第19話 ちょっと面かせ

「ヒーーッ! お尻が痛い!」

「うーん、3辛でもダメなんだ」


 色々あった週末が明けて月曜日。


 俺は、前日の激辛料理がもたらすお尻の痛みに耐えながら、最近定番となりつつある優月と登校していた。


 なお、琥珀姉ぇはモデルのお仕事で、今日は朝からいない。


「なんで優月は俺より辛いのを食べてたのに平気なの?」

「激辛料理へのキャリアが違うから。あ、そうだ。そのお尻の痛みを和らげる良い方法があるんだけど」


「え、本当!? 是非、教えて! いや、教えてください優月様!」

「そうね。まずは患部の触診をする必要があるから、あの部屋で一心に肛門」


「あ、やっぱり結構です」

「た、ただの他愛のないお医者さんゴッコだから! 別にいやらしい意味でじゃなくて、純粋な医学的興味で!」


「人が本気で苦しんでいるのにつけこんで、何をしようとしてるの優月は……」

「ああ……ゴメンなさい一心。私ったら、ちゃんと清純派路線で行こうと決意したばかりなのに、いざ一心の肉体を目の前にすると、欲望が抑えられなくて、つい……」


 肉体とか言うな。

 あと、清純派は肛門なんてワードを口にせんわ。


 まったく……優月は、すぐにエッチな方に話を持って行こうとするんだから。

 こうもグイグイ来られると、こっちは逆に冷静になっちゃうんだよな。


「そ、それはそうと一心。昨日の火事は、結構大きなニュースになってたわね」


 俺がへそを曲げたと思って空気の入れ替えを試みてか、優月が慌てて話題を変える。


「そうだね。亡くなった人や重い怪我をした人がいなくて良かった」


「生還した人たちの多くが一様に、ビルの外に瞬間移動したって証言してて、現代の神隠しだって話題になってた」


「へぇー、不思議なこともあるもんだね」


「けど、不思議な証言をしてる人たちは、みんなケガや火傷はおろか、煤(すす)すらついてなかったから、そもそもあのビルにいたのか? 集団催眠にでもかかっていたのでは? って、色々と話が錯綜してるって」


「ま、まぁ、とにかく無事だったから何よりだよね」


 そうか……。


 煤(すす)くらいは残しておいた方が良かったのか。


 あの時は緊急時という事もあり、割と大雑把な設定だったから、現実世界へ戻した時の整合性を深く気にしてなかった。


もし次の機会があったら、きちんと細かく設定しないと。


「ん? あの子……」


 俺が内心で反省していると、優月が校門の前にいる人物に反応する。

 難しい顔をした銀髪褐色肌の女の子が立っていた。


「あ、珠里おはよ。昨日は大丈夫だった……か?」

「ちょっと面(つら)貸せ、一心」


 挨拶もなく、珠里はいきなり俺の首に腕を回して、顔を近づけてボソッとつぶやく。


「何だよ。俺も一緒に学校サボれってのか? そんな事」


「昨日の広場で、私見たんだよ」


「……な、何を?」


「アンタがよく解んないジェスチャーをしてたら、目の前に火災のあったビルで逃げ遅れた人たちが現れるのを」


 珠里が耳元で俺にだけ聞こえるくらいの声量でつぶやいた言葉に、体温が急激に上がり、背中に汗がつたうのを感じる。


「たまには学校サボるのも青春だよな。よし行こう」


 最悪だ。

 これは非常にマズい状況だ。


 俺は額に汗をかきながら、これから登校すべき校舎へ背を向ける。


「ちょっと一心!?」

「悪い優月。足柄先生には、俺は今日休むって適当に言っといて。じゃっ!」


 珠里と一緒に学校をサボるなんて言ったら、優月も一緒についてくると言い出すのは明白だったので、俺は適当な事を言って、ダッシュでその場を離れる。


 珠里も、付き合いが長いから俺の意図を即理解したらしく、俺に合わせて一緒に走り出した。




◇◇◇◆◇◇◇




「ハァハァ……これで優月は撒いたかな」


 ダッシュで走ったので、息が荒くなる。


 追いかけてくる優月の奴、結構足が速いんだもんな。

 かなり粘られた。


 荒い息を落ち着かせるために、橋脚のコンクリに背中を預ける。


「ハァハァ……いいのか? 彼女さんに何にも説明しないで来ちゃってよ」

「内容が内容だけに、上手く説明何て出来ねぇよ。っていうか彼女じゃないし」


「ふ……ふーん。そっか」


 心なしか、珠里の声が少し弾んでいるように聞こえるのは、走って心拍数が上がっているからだろうか。


「ここ、懐かしい場所だな」

「ノープランで走ってたら、ちょうどいい場所があったの思い出してな」


 俺と珠里が辿り着いたのは、川と交差する道路の高架下スペースのちょっとした広場だ。


「よく、ここで道場の後に遊んだな」

「そうだな。遊びに夢中で、つい道着をここに忘れてさ」


「覚えてる。緑帯の頃だったから、小学2年生くらいだったかな」


 息を整えつつ、珠里が笑う。


 幼少時からの懐かしい場所にいるからだろうか。

 その笑顔は、最近は俺の前で見せない屈託のない物だった。


「なぁ、珠里。それで、昨日の事だけどさ。誰か、他の人に話したか?」

「話してないよ」


「師範にもか?」

「うん」


 珠里は、俺の目を真っすぐ見ながら答える。


 付き合いが長いから何となくわかる。

 珠里は嘘はついていない。


「じゃあ、俺も覚悟決めるか……。珠里、これから起こることは夢じゃないからな」


 俺は自分の見立てを信じて、珠里にあの部屋を見せる決意をする。


 珠里には、あの部屋から現実世界へ戻す瞬間を目撃されているのだ。


 手品の類だ何だといった誤魔化しが効くとは思えない。

 珠里は、見た目はギャルっぽいが、頭の悪い奴じゃないし。


「う、うん……」


 少し不安そうな珠里が、俺の制服の上着の裾をつまむ。


「じゃあ、行くぞ」


 そう言って、俺はバーチャルコンソールを操作すると、高架下の広場の景色が流れていく。




「ほら、珠里。着いたぞ」


 目の前には、真っ白な世界。

 先日の避難に使うために新規作成した初期状態の部屋だ。


「ここって……」


 さぞかし驚いているかと思ったが、意外なことに珠里のリアクションは薄目だった。


「ちゃんと説明すると長くなるからかいつまんで説明すると、ひょんなことから、次元とか物理法則を無視したこの部屋の管理を俺がすることになってな。昨日は、この部屋にビル火災で逃げ遅れた人たちを避難させたってわけさ」


 本当はここはセックスしないと出られない部屋であることと、残念な女神様のミスにより俺にこの部屋の管理者権限が移ってしまった事については、ひとまず説明を省略した。


「この部屋って……」


「不思議だろ? で、この部屋に一時避難させた人たちを元の現実世界に戻し」




『ここは、セックスしないと出られない部屋です。脱出するには、セックスをする必要があります』




 ああ、もうチクショウ!


 何で、この自動アナウンスは狙いすましたように毎度毎度、人がこの部屋について説明してると割り込んでくるんだ!


「セックスしないと出られない部屋……」


「あ、あのな珠里。さっきのは、ただのエラーメッセージみたいな物で……わぶっ!?」




 珠里に慌てて説明しようと思ってたのに、最初は何が起きたのか分らなかった。






「ん……チュ……はぁ……」



 自分の口が、珠里の口づけによって塞がれている事を。


 そして、その口づけが、年相応の唇のやわらかさを確かめ合う甘酸っぱい口づけではなく、お互いがお互いの口内の形を舌でなぞり、息の暖かさで顔が熱くなるような代濃厚な代物である事を。


 なぜ、女の子とキスするのが初めてな自分が、珠里の舌に口内を蹂躙されつつ、自身も相手の口内に攻め込み互角に渡り合っているのか。



 まるで意味が解らなかった。

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