第16話 急転

「礼! 豊島指導員、ありがとうございました!」


「ありがとうございました。よし、気を付けて帰れよ小僧ども」

「はい!」


 道場の板の間で道着を着たちびっ子たちは、稽古終わりの礼がの後、蜘蛛の子を散らすように帰っていった。


「悪いな一心。急に、小学生の部の指導を頼んじまって」

「いえ、白玉師範。別に予定は空いてたので。それより、腰の方は大丈夫ですか?」


「ああ、何とか今日は布団から出られたが、座ってるだけで脂汗が出るわ。イテテ……」


 そう言いながら、正面の神棚下の小上がりの畳の上でデン! とあぐらをかいて威厳たっぷりな仏頂面で座っていた白玉師範が、門下の子供たちが居なくなったのを見計らって破顔する。


「肩貸します。掴まってください白玉師範」

「すまんな一心。ついこの間まで、やんちゃ坊主だったお前に、こうして頼る日が来るとはな。儂も歳を取ったわけだ」


 ガタイの良い白玉師範に肩を貸しながら、出口を目指す。


「まだ、そんな老け込む歳じゃないですよ師範は」

「早く、娘の珠里に道場の運営を任せたいんだがな……」


「まだ珠里は高校生ですよ」

「たしかにまだ若いが、珠里の隣で支えてくれる男が居てくれればなぁ……チラッ」


「そうですかね」

「あ~、幼い頃から隣で切磋琢磨し、お互いのことをよく解っている男が珠里の婿に来てくれれば、ワシも安心してこの道場を任せられるのだがなぁ……チラッ、チラッ」


「きっと見つかりますよ、師範」

「豊島のバカ! 朴念仁! 鈍感主人公!」


「師範。ラブコメの不遇ヒロインみたいなこと言わないでください」


 熊系ひげ面オジサンの、ツンデレ系ヒロインみたいなセリフに辟易する。


 っていうか、腰が痛いというからピンチヒッターを引き受けたのに、結構元気そうじゃないか。


「それよりも、今日も珠里は来なかったですね」

「最初は、珠里に今日の指導を任せようとしたんだが、けんもほろろに断られてな。パパ、娘の反抗期で辛い……」


見た目が熊なのに、パパとか言っちゃうとこが反抗期の原因だと思いますけどと言いかけたのを、俺は飲み込んだ。


「俺も、珠里には学校でも避けられてます。最近は学校も休みがちだし」

「高校が合わなくて辛いのかと思って、『転校するか?』と聞いたんだが、それは嫌らしくてな。高校受験の合格の時には、豊島と同じ学校に通えるって飛び跳ねて喜んでたのに」


「そうなんですか?」


 それが、何で今はあんな180°変わった態度に……。


「すまんが豊島。珠里の事、頼むな」

「はい、白玉師範」


「うむ。お前がパパと呼んでくれるのを心待ちにしているぞ」

「それは嫌です」


「何故だ!? うちの娘じゃ結婚相手として不満か⁉」


 白玉師範の事は、空手の師として尊敬しているが、パパと呼ぶのは嫌すぎる。


 そういう意味では、珠里の事も、幼い頃から一緒に殴り合ってきた仲なので、色恋相手としてのイメージは正直言って湧かない。


「俺、まだ高校生なので結婚とか解らないんで。じゃあ、俺、午後に用事ありますんで。お疲れさまでした」


 これ以上、白玉師範に絡まれたくないというのもあったが、午後には、優月と激辛料理のお店に行く予定が入っているのだ。


「おい、待てこら!」


 腰痛で壁に寄りかかかって動けない白玉師範の声を背中に受けながら、俺はとっとと着替えて、道場を後にした。




◇◇◇◆◇◇◇




「お店の予約の時間は13時って言ってたよな。優月との待ち合わせには早い時間だから、ちょいと所要を済ませるか」


 最寄りターミナル駅の繁華街に到着した俺は、まだ時間があるので、とある場所へ向かった。


「どうも、こんにちは」

「おう、豊島君いらっしゃい。今日は何か要りようかい?」


 ここは、馴染みの武具店で、この手のお店にしては珍しく、ショッピングビルの中にテナントがあって、非常に行きやすいので、長年愛用している店だ。


「空手のグローブのストラップ部分がほつれてそろそろ限界なんで、替えの物が欲しいんです」

「あいよ。サイズは前のと一緒だな。ちょっと在庫見てくる」


「お願いします」


 店主のオジサンが裏へと引っ込んで、商品を取りに行ってくれる。


 それまでの間、適当に商品でも見てようかな。


「あ、他にお客さんいたのか。って……ん?」


 大して広くない武具店の片隅に隠れるように、特徴的な白に近い銀髪の頭が見えた。


「お、珠里。どうしたんだ? って、おい逃げんな」


 俺の横を素早く走り抜けて逃げ出そうとする珠里の腕をパッと掴む。


「離せよ……大声出して、警備員呼ぶぞ」

「やだ。掴んでないと、お前、また逃げるじゃん」


 珠里は俺に、敵意にも似た目線を寄越しつつ俺の手を振りほどこうとするが、最近は空手の稽古をサボり気味の珠里なんて、力でねじ伏せられる。


「武具店に来るって事は、別に空手を捨てた訳じゃないんだな。そこはちょっと安心した」


「別に……習慣になっちゃってたから、何となく足が向いただけ」


 腕を振りほどくのを諦めた珠里は、ぶっきらぼうに答える。


「珠里が断ったから、今日の道場の小学生の部の指導、俺がやったんだぞ。親父さん、腰やってるんだから、ちょっとは労わってやれよ」


「アンタに関係ないでしょ」


「なぁ、俺、お前に何かしたか? 訳もなくそんな事されると、正直、俺も傷つく」


「訳もなく……」


 ワナワナと珠里が身体を震わせているのが、掴んだ腕から伝わる。


「一心は、私の気持ちなんて、何も解ってない癖に!」


「解んねぇよ。解んないから、話してくれって言ってるんだろ。俺と珠里の仲だろうが」


「そういうとこだよ。私の心の中はグチャグチャなのに、一心だけ冷静で……それを見せつけられるから私は……」


 身体を震わせ、涙をにじませる珠里。


 動揺した俺は思わず掴んでいた珠里の腕を放してしまうが、珠里は逃げ出したりせず、その場にへたり込んでしまう。


 結果的に、それは幸いにも良い方向へ働いた。




『ショッピングビル内にて、大規模な火災が発生しました! 皆さま、ただちに従業員の指示に従って避難してください! これは訓練ではありません! 繰り返します。これは訓練ではありません!』



 館内アナウンス用のスピーカーから、切迫した様子の従業員の声がこだまし、一瞬の静寂が館内を包む。


 直後にけたたましいサイレンの音が館内に鳴り響いたと同時に、照明が落ち、場はカオスと化した。

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