第20話 溶け合うようなキス

「ん……はぁ……」


 ようやく口内から撤退した珠里の舌先から、珠里の物なのか、それとも俺由来の物か判別しようもない粘液が糸を引く。


 珠里の目は、長年一緒にいたのに今まで見たことが無い、色っぽくトロンとしたものだった。


「珠里……おま、わぷっ!」


 言いかけた言葉を強引に飲み込ませるように、珠里が無言で再び俺の顔めがけて自身の顔を重ねてくる。


 小さい頃には時に取っ組み合いのケンカもしていた珠里。


今、俺の胸の中に抱き着いてきている珠里の身体からの感触も、臭いも、体温の熱さもまるで当時のそれとは違う。


 何だこれ……キスってこんな溶け合うような物なのか?


 これじゃあ、何も考えられなくなって……。



「って、珠里! 一回、話をさせてくれ!」


「やだ……ハムルチュッ」

「んむ……!? だから、一旦離れろって」


 俺の下唇を優しく食(は)むように、柔らかな珠里の唇が挟み込まれて、抗議の声がかき消される。


 何だコイツ、キス上手すぎだろ。

やばい、これじゃまた……。


 俺は揺らぐ決意と欲を何とか抑え込み、珠里の両肩をつかんでようやく引きはがす。


「ダメ……今度こそ、一心が私とのキスのこと忘れないように、脳の奥の奥まで刻み込んでやるんだから……」


「な、なんだよそれ。俺、珠里とキ、キスなんてしたこと無いだろ」

「したよ何回も何回も。数えきれないくらい」


「あれか? 小さい頃にお遊びでしたキスってオチか? いや、子供の頃でも俺、珠里とそんな事した憶えは無いんだが……」


「……この期に及んで、まだシラを切る気? また、この部屋に私を連れ込んでおいて」


「…………え? また? 珠里、お前、この部屋に来たことあるの?」


 瞬時に別の場所に移動するという、超常的な体験をしたのにやけにリアクションが薄かったが……。


「はぁ……じゃあ、一心は本当に忘れちゃってるんだ。私とこの部屋に居たこと」


「ええ!?」


 どういうことだ⁉

 俺の頭の中をグルグルと、いくつもの?マークが巡り回る。


 珠里が、このセックスしないと出られない部屋のことを知っている?

 俺と来たことがある?


「忘れてるなら教えてあげる。私と一心は、この部屋でキスばっかりする生活をしてたの」


「は⁉ むにゅ! って、一々、キスしてくんな!」


「何か、一心の反応が初(う)心(ぶ)でかわいくて、つい……この部屋にいた最後の方は、どうしてもお互い慣れが出ちゃってたから」


 舌なめずりする珠里の顔は、空手の稽古の時に見せる真剣な顔でも、稽古の休憩時間に冗談を飛ばし合い笑う顔でも、最近の学校で会う時に見せる不満顔でもない、初めて見る女としての顔だった。


「この部屋に俺と居たって、一体いつ頃……」


「高校に入学してすぐの頃だったかな」


「そうなのか? 俺はその……この部屋に珠里といた記憶が丸ごとないんだけど」


 優月の時には、断片的にだが、このセックスしないと出られない部屋で一緒に過ごした記憶が有るが、どう頑張って思い返しても、珠里の方は全く記憶の欠片も思い当たるところが無い。


「私は憶えてるぜ。でも、向こうの現実の世界に戻った時に、一心があまりにも普段通りに接してくるから、あれは私の見た夢だと思ってた」


「ま、まぁ、そりゃこんな部屋が現実にあるなんて思わないよな」


「すごく悲しかった……一心と一緒にあんなに濃密な時間を過ごしていたのに、まるで無かったことになっちまって……それで、私、一心にひどい態度を……」


 叱られた子犬のようにシュンとする珠里。


「最近、俺への当たりが強かったり、学校や道場を休みがちだったのはこれが原因だったのか」


「ゴメン、冷たくして……あれは夢だって自分に言い聞かせても、寝ても覚めても、思い出すのは一心とチュッチュしてた生活だったから、何事も無かったのようにしている一心に、つい当たり散らしちゃって……」


「そ、そうなのか……」


「いや、一心は記憶が無いから引いてるかもしれないけど、一心だってこの部屋に居る時はノリノリだったんだからな!」


 恥ずかしさを誤魔化すために、バシバシと叩いてくる珠里。

 いてぇよ。


 でも、こうしてまた珠里と気安い関係に戻れたようで、なんだか嬉しかった。


「でも、そういう事だったのか。いや、珠里に何か辛いことがあったのかと思って心配してたんだよ。まさか、この部屋に原因があるとは夢にも思わなかったけど、本当に良かった」


 この部屋に珠里を招いた時には、この部屋の秘密を共有させ、場合によっては珠里の記憶を消さなくてはならないのかと覚悟していた。


 思った方向とは大分違うが、こうして珠里との間のわだかまりが解消されて良かった。


「心配してくれて、ありがと。でも、私の悩みは大して解決してねぇよ」

「え! そうなのか?」


 全て解決と思った矢先に、当の珠里から冷や水を浴びせられる。


「私はな。一心と同じ高校に行けるの凄く嬉しかったんだぜ」

「俺もだよ。道場で小さい頃からずっと一緒だった連れと、学校でも一緒に遊べるって」


「私のそれは多分、一心のとは違うんだよ。道場での友達みたいな気安い関係も、もちろん心地良いんだけど、私はやっぱり一心に一人の女の子として見て欲しかったんだ」


「そ……そうだったのか」


 まっすぐ俺を見つめる珠里の突然の告白に言葉を失ってしまう。


「私、銀髪で褐色肌でギャルっぽい見た目だろ? 普段は道着姿ばっかりだったのに、私の制服スカート姿を見せたら、一心もグラッと来るんじゃないかと思って、入学式の日が楽しみだった」


「いや、確かに普段とのギャップが凄くてドキッとはしたよ」

「お世辞はいいさ。だって、一心にはモデルさんをやってる幼馴染のお姉さんの福原先輩がすぐ隣にいるんだから」


「琥珀姉ぇが?」


「入学式に紹介してくれたの覚えてないか? 私とは全然タイプの違う素敵な人でさ。これは無理なのかなって、入学早々落ち込んだ」


 まさか珠里が琥珀姉ぇにそんな劣等感を覚えていただなんて。

 それなのに、俺は無神経に、一緒にツルんで遊ぼうなんて、何度も誘いをかけて。


「そうだったのか。ごめん……」


「今の私の告白のやり取り、実は2回目なんだけど、2回目でも同じように謝ってくれるんだな一心は」


 涙でうるんだ瞳で、珠里はフフッと笑った。


「……1回目の俺は、この後どうしたんだ?」


「泣いてる私を抱きしめてくれた」


「じゃあ……ん……」


 俺は過去の俺がやっていたから仕方がないという言い訳を使って、珠里の身体を抱きすくめる。


「ん……安心する」

「そうだな」


 お互いの鼓動を確かめ合うように、重なる身体。

 お互いの体温が伝わり、鼓動が早くなっていることを、お互いに感じ取っていた。


「この後、初めて一心から私にキスしてくれたんだぜ」

「そこまでは、まだ無理」


 だって、記憶がない以上、俺は相変わらず気持ちは童貞のままなのだから。

 そんなん無理やし。


「それじゃあ再現にならないじゃんか」

「珠里だって、今は泣いてないだろ」


「じゃあ、2回目は私の方から。エイッ!」


 お互いを貪るような欲にまみれた口づけではなく、ただ気持ちを伝えるだけのソフトな口づけ。


「何か、こういうピュアなキスの方が恥ずかしいかも……」


そう言って、はにかんだ笑顔で珠里は笑った。

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