第28話 絵に描いたようなブラック

「おい。あのムーンチャイルドとかいう学童保育所から連絡はあったか?」


 愛光不動産株式会社の社長である あい こう みつるは、社長椅子にふんぞり返りながら、社員へ唐突に声をかける。


「い、いえ、まだ来てないですね」


 ビクッと身体を震わせた社員は恐る恐る答える。


「おい。追い込みは追加でかけてんだろうな?」


「お、追い込みとは?」

「全部言わねぇと解んねぇのか! 俺はテメェの家庭教師じゃねぇぞ!」


 罵倒の言葉と同時に、社長机に置かれた灰皿が宙を舞い、中身の吸い殻や灰が事務室の床へぶちまけられる。


「ヒッ! す、すいません……」


 罵倒された社員は這いつくばって、慌てて床に散らばった吸い殻や灰を拾う。


「ったく。ド素人をだまくらかして、家賃の高い物件に移させる、簡単な仕事だろうが。俺が若い頃なんてよぉ」


 そこから、愛光社長の過去の武勇伝語りが始まる。


 内容は、法律無視もいい所なアングラな物で、社員は何度も聞かされて知っているが、まるで初めて拝聴しましたとばかりに、「へぇ」とか「すごい」と感嘆詞をはさみ込んで聞き入る。


「でだ。この状況でうちが打つ手は、仮申し込みされてる物件家賃の更なるつり上げだ」


「え……9月からの前に提示した家賃ですら、かなり高額でキツイと渋っていたのにですか?」


「奴らは今、周囲にろくな物件も無いのに探し回ってるんだ。ここで、更にこちらが強気で出る。ただし、代わりに夏休み期間についても、オーナーと話をつけて確保したと果実も与える。そうなりゃ、物件探しに疲弊した奴は飛びつくさ」


「そんな、相手の足元を見るような……そもそも、オーナ様からは7月からの入居でもいいという話だったのに」


「あ? 俺のやる事に文句でもあるのか?」

「い、いえ、そんな……」


「どうせ学童保育所の家賃は、行政から補助が出るんだ。取れる所から取って何が悪い」


 愛光不動産は、先代の頃までは義理人情に厚く地域に根付いた経営方針だったが、大手不動産デベロッパーで修行してきたことが自慢の現在の社長に代替わりしてから、方針転換がなされ、取れる所からは搾り取れるだけ搾り取るというがめつい経営方針に転換されていた。


「おら。早く、あの学童保育所の指導員とか言う、やせっぽっちな奴に電話して、家賃つり上げを伝えろ」


「痛い…… わ、わかりました……」


 文字通り愛光社長にケツを蹴られた社員は、気が進まないという感じで、受話器を手に取って番号をダイヤルした。


「ったく、一から十まで説明して指示せんと動けんとは。最近の若いのは」


 ブツブツ言いながら、愛光社長は日課の爪やすりでの爪とぎを再開する。


「あの、社長……」


 電話中の部下が、受話器の送話口を抑えながら、困ったように愛光社長に声をかける。


「なんだ」


 チラリと一瞬だけ部下を見たが、爪先の磨き具合が気になる愛光社長は、視線は爪先から離さずに用件をとっとと話せと態度で示す。


「例の学童保育所なんですが、その……」


 言いにくそうに、部下が言葉を途切れさせる。


「報告や相談はきちんと簡潔に伝えろバカが」


 他人が自分に向ける態度は、自身の姿を現す鏡のようなもの。


 部下の委縮した態度は、自身の無為な威圧のせいであることなど、考えも及ばない愛光社長は、さらなる圧を部下にかける。


「……賃貸の仮申込を解除すると」


「は!? なんだと」


 これには、流石に愛光社長も慌てて、愛用の爪やすりを机上に放り出し、部下から受話器をひったくる。


「もしもし、お電話変わりました。社長の愛光です。どうしたんです? いきなりキャンセルだなんて」


 先ほど、部下をパワハラ気味に叱り飛ばしていた時とは打って変わって、営業用の高いトーンの声音で話しだした愛光社長だが、内心は穏やかではなかった。


「ああ、どうも社長さん。学童指導員の戸辺です。仮押さえしていた物件ですが、キャンセルします」

「それは、なぜ……」


「無事に他の物件が抑えられまして、そちらより家賃もお安くなりますし、継続的な契約も問題ないという事で、そちらに決めました」


 そんなはずはない……と、愛光社長は瞬時に疑った。


地元で、学童保育所として使える広さの物件は他に無かったはずだ。

 そんな物件があったなら、地場の不動産業である自分の耳に入らないはずが無いのだ。


「……どちらの物件ですか?」

「物件というか、白玉空手道場に間借りする形になりました」


「戸辺さん、ウソは良くないですよ」

「……え?」


 何故かウソ呼ばわりされて、指導員の戸辺が戸惑った声をあげる。


 その間隙に、愛光社長が畳みかける。


「あの道場に、学童保育所を受け入れる余裕は無いはずです」

「いえ、使われていなかった旧道場だった建物をリフォームして……」


「アハハハッ! それこそ、ウソですな。リフォームのために各種の職人を使ったなら、私の耳に入らんわけがない」


 ここで、愛光社長は自分の仮説に、確信を持つ。


 この指導員の戸辺は、ブラフによる揺さぶりをこちらにかけてきていると。


「さ、さっきから何なんですか、決めつけたような物言いで」

「そういうウソは良くないですよ。こちらが白玉さんに確認すれば、すぐに解る事なんですから」


 大方、この指導員の青年は追い詰められて、少しでも家賃の値下げ交渉を優位に進めようと、愚かな選択をしてしまったのだろう。


 これで、よりこちらの優位に事が運ぶと、愛光社長は内心ほくそ笑む。


気分は、じわじわとネズミをいたぶりながら、角に追い込む猫だ。


「そ……そんなに疑うなら、一度見に来ればいいじゃないですか」

「ええ。じゃあ、今すぐ伺います」


「え、今からですか? そ、それは、さすがに道場主にも確認を取ってからじゃないと」

「いえ、ただ見るだけですので、ご迷惑はおかけしません。それでは、すぐに伺いますので。それでは」


 一方的にまくし立てた愛光社長は、ガチャリと受話器を置く。


「おら、すぐに行くぞ」

「本当に直ぐに向かうんですか?」


「この手の輩には時間を与えないのが鉄則だ。時間があれば、ウソを取り繕うためのウソを考える余裕を与える。余裕が無ければ、慌て、ろくな策など浮かばん。お前もついてこい。プロ相手にブラフなんて仕掛けてきた素人の追い込み方を教えてやる」


 すでに企みを看破したつもりの愛光社長は、社長椅子にかけた背広を羽織ると、悠々とした態度で会社の外へ、先陣を切って進み出て行った。

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