第35話 最低にダサい

【赤石楓_視点】



「は!? どこだここは」


 理解が追い付かない。


 さっきまで、私はたしかに自分の部屋で床に組み伏せられていた。


 なのに、この一面、白い部屋はなんだ?



『ここは、セックスし『楓さん、聞こえますか?』



「その声は、七光りボンボン!」



 声の主は、ワンモーメント先生の息子君だった。

 何だか冒頭に、別の声で不穏なワードが聞こえた気がするけど。


『その部屋に居る間、現実世界の時間は経過しません。好きなだけ、小説執筆に集中できます。生活に必要な物資や、小説に必要な資料や本は、そこに置いてあるタブレットで何でも注文できます』


「なにそれ。そんな物が現実に……って、うわっ! 本当に注文できた! もう今じゃ手に入らない絶版のイラスト集なのに!」


 何だこれは……。


 まるで空想上のご都合主義のつまったような部屋だ。


『気に入っていただけましたか?』


「ああ、最高だ。クリエイター志望として理想的な環境だよ、この部屋は」


 私は興奮しながら、夢の昇降機能付きの大きな執筆机と、最高級のイーロンチェア、ハイスペックパソコンを揃えた。


『その部屋からの脱出条件は、楓さんの書いている大長編ファンタジー 老兵ガンマを完結まで書き切ることです』


「なるほど。この無限の時間の中ならば、確実に完結を迎えることが出来るな」


『本来、この部屋の物は持ち出せないし記憶も引き継がれませんが、今回は特別に、書き上げた小説の電子データも、記憶も現実世界への帰還時に持ち越せるようにします。楓さんが希望すればの話ですが』


「そりゃ、ありがたい話だ。君は有能だな。七光りボンボンなんて言って悪かった。君になら愚妹を任せられる」


『では、書きあがった所で意思確認をしますので』


「ああ」


 何でか念を押されるが、そんなの現実世界に持ち帰るに決まっている。

 もう一度、書き上げた小説を現実世界で打ち直すのは骨が折れるからな。



『ここは、セックスしないと出られない部屋です。脱出するには、セックスをする必要があります』


「ん?」


『あ、これは消せない定期アナウンスみたいなもんです。前の所有者の設定で直せなくて。別に相手が送り込まれるとか無いので気にしないでください』


「この部屋、中古で買ったのか君は?」


『まぁ、そんなようなものです』


 ますます面白い。

 クリエイターとして、想像をかきたてられる。


『では、終わったらお声かけ下さい』


「ああ。ありがとう」


 見えているのか解らないが、私は大きく手を振って応える。



「よし! やるぞぉ~!!」



 私は早速、無駄にハイスペックなタワーデスクトップパソコンを起動した。


 起動したパソコンには、なんと執筆途中の老兵ガンマのデータが、そっくりそのまま入っていた。


 まさに至れり尽くせりだ。


「小説家を志したのが遅かった私にとっては、まさに今までの遅れを取り戻すチャンスだ!」


 私は勇んで自作に向き合った。




◇◇◇◆◇◇◇




【10日目】


「いやな。別に執筆をサボってる訳ではないぞ。こうして、他の作品に触れてインプットを増やすことはクリエイターとして重要なんだ」


 執筆用の高級イーロンチェアではなく、高級ソファに寝そべりながらマンガやラノベを読みふけりながら、私は誰に向けた物でもない言い訳を口にした。


 いや、解っている。

 これは、自分自身への言い訳だ。


 ふと、高級執筆机と高級執筆椅子が視界に入る。


 執筆机の上には、参考になるかと思って注文した、美術書や中世の歴史書といった、実際に買うとなると、とんでもない金額がする資料たちが、山積みにされている。



「なんだよ……プレッシャーかけてくるなよ。書くから、後で。でも今は、そういう気分じゃないんだよ」


 別に、時間は無限なんだし、何も机に向かってキーボードを叩く時間だけが執筆じゃないんだよ。


 私は、注文した資料の整理がてら、本棚を注文する。


 さりげなく、くつろぐためのソファから執筆机が見えないように配置して。




◇◇◇◆◇◇◇




【20日目】


「FPSゲームおもしれぇ! 私天才! ネット対戦出来ないから知らんけど!」


 執筆するパソコンとは別に、ゲーミングハイスペックパソコンを注文した。


 楽しすぎ。

 時間溶けるわ。


【50日目】


「流石に小説書くか。この部屋に来た時から5000文字くらいしか進んでないぞ。あれ? 今から、主人公のガンマは何やるんだっけ? ちょっと自作を読み直すか」


 私は執筆データをタブレットに移して、ソファにごろ寝して自作を読む。


「ふふっ。やっぱり重厚なストーリーで面白い。これは名作になるぞ。よし、今までの内容は把握した。読んでて疲れたから、続きは明日から書くか」




【53日目】


「なんか、書いてて展開詰まったな……気付いたら、老兵ガンマの当初の目的から離れてきてしまっている気がする。ちょっと、小説のイロハ本を……ふむふむ。詰まったらインプットを増やしてみる、映画は特に構成の勉強にもなるので特にお勧めね。了解。早速、ミニシアター設備を注文しよう!」





【300日目】


「映画は、名作と呼ばれる物はあらかた観た。小説も、マンガも、ゲームも過去の名作から、最近の人気作、果ては小説のイロハ本から、脚本術まで網羅した。これにてインプットは済んだ。さぁ、後は文字として出力するだけだ」


 さぁ、これからが伝説の始まりだ。


【302日目】


「書けない……書けない、書けない、書けない、書けない」


 なぜだ!? 頭の中に大雑把だが、ストーリー展開は出来ている。


 後は、それを小説の文として、主人公のガンマのセリフを紡げばいだけだ。


 なのに、何で……何でこうも筆が乗らない……。


「こういうスランプの時は無理に書かない方が良いって、何かの小説のイロハ本にも書いてたな。よし、間をあけよう」




【365日目】


 この部屋で過ごして1年が経った。

 だが、成果は目を背けたくなるものだった。


 この部屋は、小説にだけ集中できる。


 わずらわしい雑事はないし、小言を言ってくる愚妹も、私が暴れないように娘の私に気を使ってビクビクオドオドする両親といった、心を乱す存在は無い。


 なのに、何で……。


 なんで、私はこんなにも焦っている。

 時間も、設備も環境も、全てが整っている。


 なのに、私は書けていない。


 その事実が、私に言いようもない焦りを与える。

 これ以上ない環境がある上で出来ないのなら、他者や外部要因を責められない。


 純粋に、結果は私の能力の高低によるものだと思い知らされる。



「自由って、こんなにしんどいんだ……」



 私は一人きりの部屋で、そうこぼした




【500日目】


「この部屋から出してくれ。ええと……ワンモーメント先生の息子君」


 随分前なので、名前も顔もすでにおぼろげだが、彼がこの部屋の主であることは覚えていた。


「私には小説家は無理だったよ。ギブアップだ。どうだい? 実にみじめだろ? あんな大言を吐いておいて、このザマなのだからな」


 自虐的に笑いながら、私は白い天井を見上げて話しかける。


「なぁ、おい。聞いているのか? 早く、現実世界に私を戻しておくれよ」


 小説を書くことも、マンガや小説を読んだり、映画を観ることにも、ゲームにも全て飽きてしまった。


 この部屋にいることは、すでに私にとって苦痛以外の何物でもなかった。


「早く……早くこの部屋から出してくれよ!」


 執筆に使っていた高級イーロンチェアをぶん投げる。


「出せ! 出せ! ここから私を出せ!!」


 使いもしなかった分厚い資料を床に滅茶苦茶に投げる。

 本棚を引き倒して大暴れする。


 それでも反応が無い。


「ああ、そうかい。じゃあ、こうすればどうだ?」


 私は、キッチンから無駄に高級なダマスカス鋼の包丁を取り出し、喉元につきつけた。


「ほら……私が死ぬぞ。私が死んだら、愚妹が悲しむぞ」


 包丁の切っ先から喉元に冷たい感触が与えられ、私は冷や汗を流す。


 だが、私は本気なんだ。


「どうだ……やるぞ。本当にこのまま刺すぞ!」


 包丁の柄に手のひらを添える。


 それでも、何の反応も無い。




「この……バカにしやがってぇぇええええ!!」



 まずい。


 私は激高すると、自分でも思ってもいない行動を取ったりする。

 勘定任せで損してばかり。

 私の悪癖。


 だから周囲の人間から嫌われる。

 家族からも疎まれる。


 その場の激情に支配されて、私は自らの命を落とすのか……。


 でも、止まらない。


 プライドを傷つけられた私は手を……。





「つ…………」




 手がブルブルと震え、その震えはあっと言う間に身体全体に広がる。


 あとほんの10センチメートルくらい手を動かせば、私の喉元に刃が突き立てられる。

 今までの私なら、勢い任せでやり切ってしまっていたかもしれない。


 でも、出来ない。


 どうしても、手が動かない。


 ブルブルと震える手は、やがて握力すら失い、手から包丁が滑り落ちる。



「う……うう……」


 ダサい。

 最低にダサい。


 私は自分のダサさに絶望して、ただただ泣いた。

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