、暗闇が怖いのだと思う。何故かと聞かれると困るけど、26年間生きてきて人の灯のまったくないところで夜を過すなんて経験、1回もないんだから。

 2個所目に訪れた札所は、小さな村の中を通る道路脇にあった。2人で子授かりのお祈りをしてご朱印帳に印をいただいた。さてここからいよいよ山の中に突入する。

 村から山中に続く渓流沿いの山道を、慎吾は鼻歌交じりにご機嫌で私の前をゆっくりと歩いて行く。流れに沿ってゆっくりとした上り傾斜の道がくねくねと続いている。7月のこの季節、太陽に照らされた緑がまぶしい。横の渓流の水はきれいに澄んでいて、涼し気な音をたてて岩の間を流れている。

 道の脇の山から流れ落ちる小さ滝で、慎吾は2人分の水筒に水を補給した。これが今日の分の水になるのだろう。水は補給できるところでこまめに補給しなくてはいけない。

 上るに連れて渓流の水は細くなり、やがて消えてしまった。そのあたりから上りの傾斜もきつくなってきた。

 夕方になると山の中は平地よりもいち早く暗くなるから、早目の行動が必須だ。暗くなる前に食事を済ませ、寝所を整える。暗くなったら基本的にテントのなかで過し、うろうろ動かない。

 慎吾は登り坂が緩やかになった所に今夜の野営地を決めたらしい。担いでいた荷物を降ろしてテントの設営を始める。あっという間にテントが出来て、今度は晩ごはんの準備にかかる。

 コッヘルに2人分の米を入れて水筒の水で洗う。適量の水を入れて蓋をしたら、ポケットバーナーにガスのカートリッジをセットして火を点ける。そして蓋の上に適当な重さの石を載せた。

 ご飯が炊けるまでの間、テントの中にマットを敷き、その上に寝袋を広げて寝る準備を整える。

 蚊取り線香に火を点けて携帯用のケースに入れ、テントを入ったすぐのあたりに置いて出入口を閉じる。

「先にちょっとテントの中を燻しておいたら中の蚊が死ぬし、寝るときにも蚊が入って来ないから」

 さすがに芸が細かい。

「先にスエットに着替えとき」

 そう言われて私はテントに入ると登山用の服や下着を脱いで、寝るとき用のスエットと下着に着替えた。

 慎吾が枝に掛けたロープに、汗で湿ったシャツや靴下を吊るしてくれる。洗濯バサミも持参しているんだ。こんなときの慎吾は抜け目なく気が利いて、すごく頼りになる。

 コッヘルのから吹き出る湯気の匂いでご飯の炊き加減が分かるらしい。頃合いを見計らって、蓋の上の石を取り除くと、コッヘルの取っ手を掴んで蓋に手を添え、コッヘルを逆さまにして地面に置いた。

「これで15分蒸らしたら出来上がり」

 そう言いながら今度はもう一つのコッヘルに水を入れて火にかける。沸いた湯の中にレトルトのカレーを2つ、袋ごと入れた。

 今夜のメニューは、カレーライス。それに村で買ったきゅうりとトマトのサラダ。慎吾が折りたたみ式のナイフでスライスしたものだ。それに固形のコンソメを溶かしたスープが付く。

 蒸し上がったご飯を2つの平皿に盛って上からカレーをかける。コッヘルの蓋が食器代わりになってサラダが盛られる。2つのステンレスのカップに1個づつ固形のコンソメを投入してお湯を注ぐ。晩ごはんの出来上がり!

 30分足らずの間に台所もない山の中で、こんなご飯を作ってしまった慎吾を私はかっこいいと思った。

「すごーい、慎吾、かっこええやん」

「ちょっと飲むか?」

 慎吾のリュックのポケットからウイスキーの小瓶が出て来た。

「そんなもんまであるん?わー感激!」

「これしか入れるモンないわ」

 そう言いながらさっき湯を沸かしたコッヘルにウイスキーを注ぎ、そこに水筒から水を注いで、私に向かって「うん」と言って差し出してくれた。

 私はそれを一口飲む。ウイスキーが喉元を通って胃に落ちて行くのが分かる。空腹の胃にその液体が吸い込まれ、あっという間に全身に心地よい酔いを感じる。

 最初に抱いていた不安も恐怖もいつの間にかすっかり消えていた。その代わりに慎吾の優しさに包まれているように感じる。ちょっと険悪だったのが嘘のようだ。

 慎吾も1口飲んで、

「いただきまーす」と言うや、勢いよくカレーライスを掻き込んだ。


 食後、慎吾は汚れた食器をペーパータオルで吹いて片付け、ゴミや残飯はビニール袋に入れて口を縛ってテントの中に放り込んだ。

「外に出しとくとケモノが寄ってきて荒らすから」

 いちいちなるほどだ。

 ご飯が終わると、とりあえずやることはない。時刻はまだ7時を回ったところだ。虫除け成分入りのローソクランタンに火を点けて、ウイスキーをちびりと飲む。

 普通のローソクや懐中電灯では虫が集まってきて大変なことになるらしい。本当に芸が細かい。

「慎吾ってこんなことばっかりやってたん?」

「野宿は手段であって、目的ではない」

「はあ?」

「野宿が目的のキャンパーっておるやん。あの気持は俺には分からん。山に登るとかの目的があって、そこに到達するための手段として、しょうがなく野宿するんやん。まあ、それでも楽しいに越したことはないけどな」

「ふーん。けど今日の慎吾、かっこええよ。見直したわ」

 慎吾は笑うかと思ったら、真剣な顔で私を見つめている。そのまま私の側に移動してきて、

「千里」

 そう言うと、慎吾は私の口を自分の口で塞いだ。そのまま慎吾は私の肩に手を回して抱き寄せ、スエットの上から私の胸を揉みしだく。

「テントに入ろうか」

「うん」

 こんなに分かりやすく求められたのはどのくらいぶりだろう。旅行に来る前は、私の体に触れすらしなかった時期だってあった。

「ちいこ」

 慎吾が私を抱きながら耳元で何度も私の名前を呼んだ。付き合っていた頃、慎吾はいつも私のことをそう呼んだ。「ちいこ」なんて呼ばれるのはその頃以来だ。

 勢いに乗って私達はテントから抜け出し、真っ暗な森のなかでセックスした。激しく後ろから突き上げてくる慎吾を、私は木に手を付いて堪えた。

 外でするのは初めて。しかも山の中。どうせ誰もいない。私は恥ずかしい気持ちを頭から追い出して、大声で喘いだ。私のそんな声に呼応するかのように慎吾の動きはさらに激しくなった。

 始めたのが7時すぎだったから、すっかり満足して再びテントに潜り込んで横になるまで、5時間くらいしていたことになる。

 慎吾は私の中で3回イッた。私はそれ以上に何回もイッた。

 実は私は慎吾以外の男を知らない。大学のとき初めてセックスした相手が慎吾だった。このことは彼には内緒だけど、あのとき慎吾は私がバージンだったことに気づいていたのだろうか。

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