第95話 アイドルと付き合った男なんて

「さて、動画編集に必要な物と言ったら、これだよね」


「エナジードリンクこんなに買うの琥珀姉ぇ?」


「だって、明日の朝までにダンス教習用動画を完成させたいから、ほぼ完徹だよ」

「しれっとブラック!」


 動画編集のお手伝いなんて言ってたけど、まさかの限界プロジェクトへの助っ人だった。

 おへそを触った対価としては、少々釣り合っていない気がしないでもない。


「ついでにこのコンビニで夕飯も夜食も買おうかな。あ、このスイーツけっこうイケるんだよ」


 そう言って、コンビニ弁当や菓子パン、コンビニスイーツを琥珀姉ぇがカゴに放り込んでいくのを見つめる。


「琥珀姉ぇは、最近はこういう食生活なの?」


「うん。忙しいから、どうしてもコンビニばっかりになっちゃうね」


 たまに食べる分にはコンビニご飯も美味しいが、やはり毎日こういった食事ばかりというのは心配だ。


「あのさ。夕飯だったら俺が作るよ」

「え、いいの? でも、編集作業のスケジュールもきついから時間が」


「作り置きの総菜もあるからさ。あとは汁物を作るだけだから、編集作業からそんなに長時間離れたりしないよ」


「そ、そう? じゃあ甘えちゃおうっと。最近、イッ君の手料理食べれてないから楽しみ」


 ウキウキしながら、琥珀姉ぇが買い物カゴに入れたコンビニ弁当や菓子パンを店頭に戻していく。


 この、少し世話のかかるお姉さんぶりが、なんだか懐かしい。


「じゃあ、会計してくるね」


 そう言って、買い物中には俺が持っていた買い物かごを琥珀姉ぇがひったくるように自分の手に持った。


「俺の分のエナジードリンクやコンビニスイーツもあるんだから、俺も半分出すよ」

「いいの、いいの。ここはお姉さんに任せておきなさい、イッ君。これでも、芸能事務所でお給料をもらってる身なんだから」



 おごりに逡巡する俺に、やや力技的な返しで琥珀姉ぇはレジの方へ向かっていった。




◇◇◇◆◇◇◇




「ここがダンス楽曲のファイルだね。これを映像開始3秒のディレイをかけて合わせて」


「イッ君。レクチャー音声を被せたら、楽曲の音声が飛んじゃうんだけど」

「そこは、こっちの設定項目で重複時の設定を……あった。デフォルトで重複時OFF設定を解除して、任意設定に切り替えて」


 編集作業は確かに思ったよりも時間がかかりそうだ。


 というのも、


「イッ君すご~い。もう動画ソフト使いこなしてる」


「いや……てっきり琥珀姉ぇは動画編集に詳しいのかと思ってたのに」


「ごめんイッ君……撮影はともかく、こんなに編集が大変とは知らなかったよ。スタッフさんには改めて尊敬の念を禁じ得ない」


 まさかの琥珀姉ぇが編集作業初心者だったため、パソコンを持ち寄って2人で解説動画を観たりして四苦八苦しながら、編集作業を進めていくことになっていた。


「これは、本当に深夜までかかるかも……」

「琥珀姉ぇが俺のパソコンの分まで動画編集ソフトのライセンス取得してくれたから2人がかりだけど、それでもキツそうだね」


 っていうか、絶対無理だな。


 このまま一睡もしないとしても、終わる気がしない。


 頭の中にネガティブな未来が想起し、脳の処理の何割かが占有され、ただでさえ覚束ない手を、より遅くする。


 これは良くない流れだ。


「ちょっと煮詰まってるし、ご飯にしようか」


 そう言って、俺は冷蔵庫にある作り置きの総菜が入ったタッパーを電子レンジで温めつつ、汁物を作り出した。


「あ、懐かしい匂い……イッ君の味だ」

「まだ食べてないでしょ琥珀姉ぇは」


 苦笑しながら、具材に火が通ったので味噌を溶く。


「はい、出来たよ具沢山味噌汁。後はぶり大根に常備菜」


「美味しそう! こんな、しっかりとしたご飯なんて、本当に久しぶり! いただきま~す!」


 動画編集作業はうっちゃり、琥珀姉ぇはお味噌汁のお椀を手に取り、汁をすする。


「あ~、やっぱりこれだなぁ~。イッ君の料理を食べると、血液がサラサラになるのを感じる」

「琥珀姉ぇ、オジサン臭いよ。アイドルなんだからさ」


 体に沁みるという事は、その手の栄養素が不足していたという事だ。


「本当は、もう何食かはこういうご飯を食べると、身体の調子も良くなると思うんだけどね」

「私にとっては、イッ君のご飯を食べれる事自体が何よりの栄養だよ」


「そうだね。こうして2人でダイニングテーブルで、並んでご飯食べるのは久しぶりだ。父さんと母さんが帰国した時に食べて以来……」


 と、ここであの日、琥珀姉ぇにキスされたのを想い出す。


 そうだった……。

 何か意外と普段通りに接しているけど、俺ってば、琥珀姉ぇとキスしてたんだった。


「イッ君、もしかして、私とキスしたこと思い出してるでしょ?」


 ニマ~ッとした嬉しそうな顔で、琥珀姉ぇが隣から俺の顔を覗き込んで来る。


「な⁉ もう、琥珀姉ぇはデビューもして完全にアイドルなんだから、軽々しく男とキスしたなんて話しちゃダメだよ」


 見抜かれていることに動揺した俺は、つい対抗心から、琥珀姉ぇに苦言を呈す。


「え~、どうしようかな~。でも、幼馴染なら弟枠みたいにセーフじゃない?」

「……そんな事が世間に知れ渡ったら、今度は学校内だけじゃなく街中もおちおち歩けないよ!」


 今はまだ、学内美人を総取りしているだけなのだが、これがアイドルとの色恋沙汰の相手として知れ渡ったら、冗談抜きでファンから刺されたりしそうだ。


「フフッ。私はいいんだよ。イッ君のお嫁さんかアイドルか選べって言われたら、私は迷わず、イッ君のお嫁さんを選ぶから」


「……しれっと二択が重い」


「だって、アイドルと付き合った男なんて、そのまま結婚して添い遂げないと、一生、不誠実男の汚名を着せられちゃうよイッ君」


 こわっ!


 いや、でもアイドルファンの怨念は恐ろしいと聞くし。

 え、マジ!?

 世間に琥珀姉ぇとのことがバレたら、俺、結婚しなきゃいけないの?


「はぁ~。いっそ、自分からゴシップ週刊誌にネタ提供しちゃおうかな~」


 ここに来て、小悪魔ムーブが止まらない琥珀姉ぇが、更なる揺さぶりをかけてくる。


「まぁ、でも。琥珀姉ぇはそういう無責任なことはしないし」

「言い切るね、イッ君。でも、私はこの間、もうイッ君のお姉さんは辞めるって言ったよ?」


 なおも追撃してくる琥珀姉ぇだが、俺は断定口調で自信をもって続ける。


「いや、俺には解る。琥珀姉ぇは、そうやって周りに迷惑をかけてまで、自分を通す事なんて出来ないよ。何年、隣に居たと思ってるのさ」


「そ、そう……私の事、信用してくれてるんだ」


 ふぅ。


 こう言っておけば、琥珀姉ぇが故意に自身のネタをマスコミに売って、外堀を急速に埋めてくるなんてことはしないだろう。


「じゃ、じゃあさ。誰にも言わないから、またキスして……」


「え……」


 2人しかいないダイニングリビングに、しばらく沈黙が流れる。


 普段は聞こえない、冷蔵庫のかすかな作動音だけが耳を通り過ぎていく。


「お願い……今度はイッ君から」


 言葉少なに、琥珀姉ぇが真っすぐに俺の目を見て懇願してくる。


「琥珀……」


 その金色の瞳に吸い込まれるように、彼我の位置が近くなり、琥珀姉ぇは静かに目を閉じて……。





「お邪魔します。豊島君、文化祭準備中に一人で居なくなるなんて問題行動です。不良です。ここは、副担任教諭として私が家庭訪問で指導を」



 ガチャリと開いたリビングのドアの音と一緒に、小柄な少女が乗り込んで来る。


「す、翠!?」


 琥珀姉ぇの両肩に手を置いている所で俺と琥珀姉ぇは固まり、翠も固まる。


 またしても、場が沈黙を支配し、しばしの冷蔵庫作動音の鑑賞会が執り行われる。


「ふ、不純異性交遊! ピッピ~~! です!」


 ただ、今回の冷蔵庫作動音の鑑賞会は翠のレッドカード宣告により、すぐに終わりを告げるのであった。

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