第53話 確実に出来ちゃうですよぉ

【足柄美代子_視点】


「はぁ……」


「ほら、ミヨちゃん。また、ため息」

「ああ、すまんな千百合」


 何をするでもなくボーッと座っていたリビングのソファで、私は謝る。


「無闇に謝るのも禁止。それが私たちの同居ルールでしょ?」

「そうだった。ごめ……ありがとう千百合」


 危うく、また謝罪の言葉が口をついて出てしまう所だった。


「お風呂、先に入って来ちゃってミヨちゃん」

「たまには一緒に入るか?」


「ふふっ。洗濯物畳んだら行くね」


 千百合が誘いに乗ってくれたことで、少し気持ちを持ち直した私は、サササッと着替えの用意をして、風呂に入って待った。


 我ながら現金なもんだ。


「おじゃましまーす」


「ん。くるしゅうない。ちこうよれ」

「何それ。ミヨちゃんエロ親父みたい」


 フフッと笑いながら、一糸まとわぬ千百合が浴槽の向かいにしゃがむように入って来る。


 お風呂の水が溢れて、ザバァッと洗い場に流れる。


「お水もったいないね」

「千百合と一緒にお風呂に入れるなら、余分な水道代は私のおこづかいから出すぞ」


「そこまでしなくていよ~」

「でも、体外受精にはお金がかかるからな。節約するに越したことは無いだろ。次のステップで顕微鏡受精とか」


「あんまり根を詰めないで千代ちゃん。こうして、2人で仲良しする時間が私には幸せだよ」


「そうだな。おばあちゃんになっても、こうして仲良くしような千百合」


 今の言葉が千百合の真意でない事は解っている。


 けど、それも私を気遣っての発言だという事も解っているから、感謝しつつもやはり申し訳ない気持ちがある。


 私は千百合を愛している。


 生涯のパートナーとして、どんな事があろうとも、どちらかが先に死ぬまで、この関係は続いて行く。


 だからこそ、千百合と私は同じ籍にも入っているし、お互いの両親にも、職場の同僚達にもカミングアウトをしている。


 理解のある両親と職場に恵まれて、私たちは十分幸せだ。


 ただ、子供は……。

 子供だけは、どうあがいても私と千百合の元に来てはくれない。医学の力をもってしても。


 これは、今までが順調過ぎた私達への神が与えた罰なのだろうか?




「ん……なんだろ? 目の前がグルグル」


「千百合?」


 お風呂でのぼせたのか? と言おうとした所で、私の眼前の世界もグルグルと回り出す。


 2人共、お酒を飲んでお風呂に入るなんて愚はおかしていない。


 じゃあ、一酸化炭素中毒!? いや、バランス窯の風呂じゃあるまいし、そんな事は……。


 と、ここまで思考したところで、私の視界が真っ白になった。




『ここは、セックスしないと出られない部屋です。脱出するには、セックスをする必要があります』




 目の前には、真っ白な部屋が広がっていた。


「チヨちゃん!」

「千百合!」


 生まれたままの姿で千百合を抱きしめる。

 異常な事態に見舞われ、腕の中の千百合はかすかに身体を震わせている。


 なんだコレは?

 一体何がどうなっている?


 どうして、同居しているマンションのお風呂から、こんな所に瞬時に2人を移動させられる?


 催眠? 拉致? どういった目的で私たちを?

 そう言えばさっき、セックスしないと出られない部屋とか何とか言ってたな。


 まさか、私と千百合を見世物にする気か。

 くそ……何という下衆な真似を。


『す、すいません。まさか二人とも裸とは思わなくて……とりあえず、これ着てください』


 ファサッと、目の前の何もない空間に綺麗に畳まれた衣服が現れて、息を呑む。


 技術がどうとかいう話ではない。

 科学原理を根本から無視していることに、思わず理科系の教師としては興味をそそられる。


 それにしても、なんで着替えを。

 私たちの痴態を眺めるのが目的じゃないのか?


「チヨちゃん……」

「と、とりあえず、向こうが良いって言ってるんだから、着よう。って、何で2人とも学校で着てる服なんだ?」


 用意された着替えは、何故か見慣れたいつもの服と白衣だった。


「この白衣、職場のロッカーにあるいつものだ……」


 化学教師の私と同じく、白衣が仕事着である養護教諭の千百合がつぶやく。


 たしかに千百合の言う通り、袖を通した白衣は職場の着古した物とヨレや汚れが寸分たがわぬ物だった。


 その点からも、今回私たちを拉致した者たちの、バックグラウンドの大きさを物語っている。


 着替え終わった私と千百合は、驚愕しつつ顔を見合わせる。


『ゴメンなさい。お二人の裸を見る意図は全く無かったんです。本当に申し訳ない』


 やられている事に反比例するように、何故かアナウンスする奴の腰が低い。


 あと、こいつの声。


 男性の声だ。声は変声機で変えられているようだが、どこか聞きなれた奴の声のような気がしてならない。


『ちょ!? 代われですぅ! すいませんね、ちょっとマイクの調子が悪くて混線してたみたいですぅ』


 何やら、向こう側がドタバタしている。

 男性から女性のものに声が変わった。


『えー、オホン! ここはセックスしないと出られない部屋ですぅ』


 語尾のウザイ女から、どうやら説明があるようだ。


「セックスしないと出られない部屋って、成人向け同人誌とかであるあの? 衣食住は保障されてるのか? それともエッチなことしないとポイントがもらえないパターンか?」


『衣食住に必要な物は自由に無制限に出来ますよ。試しにホイホイホイッと』

「うお⁉ 何もない所から食料や家具が!」


『ちなみに物品の入手についてはポイント制とか特にないですぅ。注文はそこのタブレットから』


「なるほど……こりゃ本物だ」

「ミヨちゃん、なんでそんなにセックスしないと出られない部屋に詳しいの?」


「あ、いや……これも教育のために、生徒たちに今、なにが流行っているのか調査するためであって」


 ジトッとした目線を向けてくる千百合に、私は慌てて言い訳をする。

 これも、仕事なんだよ千百合。


『いつもは、ここがセックスしないと出られない部屋であることしか説明しないのですが、今回は特別ルールがあるですぅ』


「特別なルール?」


 っていうか、いつもはって、そんなにセックスしないと出られない部屋って頻繁に開催されてるのか?


『この部屋でセックスして、かつ妊娠するのが脱出する条件ですぅ』



「「は?」」



『この部屋でセックスすると、確実に赤ちゃんが出来ちゃうですよぉ。グヘヘ』



 スピーカーから下卑た声が響くが、そんな事はどうでもいい。


「待て待て待て! 私と千百合はれっきとした女だぞ! 私が女にしては化粧っけが無いからって間違えたんだろ!」


「そ、そうです! 同性同士で妊娠なんて!」


 私と千百合の身体は生物学上のメス同士だ。

 現代の医学ではどうあがいても、卵子同士では受精なんて出来ない。


『そんなもん、この部屋の超常的な力で何とでもなるですぅ。避妊設定を切って、逆に妊娠確率のバロメーターを上限値に設定すれば、女同士だろうが、男同士だろうが、きちんと2人のDNAが混ざり合った赤ちゃんが出来ちゃうですよぅ。うへへへ』


 とても信じられない。


 だが、この部屋の科学から逸脱した力を想えば……。



「……それは本当なのか?」


「そうですよぉ。しかも、妊娠の状態は、この部屋から解放されて、現実の世界に戻った後にも続くですぅ。たとえこの部屋から出られても、ボテ腹を抱えて、赤ちゃんを産むことになるですぅ。部屋から出られても、一生この部屋でしたことに引きずられて生きていくのですぅ。可哀相、かわいそうですぅ」


「本当に……?」


 千百合の声も上ずっている。

 これは、疑いよりも期待の方が上回っているから。


 常識的に考えれば嘘だろう。

 だけど、それでも。


 怪しい話だろうが乗りたくなるほどに、この話には悪魔的な魅力があった。


「千百合、やろう。どの道、セックスしないと出られない部屋だって言ってるんだ。カメラの向こう側で見物している奴らに、千百合の裸を観られるのは癪だが」


「うん。そんな事はどうでもいい。もし本当に、精子バンクを使った受精でも代理母の出産でもなく、私とミヨちゃんの遺伝子が混ざり合った赤ちゃんが出来るなら、私の命と引き換えだったとしても喜んで差し出すよ」


 そう言いながら、千百合は先ほど着たばかりの白衣と服を脱ぎ落す。


「そんな事言うな千百合。この部屋から3人で出るんだから」


 私も、心の中のワクワクを抑えきれないのが丸わかりで、手早く服を脱ぎ、一糸まとわぬ姿となり、タブレットでダブルベッドを設置する。


 非科学的な状況が目の前に広がっているが、そんな事は心底どうでもよかった。


「うん。じゃあ、カメラで観ているだろう観客に見せつけてあげようミヨちゃん。女同士の本気の交尾を」


「ああ。記念すべき、赤ちゃんができる物だからな。いつも以上に気合入れるぞ」


 ベッドの上で千百合と見つめ合う。



「愛してる千百合」


「私も愛してる。幸せだよチヨちゃん」


 こんなに興奮しているのは、千百合と初めてベッドを共にした時以来だろうか。


 そんな事を思いながら、激しい戦いの火ぶたは切られた。

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