第36話 全て消してちょうだい

【引き続き、赤石楓_視点】



【530日目】


「おら! 書いたわよ! これで満足でしょ!」


 泣いてもわめいても、この部屋から出られないという事は、ここ数日、部屋の中で暴れまわった事で嫌でも理解した。

 なら、当初の約束通り、小説を完結させるしかない。


 そう思った私は、久しぶりに執筆机に向かった。


 物語を終わらせるために。

 頭を捻りながら、何とかかんとか、老兵ガンマの物語を着地させた。


「早く出しなさいよ!」


 本当は解ってる。

 なんでこの部屋から出れないのか。


 あいつは、この物語を完結させることが、この部屋を脱出する条件だと言っていた。


 私が書いたのは、ただのキリの良い所で、これからもガンマの冒険は続くという、打ち切りエンド。


 これは完結とは言えない。



「当初のプロット通りに全部書けってことなの……」


 私はへたり込む。


 返事は無い。

 けれど、やるしかない。




【????日目】



 私はひたすらに机に向かった。


 眠気が限界を迎えるまで、ひたすらに机の前に座った。

 座りっぱなしなのに、不思議と腰も肩も痛くはならないのは、この部屋のおかげなのだろうか。


 ただ、肝心の小説の方は、プロットはあるのに、場面と場面を繋ぐためのシーンが思いつかず、筆が何度も止まった。


 それでも書く。


 悩みながら書く。


 時に、名案が浮かんで喜びを見出す。

 物語の最期をどうするか、最後まで悩む。


 途方もない道のりを、ただ一歩ずつ歩んでいく。


 そして、その時が来た。





【????日後】


「出来た……」




 当初のプロットに逐次修正を加えつつ。

 ようやく、老兵ガンマは完結を迎えた。


『おめでとうございます。よくぞ書き切りました』


「ああ。定期アナウンス以外で久しぶりに人の声を聞いたわ」


 もはや、声の記憶すらおぼろげな、七光りボンボンの言葉。


『お久しぶりです楓さん。この部屋の脱出条件は充たされました。それで、当初のお話の通り、書いた小説の電子データと記憶は元の世界に持ち越すことができます。この部屋にいた記憶自体は無くなりますけど』


 そんな話あったかしら?

 もう、気が遠くなるくらい昔の話で、憶えていない。


 けど、そう言われて私が選ぶ答えは即決だった。


「全て消してちょうだい。書いたデータも内容の記憶も」


 私は迷いなく答えた。


『……理由を聞いても良いですか?』


「あなたも大概イジワルね」


 けど、ここまで付き合ってもらった彼には、答える義務があるかと思い直した私は、口を開く。



「書き上げてみて改めて思った。面白くないのよ」



 話数が三桁を越えたあたりで薄々気付いていた。

 老兵ガンマは、面白くない。


 先の展開が見えている作者の私ですらそう思うのだ。

 なら、読者がこの物語の続きにワクワクするはずがない。


『世に出してみれば、また違った評価かもしれませんよ』


「いいえ。どの道、この部屋で無限の時間を使ってズルして書いたものよ。それでも何の評価も得られなかったら、今度こそ私は筆を折ってしまう」


 小説を嫌いにならないために。


 だから、私は老兵ガンマとさよならするのだ。



『……後悔はしないですか? 本当に消えますよ』


「むしろお願い。この物語の記憶を私に残さないで」


 自分に足りない物が解っただけで収穫だ。


 散々周りからも、講評をくれたワンモーメント先生にも言われたことだけど、私は身をもって痛感することが出来た。


 それが、私がこの部屋で得た一番大切な物。


『解りました。では、出口を作りました。自分の手でドアを開けてくぐってください。それで元の世界に戻れます』


「ありがとう。それじゃあね」


 出現したドアに向かって私は一直線に進む。





『俺は、ラストの老兵ガンマが奥さんの墓の前で生涯を閉じるシーン。好きでしたけどね……』




 ドアが閉まる瞬間に背中で聞いた、唯一の読者の感想。


 忘れてしまうんだろうけど、とても心が温かくなった。




◇◇◇◆◇◇◇




「はぁ……」



 私は、河川敷の芝の上でボーッと黄昏ていた。


 時間は午後4時。

 河川敷下の遊水地公園で小学生くらいの子供たちが遊んでいるのをボーッと眺めている。


「なんか、愚妹の彼氏君が家に来てからおかしいのよね。あの部屋に居たくないって言うか。散々、部屋の中に閉じこもってて飽きたのかしら?」


 あんなに熱量をささげていた、大長編の自作小説老兵ガンマにも、最近は向き合えないというのも、部屋にいたくない理由だろうか。


 小説家になるんだと大見得を切っておいて、このザマだ。


 その罪悪感から逃れるために、あてどもなくその辺を散歩して、疲れたのでここに座っている次第だ。


「しかし、これじゃあ、まるっきりニートだよな。何とかしないと」


「すいませーん! ボール、こっちに投げてもらえませんか~?」



 ふと気づくと、足元にビニールボールが転がって来ていた。

 声のした方を見やると、小学生たちがドッジボールをして遊んでいるようだ。


「いくぞ~」


 そう言って、私はボールを投げた。


「お、いい球投げるね君。よければ俺らと一緒に遊ばない? ちょうど人数が奇数でフェアじゃなかったから」


「ええ!? ちょ、ちょっと」


 子供たちに強引に誘われて、あれよあれよという間に私はドッジボールのBチームの一員にされてしまった。


「うお! 君、身体ちっさいのに投げるの速いな」


「こう見えて力は強いんだよ。前に、イーロンチェアをぶん投げたこともあ……」


 イーロンチェア? あの最高級の椅子の?


 穀つぶしの癖に態度がデカいでお馴染みの私だが、さすがにそんな最高級の椅子を両親にねだった事は無いし、あまつさえそれをぶん投げたことなんてない。


 じゃあ、なんでそんな事言ったんだ私?


「隙あり!」

「ふんっ、甘いわ!」


「ぐえっ! やられた!」


 一瞬、何かを思い出そうとしたが、今はドッジボールの真っ最中。

 他事を考えていては、やられる。


 その後、私は服が泥だらけになるのも構わず、ドッジボールに熱中した。


「やりぃ! Bチームの勝ち!」


 私の活躍もあり、ドッジボールはBチームが勝利し、チームメイトたちとハイタッチを交わす。


「強いね君」

「まぁ、ドッジボールは子供の頃から得意だったからな」


「子供の頃?」

「っていうか、君、どこの小学校の子? この辺じゃあまり見ない子だけど」


「んな⁉ お前ら、私が小学生だと思って遊んでたのか!? 私はこれでも21歳の大人だ!」


 格好がフリルのついたピエン系の服で低身長だからだろうか。


 歳より若く見られるのは慣れっこだが、さすがに小学生に同族扱いされていたとは……。

 ショックだ……。


「じゃあ、篤志先生と歳あんまり変わらないじゃん」

「だね。あ、噂をすれば」


「す、すいません。子供たちと一緒に遊んでもらっちゃって」


 私がショックを受けていると、一人の痩せたメガネをかけた若い男性が走り寄って来て話しかけられる。


「ひゃ、ひゃい……」


 人見知りの特性、しかも相手は若い男性という事で、私は瞬時に固まってしまう。


「私は、学童保育所の指導員をしてる戸辺篤志と申します。子供たちと遊んでくださってありがとうございます」


「あ……や……その……どもっす……」


 戸辺さんの感謝の言葉に、まともに受け答えできずに、口ごもってしまう私。

 ニートになって引きこもってると、こういう社会的な能力を喪失しているから困る。


「な~、小っちゃい姉ちゃん。もう一回戦やろうぜ」

「小っちゃい姉ちゃんって何だよおい! 解ったよ。どうせ暇だから付き合ってやる」


 年下とか、こういう小っちゃい子供相手なら、普通に喋れるんだけどな……。


「じゃあ、ちょっとお願いできますか? 私は、向こうで低学年の子たちを見てるので」

「ど……どぞ……」


「よっしゃ、メンバーをシャッフルして2回戦だぁ!」


 その後、私は2回戦とは言わず、何度もメンバーを変えつつドッジボールをして、そのすべてでチームに勝利をもたらした。


「やるじゃねぇか楓」


「あんたも小学生にしては、いい線いってたわよ。後半では、何度かボールをキャッチされたし」


 久しぶりにこんなに運動した。

 もう、服も砂ぼこりでドロドロだ。


「ほら、暑いから水分補給~!」


「「「は~い!」」」


 学童指導員さんの戸辺さんが呼びかけると、子供たちは各々の水筒が置かれたベンチにワッと群がった。


「楓さんも。これ、よければどうぞ」


「あ……ありがとうございま……しゅ……」


 戸辺さんから差し出されたペットボトルを受け取り、喉を鳴らして、一気に半分くらいを飲み干してしまう。


「今日はお休みなんですか?」


「い、いえ……暇してて……ニートなもんで、はい……」


 あ、正直にニートって言っちゃった。

 人見知り特性で会話中は、常時テンパっているのと、肉体的疲労から、つい……。


 ヤバい。

 絶対、不審者扱いされる。


「本当ですか⁉ その、良ければなんですが、学童保育所での指導員のお仕事やりませんか?」


「へ?」


 この人。私が平日の昼間から小学生とドッジボールしてたニートであることに引くどころか、私を即座にリクルート活動してきた。


 正気か?

 こちとら、ついこの間まで小説家とか目指しちゃってた、厄介ニートだぞ。


「実は最近、うちの学童保育所が移転したら、人気が出て申し込みが増えちゃってるんです。それで、追加で指導員を雇いたいなと思っていて」


「なんで、私を……」


「先ほど遊んでいる様子を見た時に、子供たちと同じ目線で遊んでいて、この人良いなって思ったんです」


「それは、私がちっちゃいからでは……」


「あ、いや、そういう意味じゃなくてですね! 子供と対等に向き合ってくれているなって。だから、子供たちも懐いているんです」


 アワアワと焦りつつも、戸辺さんは私に必死に訴えかけてくる。

 その様子に、私の方は逆に冷静になる。


 たしかに、この人数の体力が有り余っている子供達だ。

 この細身の男の人だけではもつまい。


「今はヒマを持て余してるし、いっすよ……。私で良ければ……手伝いましゅ」


「ほ、本当ですか! やったぁ、助かります! じゃあ、さっそく学童保育所へご案内しますね」


 つい了承してしまったが、何気に私にとって人生初の労働だ。

 まぁ、小説のネタになるかもだし、いいか。


 そう思って、私は一歩を踏み出した。

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