第37話 下手だったでしょ
「おら~! 待て待てぇ~!」
エプロン姿の白髪の少女。
いや、20歳越えてるんだから立派な女性か。
が、公園で子供たちを元気よく追いかけている。
「まさか、お姉ちゃんが、ちゃんと外で働いてくれるなんて……」
「ああ……良かったな……良かったな母さん……」
そして、その様子を遠巻きにして眺める中年夫婦が2人。
「お父さん、お母さん。お姉ちゃんが立ち直ってくれたのは、ここにいる一心のおかげなんだよ」
「ど、どうも初めまして。豊島一心と申します。優月さんとはクラスメイトで」
「君がか! ありがとう……本当にありがとう……」
優月が紹介すると、お父さんが俺の手を握って、ハラハラと涙を流しながら礼を言ってくる。
「そんな、僕は大したことは……。こうして立ち直ったのは楓さんの意志ですから」
「親の私達には、楓にきっかけすら与えることが出来なかった。だから、貴方にはとても感謝してるの。本当にありがとう」
優月のお母さんからも深々とお辞儀されながら、お礼の言葉をもらってしまう。
うーん……。
実際、俺がやったことは、セックスしないと出られない部屋に楓さんを閉じ込めて、小説を書かせるために放っておいただけだ。
ずっとセックスしないと出られない部屋に閉じ込めていたので、現実世界に戻ったらきっと部屋からは出てくるだろうなとは思っていたけど、その後まさか、楓さんが戸辺さんの学童保育所で指導員として働きだすだなんて、夢にも思わなかった。
「ニートや引きこもりだった人が、社会復帰の足掛かりとして学童保育所の指導員になるケースは結構あるんだって」
「そうなんだ」
「話に聞くと、この学童保育所の移設にも、豊島君が関わっていたんだって?」
「はい。移転先が見つからなくて困っていたので、僕が所属している空手道場の敷地を上手く活用する方向で調整をして」
今後の楓さんの勤務先にもなる訳なので、学童保育所の移転の経緯についてもお父さん、お母さんに説明しておく。
「ね? 一心って凄いでしょ? お父さん、お母さん」
「ああ、そうだな。人々のためになる活動をしていて素晴らしい」
「いや、そんな……」
手放しで褒めちぎられて、くすぐったい気分だ。
いずれも、セックスしないと出られない部屋を活用していると、本当のことは言えないけど。
「これなら安心して優月をお任せできますね、お父さん」
「ああ、豊島君のように誠実な青年なら安心だ」
「……はい?」
何か、嫌な予感が。
「高校生での男女交際なんて少し早いと思ったけど」
「我が娘ながら、中々男を見る目がある」
あ……。
これ、完全にお父さんとお母さん、俺と優月が付き合っていると勘違いしてらっしゃる。
ちょっと、優月。
すぐに訂正しないと、後々やっかいなことに。
俺は隣にいる優月の脇をこっそりとつつく。
「そんな褒めないでよ、お父さん、お母さ~ん」
ちょっと優月!?
なにを全力で、お父さんお母さんの勘違いに乗っかってくの⁉
ちゃんと説明してよと、隣にいる優月をちょい強めに小突く。
「私と一心は、ちゃんと清い関係だから大丈夫だよ」
いや、間違いじゃないけど、ちっとも正確でもない表現だな!
「うんうん。昨今は、SNS等での影響か、子供でもそういった行為に対する興味ばかりが先行しがちと聞くが、豊島君と優月のカップルならその辺の心配はなさそうだな」
「あはは……」
あの……すいません、お父さん。
俺に記憶は無いんですが、あなたの娘さんはもう……。
なんて事をお父さんたちに言えるわけもない俺は、ただ苦笑することしかできない。
「私たちは、そういうスキンシップが無くても心で繋がってるから」
うわ……。
優月、笑いながらお父さんに大嘘をついた。怖っ。
女の人って、なんで相手の目をまっすぐ見ながら、大嘘を吐けるんだ?
「娘の優月のこと、よろしくお願いしますね」
「え、ええ……ハイ」
とは言え、娘がエッチな事に過剰に興味津々であることを両親に暴露するのは、さすがに憚られたので、結局、ご両親には優月との仲を盛大に誤解されたままとなってしまった。
◇◇◇◆◇◇◇
「もう……優月ったら、調子に乗って」
「ごめんごめん一心」
楓さんが学童保育所の指導員として働いている様子を見た後、ご両親から是非とも家に寄って行ってと言われて、先ほどまでリビングで談笑していたのだ。
今は、優月の部屋で2人きりでくつろいでいる所だ。
「完全にご両親に誤解されちゃったじゃない。俺と優月が付き合ってるって」
結局、あの後も優月との仲について、訂正をすることは出来なかった。
「だって、本当のことを言う訳にはいかないでしょ?」
「それは、そうだけど……」
結局のところ、優月との出会い等の話をする際に、どうしてもセックスしないと出られない部屋についての存在を隠して話す以上、その辺を覆い隠すためには、強い関係性があることを示した方が話の整合性がつきやすいのは確かだ。
「それよりも一心。私の部屋にくるのは初めてでしょ?」
「そうだね。あ、これ、小学生の頃に流行ってたキャラ物のステッカーだ。懐かしい」
学習机に貼られたステッカーの上に、高校の学習教材やメイク道具が置かれているのが、何ともノスタルジックだ。
「もう、一心ったら。女の子が、2人っきりで男の子を自分の部屋に招き入れるって事の意味を解ってる?」
優月が頬をむくれさせる。
「あ、いや、だってあの部屋で一緒に暮らしてたから、逆にこういう使い古した感じの方が新鮮って言うか」
「たしかに、あの部屋にある物は新品ばっかりだったもんね。そうかなるほど……エイッ」
「わっ!」
視界が突然薄暗くなる。
優月が、ベッドにある掛け布団を座っている俺に、自分ごと被せてきたのだ。
「何すんだよ。優月」
「どう? これが私の匂い。私が人生の大半を過ごしたこの家の匂いだよ」
掛布団のテントの中で、優月が至近の距離から俺に問いかける。
「ん……たしかに」
あの部屋では洗濯は基本せずに、衣類は何でも新しい物に交換していたので、匂いなんてつく暇が無かった。
「自分でやっておいて何だけど、一心に私の匂い嗅がれちゃって何だか恥ずかしい……かも」
「べ、別に嫌な臭いなんてしないよ。女の子の匂いだなって感じられた」
被せられたシングル用の掛布団で隔絶されただけの空間は、優月の吐息が、その熱がこちらにも伝わって来る。
「ドキドキする? 私はしてる」
「そりゃ……うん」
「階下にはお父さんもお母さんもいるのに、いけない事してるね私達」
フフッと笑った優月の吐息が、俺の顔を優しく叩く。
「そうだよ。だから、優月がしたい事は出来な」
「ンチュッ」
優月をたしなめる言葉は、唇の柔らかい感触により遮られた。
大胆な行動とは裏腹に、少し固い、緊張がこちらに伝わってくるような、たどたどしい口づけ。
「んはっ! どう? あの子と……白玉さんのキスと比べて」
「どうって……」
そんな、他の人とのキスと比較して値踏みするような事は……。
「下手だったでしょ、私のキス?」
なんでそんな自虐を笑顔で?
でも、優月の表情は何故か晴れやかだ。
「自分で下手とか言っちゃうんだ」
「うん。だから、一心にいっぱい教えてもらおうと思って」
そう言って甘えるように、優月が顔を俺の首元にすり寄らせる。
「俺はあの部屋での記憶を失くしてるんだから、教えるなんて出来ないよ」
「でも、さっきのキスは、私が不意をついたのに柔らかく迎えてくれたよ」
「その辺は、その……身体が覚えているって言うのか」
「私があの部屋で初めてキスした時も、一心は何だか手慣れてたような気がしたけど、やっぱりそうだったんだ」
ヤバ……。
もう、優月には珠里とキスしているのは見られている訳だけど、それでも他の女の子とキスしたことを、今まさにキスした直後の相手に言うべきではなかった。
「ごめん、今のは色々と配慮が足りない発言だった」
「一心は、お姉ちゃんの問題を解決してくれた。お父さんもお母さんも、一心に感謝してる。だから、私はワガママ言っちゃいけないって、解ってる。だけど……」
そう言葉を切って、優月が抱き着いてくる。
「より好きが大きくなっちゃった。ねぇ、どうしよう? 今はただただ一心が大切で愛おしい」
そう言って、優月が抱き着いてくる。
布団の中なので、かわす術など無い。無いったらない。
「このピュアな気持ちを一心に伝えたいんだけど、残念ながら私にはこういう方法しか思いつかなくて……」
布団の中でトロンとした目で俺を見上げながら、優月が俺の服に手をかける。
「結局、いつもの流れかよ!」
あ~、もう、あれだ。
別にあの部屋の催淫ガスとか無くても、優月ってスケベなんだなっていう当たり前のことを、俺は布団の中の優月を眺めつつ必死の抵抗を試みながら再認識する。
そんな俺に救いの女神が。
「帰ったわよ愚妹。今日は、私の同僚の篤志先生も連れて来たから、一緒に夕飯食べようってお父さんお母さんが呼んで……」
楓さんがノックもせずに優月の部屋のドアを開ける。
「お、お姉ちゃん!?」
鼻息荒く、俺の服をたくし上げようとする野獣の眼光の優月と、楓さんの目と目が合い、姉妹の間に気まずい沈黙が流れる。
「アンタら何やってるのぉぉおおお!!」
「なに、ノックしないで入って来てるのよ! そういう所、ほんとデリカシー無いんだから!」
「こ……高校生のアンタに、そういうのはまだ早いのよ! 私だってまだなんだから!」
「お姉ちゃんが今の今まで処女なのは、自分のせいじゃん!」
「妹が姉より先なんて許されないのよ!」
「お姉ちゃんが嫁に行くの待ってたら、私まで干からびちゃうでしょ!」
「言ったわね愚妹。その性根、叩き直してやる!」
「最近働き出してニート卒業したからって、調子に乗るなクソ姉ぇ!」
始まった姉妹ケンカを茫然と見つめる俺と、同じく楓さんに招かれた学童保育所の指導員の戸辺さんと目が合う。
(大変ですね……)
(はい……)
俺と戸辺さんは目で会話して、お互いを慮り合った。
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