第29話 何という事でしょう
「何なんだろ、あの人」
「戸辺さん。どうしたんですか?」
少しもめていたような電話が切れて、いぶかしげな顔をしている戸辺さんに、横に居た俺は声をかけた。
「いえ。実は、仮押さえしていた物件で世話になっていた不動産屋さんが、ここを見に来ると一方的に言って、電話を切ってしまって。すいません、断る間もなく……」
戸辺さんが申し訳なさそうにペコリと頭を下げる。
「ちょうど今から、子供たちや保護者たちへのお披露目会なんですから、いいんじゃないですか。地元の不動産屋さんなら、ここの宣伝もしてもらえるかもですし」
ようやく旧道場のリフォームが終わり、今日はこれから学童保育所の移転先現地説明会が計画されていて、多くのに通所する子供と保護者達が来ていた。
「ああ、なるほど。きっとびっくりするでしょうね。」
我ながら、今回の活用法には自信があるからな。
是非、宣伝をしておいてもらいたい。
「どうも。御免ください。白玉空手道場の方ですか?」
「はい。どなたですか?」
「どうも。私、愛光不動産株式会社の社長をしております、愛光満です。道場主様はいらっしゃいますか?」
もうすぐ夏だって言うのに、暑苦しい上等な背広に身を包み、ブランド物の派手な柄のネクタイに、コツイ高級腕時計をつけたオッサンが、俺の誰何に名乗った。
口調は丁寧だが、どこか威圧感を与えようという意図が見受けられて、あまり好きなタイプの大人じゃない。
後ろに控える部下の人の背広がヨレヨレなのが対照的で、より胡散臭さを演出していた。
「ああ、貴方が見学したいという不動産会社さんですか」
「失礼ですが、貴方は道場の関係者の方で?」
ギヌロッと横目で、社長さんは俺を品定めするように眺める。
「はい。白玉師範はあいにく、腰が爆発したので療養しております」
まさかの師範のぎっくり腰の再発。
荒れ果てた旧道場の室内の片づけや廃材運びを張り切って手伝ったら、またもやである。
今は、珠里が師範の側についている。
「ですが、ご安心ください。この学童保育所へのリフォームについては私が中心になって動いていたので、大抵の質問には答えられます」
「アハハ! なるほど。稚拙で穴だらけな話だと思いましたが、まさか子供が絡んでいたとは。いやはや、納得しました」
「……はい?」
なんだ、この人は。
独り言を言って、一人で納得してる。ちっとも会話になって無いぞ。
「戸辺さ~ん。道場主が不在であることをいいことに、上手く未成年の道場関係者を言いくるめたんですか? 流石に、これはマズいんじゃないですかね~」
俺たちの当惑をよそに、愛光社長は自信満々に戸辺さんの方へ詰め寄り、半笑いで凄む。
「いや、豊島君は本当に、学童保育所の移転に尽力してくれてですね」
戸辺さんが、慌てたように説明をする。
「戸辺さん。私は、こんな見え透いたブラフに引っかかる間抜けだと思われていたのですかな? 私もこの世界で何十年と生きてきた、いわばプロなんですよ。ガキの使いではないんですわ」
そう言って、愛光社長は、笑顔のまま顔を近づけて戸辺さんを威圧する。
どうしよう……。
どうやらこの不動産会社の社長は色々と盛大に勘違いをしているようだ。
「そこの旧道場が新学童保育所ですか、なるほど。入口は幕で覆って、中は伺い知れませんが、中はどうせただのハリボテ。こんなハリボテで、私が譲歩に応じるとでも?」
「あの~、もう中を見てくれませんか?」
俺は、勘違いコントさながらに舞台の上で千両役者のつもりで見栄を切る社長さんのピエロぶりと、それに伴う共感性羞恥に耐えられず、とっとと中を見せてしまおうと考えた。
「ほう。観念したというのかね」
いいから、もうアンタは喋らないでくれ!
聞いてるこっちが恥ずかしいから!
「どうぞ。皆さんも入ってください」
俺と、同じく共感性羞恥に耐え切れなくなった戸辺さんは、とっとと入り口の横幕を上げて、皆さんを中へ案内する。
「む……な、なんだと!? そんなバカな!」
横幕をくぐると、何と言う事でしょう!
そこには、清潔な新築と見まがう、新しい板の間の道場が。
「キレイ!」
「きゃ~~! 広~い!」
「これ、仮押さえしてた物件はもちろん、今の学童保育所が入居してるテナントより広いんじゃないか?」
「こんな新築のいい物件を貸してもらえるなんて夢みたいだ」
「一時はどうなることかと思ったけど、これで一安心だわ」
目の前に広がる真新しい道場の中で、子供達ははしゃぎ、保護者達は安堵している。
「冷暖房機も完備しています。建物の見た目は古いですが、中は最新の断熱材を使用しています」
俺は、匠ばりに部屋の設備を案内する。
これ、一度やってみたかったんだよな。
あの部屋のインテリアコーディネートは、優月と珠里にしか見せられないし。
「子供たちが騒いでも安心の防音設備を採用しています」
「すごい……防音設備まで用意していただいたなんて」
「これは、ゆくゆくは第二道場として活用するための物でもあります。まぁ、門下生の数から言って、当分はその予定はないですけど」
師範がこの場にいないことを良い事に、ちょっと自虐を交えつつ、あまり保護者の方たちに気にしないで欲しい旨を伝える。
「本当にありがとうございます。本当に、何とお礼を言ってよいか」
保護者の大人たちが深々と腰を折ってお辞儀しながら、感謝の言葉を伝えてくる。
「私はリフォームのお手伝いをしただけです。礼は、この場を提供した道場主の白玉師範に」
俺は慌てて、礼ならこの場にいない白玉師範にと取り成す。
高校生の俺にお父さんお母さん世代の大人が、こんな深い感謝の意を示すなんて、それだけ事態は逼迫していたということなのだろう。
「どうです社長さん?」
茫然とした愛光社長に、戸辺さんが感想をうかがう。
「ありえない……。この規模の工事なら、色んな業者が入れ代わり立ち代わり施工するものだ。こんな短期間にどうやって」
そりゃそうだ。
施工なんてそもそもしてないんだもん。
ここは、注文一つで設置・施工が即時完了しちゃう、セックスしないと出られない部屋なのだから。
「そこはネットの力を使いました。学童保育所のSNSアカウントで欲しい物リストを公開したら、協力してくださる方がいらして。ありがたい事です」
これが、今回のリフォームの表向きの経緯だ。
流石に、本当の事は言えないので、他にも様々な偽装をほどこしている。
この学童保育所の唯一の出入り口を覆いつくす幕。
あれこそが、今回の部屋の肝だ。
あの幕は、入り口側からくぐると、瞬時にセックスしないと出られない部屋に召喚されるトラップ型セックスしないと出られない部屋の機能が付与されている。
そして、逆側には現実世界の同じ旧道場の入り口に帰還するように設定している。
つまりこの学童保育所は、人の出入りの度にセックスしないと出られない部屋の召喚と帰還を繰り返しているのだ。
デフォルトになっている『ここはセックスしないと出られない部屋で~』の定型文だが、なぜか子供がいる時には空気を読んで、アナウンスされない。
セックスしないと出られない部屋さんにも、どうやら最低限の紳士の心があるようだ。
おかげで、自分が別世界へ召喚され、現実世界に帰還しているなんて、人間には全く知覚できない。
「地場の不動産屋を介さずにリフォーム工事を施工したと……なら、メンテナンスも、その親切な方々とやらにお願いしてくださいね」
悔しさからなのか、顔をゆがませながら、精いっぱいの嫌味を言う愛光社長だが、言ってることがみみっちいし、的外れだ。
第一、 この部屋の物は壊れないように設定してあるし、何かあってもすぐに交換できる。
しかし、その事を言う訳にはいかないし、どう反論したもんかなと思っていると、
「おう、愛光さん。しばらくぶりだな」
入り口から、珠里と奥さんのヘルミさんに両肩を担がれた、白玉師範が現れた。
「あ、どうもヘルミさん」
「色々任せちゃってゴメンね一心君。この人がこんなザマだから」
珠里と同じく、銀髪碧眼褐色肌のヘルミさんが、流ちょうな日本語で苦笑しながら話しかけてくる。
こうして師範を挟んで並ぶと、珠里がお母さん似であることは一目瞭然である。。
クマ似にならなくて本当に良かったな珠里。
「これは道場主。此度は、立派な道場を作られたようで」
「ああ、立派なもんだろ。とはいえ、俺はこの有様だったから、ほとんど娘と娘婿に頼んじまったんだがな」
「お父さんヤダァ~。私、まだ高校に入学したばかりなんだから、結婚とか早いってば!」
「んほぉぉおおおっ!」
「ちょっ、珠里! 今、背中をバシバシ叩いたら、パパ死んじゃうから! アナタ大丈夫?」
娘婿のくだりを俺がツッコむまでもなく、珠里が照れ隠しにギックリ腰の師範の背中をバンバン叩いて悶絶するのを、お母さんのヘルミさんが慌てて止める。
さすがに、一切工事をしていないのは怪しまれるかと思い、最初の旧道場の片づけだけは自分たちでやったのだが、そのせいで師範がギックリ腰になってしまった。
おかげで、その後の施工は俺と珠里が立ち会うという事で、あの部屋の機能による設置はスムーズに行えたのだが。
すまない師範。
夏休みの幼年部の指導のシフト増やしますから。
「ああ……大丈夫だヘルミ。それで、愛光さんよ。さっきちょうど聞こえたが、地元の仁義を切れとか聞こえたが?」
息を整えて、白玉師範が愛光社長の方を見やる。
「ええ。私ら地場の不動産屋は、その辺をないがしろにされてはオマンマ食い上げになりますからな」
ニッコリ口元は笑いつつ、目は笑っていない愛光社長が、白玉師範の視線を打ち返す。
「ほぉ~。そういう地元を護る気概というのは、今時立派だな」
「でしたら、こんなバカげたことは」
「地元の仁義を切れと言うなら、きちんと地元の利益になるように動いてもらわんと困るな。あんた、この学童保育所の件で、随分とみみっちぃ事をしてたらしいな」
白玉師範の鋭い視線が、愛光社長を射すくめる。
「……そんなことは」
「仮押さえした移転候補先の地権者とは知り合いでな。ネタは上がっとる」
駆け引き無しで、端的に直球だけを次々に投げる白玉師範。
直球であるが故に、愛光社長の方は碌に反論も出来ない。
「個別の取引の内容についてはお話できません」
「そうやって、自分に都合が良いように、大企業的なビジネス的計算高さと、地場の人情に訴えかける所を使い分けるから、お前さんは先代の器の半分も無いと言われるんだ」
「……失礼します」
最後に強烈な自身の評をぶつけられた所で、愛光社長は限界を迎え、短く挨拶して帰って行った。
「結構キツメの説教でしたね師範」
正直、大人が怒られている所を見るのは、見ているこっちとしても結構精神的にきついものがある。
「これで心を入れ替えてくれればいいんだが、まぁあの歳じゃ無理だろうな」
「きっちり啖呵切ってくれて格好良かったですよ白玉師範」
「おう、そうだろ」
「ギックリ腰で、両脇を奥さんと娘に抱えられていなければ、もっと」
「それを言うなよ。イテテ……」
きっと、俺だけじゃ対応しきれないと思って、腰が痛いのに無理を押して、起き上がってきてくれたのだろう。
俺は所詮は高校生のガキだ。
決して腕力や、ましてや神様のミスで授かった超常的な力だけでは、物事は解決できない。
そんな事を俺は、情けなく両脇を抱えられてる、ちょっと格好悪い師範から学んだのであった。
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