第88話 真っ黒な想い
「え、マジで小学生じゃん」
「先生ってマジ!?」
「大学を飛び級で卒業したらしいよ。家はオーガ化学工業の創業者一族だって」
「可愛い。将来は美人さんだね」
教室の外の廊下が見物人で騒がしい。
1年1組の副担任として、10歳の少女が赴任したというニュースは、瞬く間に学内を駆け巡り、休み時間には他クラスなどからも見物人がたくさん来ていた。
「へぇ~、じゃあ小鹿先生の会社に、クソや……豊島君の親が勤めてるんだ」
「はい。婚約の件については、一心君のお母様もご承知おきいただいています」
皆、興味深々という感じだが、取りあえずは1組のクラスメイトに交流の優先権がある。
という訳で、うちのクラスの女子が翠を囲んで色々と聞き出している訳だ。
「その婚約ってガチの奴なの?」
「はい。『うちのバカ息子ならいつでもどうぞ~』と一心君のお母様には御快諾いただきました」
「いや、翠……じゃなくて小鹿先生。それは」
「話しかけてくんな、女の敵」
「はい……」
それ、母さんには婚約の事は、子供の冗談だと思われてるよと言いたい所だったが、周囲の女子たちから、汚物を見るような目で見られて敢え無くブロックされてしまう。
母性を促す見た目だもんな翠は。
そりゃ、俺なんて近づけさせないよな。
「さすがは好感度マイナス男だな」
「今、割とマジで傷ついてるから、そっとしておいてくれ蓮司……」
「大丈夫よ一心。世間からどれだけ嫌われようと、私は最期の瞬間まであなたの側にいるわ」
「慰めてくれてありがとよ優月」
いや、でも女子に汚物扱いされるのは思春期男子としてはきつ過ぎる。
自分がしでかした事への報いなら甘んじて受け入れるが、何せこちとら記憶が無いので理不尽感が凄い。こんなん、登校拒否になるわ。
「しかし、これじゃ私らじゃ近づけねぇぜ」
先ほど、翠の婚約者の件で、優月と珠里が騒いだので、周りの目が厳しく翠には近づけないでいる。
言っても翠は、歳は10歳で庇護欲をそそる儚げな可愛さと、高校生相手でもハキハキと話す利発さを持ち合わせているので、特に女子のクラスメイトは母性が芽生えているのか、しっかりガードされてしまっている。
さて、どうしたもんかねと、好感度の低い面々が思案に暮れていると。
「お邪魔するわよ。翠お嬢様いる?」
他クラスのアウェーも何のそので、瑠璃が歌姫ラピスたる威容を意図的に周囲に振りまきながら、1組の教室に入って来る。
「あら、瑠璃さん、こんにちは。この間のパーティではどうも。ただ、学校では瑠璃さんの方が生徒なので、小鹿先生と呼んでくださいね」
夏休み中の補習に参加していた生徒はまだしも、間近に現れた歌姫ラピスにクラスメイトの女子たちが固まる中、翠だけは悠然と挨拶と微笑みを返す。
「……ちょっと話があるから、屋上に来て」
翠の泰然自若とした態度に、少し面食らいつつも、瑠璃が上手くこの場から翠を連れ出そうとしてくれる。
瑠璃は、チラリと俺たちの方へ視線を向ける。
一緒について来いということだろう。
「はい、いいですよ。生徒の悩みを聞くのは教師の務めですから」
そう言って、翠は不安がる様子もなく瑠璃の後を素直に従った。
◇◇◇◆◇◇◇
「わぁ~、学校の屋上って私、初めて来ました。私って、就学前は自宅で家庭教師に教わっていて、そのまま大学入学だったので」
屋上で風を感じながら、翠がはしゃぐ。
9月だが、まだまだ日差しが強くて暑い。
「それで、どういうつもりなんです? 翠お嬢様」
「だから、学校では小鹿先生で……まぁ、今は他の生徒さんの耳目も無いからいいですよ」
アルカイックスマイルを浮かべながら、翠が注意しつつも、愛称呼びに許可を出す。
「なんで今更、日本の高校で教師を? そして、なぜこの学校なんです?」
「婚約者の近くに居たいと思うのは、女として当然の感情では?」
「婚約者云々は、どうせ翠お嬢様のご両親も、うちの親も、子供の戯言だと思ってますよ」
「私が本気だということは、相対してみて解りませんか? そして、私がその気になれば、それを実行する力がある事も」
「…………」
先日のパーティでは瑠璃の正論パンチに成す術なく震えていた子鹿の姿は無く、翠は瑠璃に正面から堂々と相対する。
その威容に、瑠璃も気圧されているようだ。
「本当に、先日の子供らしさを脱ぎ落してきたかのようですね小鹿先生」
形勢不利と思ったのか、優月が参戦する。
そして、こういう時に一切空気を読まない優月は強い。
「単刀直入に聞きますけど、小鹿先生。もう、処女じゃないですよね? いつセックスしました?」
「しょ!?」
そして、こういう舌戦時には役立たずの俺と珠里は、いきなりぶっこんで来た優月の言葉に絶句して顔を赤くしてしまう。
「ちょっと、優月。いくら翠が歳より大人びているからってそんな事を聞くのは。っていうか、そんな訳な」
「はい。この間のパーティの時に一心お兄ちゃんとしました」
優月のとんでもない質問に、翠が恥ずかしそうに指をツンツンしながら答える。
…………え?
「えぁえ!?」
俺の素っ頓狂な声が屋上からこだまする中、ふと気づくと優月と瑠璃が俺の方を振り向き、凄い形相で睨みつけてきている。なお、珠里はキャパオーバーしたのかフリーズしている。
「一心……あなた、私がいくら誘惑してもなびかなかったのは、本当はこういう小さい子じゃないと興奮しない癖だからなの?」
「お兄ちゃん……別に実妹に手を出すのはアリだけど、さすがにこの歳の子を相手にって言うのは、流石に引く……」
「いやいやいや、ちょっと待って、ちょっと待って!」
とんでもない冤罪をかけられて、汗が噴き出しつつ俺は必死の弁明を試みようとするが、一体どこから弁明すればいいのやら。
けど、やってもいない事を証明しろなんて、まさしく悪魔の証明じゃないか!
「小鹿先生が処女を散らした場所は、ひょっとして秘密の部屋?」
「はい。という事は、やっぱりここにいる三人も、あの不思議な部屋の被験者なんですね。仮説の通りでした」
俺は全然ついていけてない状態で、話だけはどんどん進んでいく。
「……やっぱりかぁ」
優月が少し脱力しつつ項垂れる。
「だから、翠お嬢様はこんな自信たっぷりだった訳ね。突然、まとってるオーラが変わってたけど、女の喜びを知った心の余裕からか」
いやいやいや。
優月と瑠璃は、得心顔で頷いてるけど、当の俺は全然飲み込めていないんですけど!?
「まぁ、それだけじゃないんですけどね」
「「むむ……」」
翠は10歳だ。
当然この中で一番年下で、身長が低い。
それにも関わらず、まるで見下ろすような心の余裕を見て取った優月と瑠璃がたじろぐ。
「あの部屋の事を知っているあなた達になら喋ってもいいでしょう。私の身体は今、18歳です。あの部屋で成長させたまま、ね」
「「「え……」」」
傍から聞いたら、小学生くらいの少女の言っている言葉が理解できないか、単なるホラ話だと思うだろう。
だが、セックスしないと出られない部屋の事を知っている者からすると、それはまるで受け取り方が変わって来る。
翠が精神的優位に立っていた理由。
それは単純明快、自分が俺達より年上だったから。
そのことに即座に気付いた俺たちは、目の前にいる少女の選択した愚かで真っ黒な想いと重いに、恐れ慄いた。
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