第13話 両手に花で脳破壊
「えいっ!」
板張りの床、壁全面に大型の全身鏡が設置された道場に、俺の掛け声が静寂を貫く。
キレのある突き技を繰り出せた際に鳴る、ビシユッ! という道着が擦れた音と足さばきの音が、静かな道場の中に響く。
「ふぅ~。ありがとうございました」
空手の型の練習が一通り終わり、俺は板張りの床に正座し、正面の神棚に礼をする。
「さて、朝稽古はここまで。一風呂浴びて、元の世界に戻るか」
早起きした朝に、誰もいない早朝の道場で、空手の自主稽古。
実に理想的で爽やかな朝だ。
『この部屋は、セックスしないと出られない部屋です。脱出したい場合は、今すぐに~』
「この定期アナウンスさえ無ければな……」
折角の朝活の充実感や爽やかさが台無しである。
この定期アナウンスだけは、管理者権限があっても、オフに出来なかったんだよな。
何だろう、この部屋の絶対的な存在意義だからだろうか?
「しかし、この部屋は最高だな」
朝稽古して、湯船にゆったりつかってサッパリする。
さらに、風呂から上がり、髪を乾かし、マッサージチェアで身体を全身30分コースでくまなく身体を解す。
こんな事を朝一でやろうとしたら、定時の3時間前には起床しなきゃいけない。
それが、この部屋でなら……。
全ての朝活を終えて、セックスしないと出られない部屋から、管理者権限で退室し、元の自宅へ戻って来て、時計を見る。
現実の世界では、目覚まし時計が鳴ってから1秒も消費していない。
「使い方は色々あるよな。それこそ、無限にあの部屋で修行したりとか」
時間というのは、誰に対しても平等だ。
金持ちがどんなに金を積んでも、時間を金で買うことは出来ない。
せいぜいが、雑事を金の力で徹底的にアウトソーシングすることで時間を節約し、自身の自由にできる時間を捻出するくらいだ。
それが、この部屋では、時間を無限に創出できる。
セックスしないと出られない部屋の、時間経過が発生しないという性質だけで、とんでもない価値がある。
神様の宴会の出し物のためのセットであることがつくづく惜しいものだ。
「しかし、あの部屋の設備に比べると、この家が酷く狭く感じちゃうな」
必死に働いて、この家を建ててくれた母さん、父さんに失礼千万な物言いなのは重々承知なのだが、大浴場にサウナ、スポーツジム、アイランドキッチンといった俺の夢が詰め込まれたあの部屋と比べると、どうあがいても見劣りしてしまう。
あのレベルの部屋、っていうか最早あれは家か。
あのレベルの豪邸って、いったいどれだけお金持ちになれば住めるんだ?
「っと、朝食とお弁当作って今日も学校だ」
俺は、パパッと身支度を整えるとキッチンへ向かった。
◇◇◇◆◇◇◇
「おはよう一心」
「え!? 優月!?」
お弁当を詰めていた所、玄関のインターホンが鳴ったので出てみたら優月が立っていた。
先日のあの部屋での催淫ガスによるセックス未遂により、思わず警戒して身構えてしまう。
「昨日は色々と醜態をさらしてゴメンなさい」
また、朝一番で飛びついて来られるのかと思わず身構えたが、意外なことに優月の第一声は謝罪の言葉だった。
「べ、別に俺の方はいいよ。未遂だし」
「ありがとう一心。私、心を入れ替えて、きちんと貴方に振り向いてもらうように頑張るから。見ててね」
まるで、積年の初恋の想いを遂げるために頑張ると優月は宣言する。
爽やかに、しかし意志のこもった凛々しく美しい表情だ。
清楚美人な優月にこう言われて、男としては嬉しくない訳はなく。
ホント、あんな事さえなければ、コロッと行っていただろう。
「それで、まずは手始めに、一緒に登校しようって事か」
「ええ」
ちょっと照れくささもあり、俺は話題を変える。
「俺の家に寄るんじゃ遠回りだろ」
「学校へ行く前に途中下車すればいいだけだから」
「けど、それだと直行するより朝20分は早く家を出なきゃいけないんじゃないの?」
朝に家を出るのが10分、20分早くなるのは、精神的な負担が結構大きいっていうのに。
「いいの。一心と一緒に登校する時間は長い方がいいから。それに、先手を打たないとね」
「先手?」
「何でもな~い。準備できたら行こ」
「う、うん」
優月に急かされて、俺は慌ててエプロンを脱いで制服の上着を羽織ると玄関を出た。
「あ、イッ君。おは……よう……」
「琥珀姉ぇ、おはよう」
「おはようございますぅ~ 福原先輩」
玄関の前には琥珀姉ぇが立っていた。
が、俺と優月が玄関から2人連れ立って出てきた所を見て、目からハイライトが消える。
「だ、大丈夫、琥珀姉ぇ!? 目に生気が無いけど」
「一心。きっと、福原先輩はモデルの仕事で疲れているのよ。そっとしておきましょう」
「いや、でも……あ、そうだ、琥珀姉ぇ。いつものお弁当。今日は学校だから昼食用にどうぞ」
「一心ったら、3つもお弁当作ってて誰の分かと思ったら、福原先輩のだったのね。ほら、行きましょ一心」
「ま、待ちなさい! 赤石さん、どういう事⁉ なんであなたが、わざわざイッ君を迎えに来てるの⁉」
お弁当袋を渡されてようやくフリーズが解けた琥珀姉ぇが優月に詰め寄る。
「何か問題が? 別に一心と一緒に学校に行くのは、幼馴染の専売特許って訳じゃないですよね?」
挑発的な優月の返答に、琥珀姉ぇの目からハイライトが更に消えて、目が据わってくる。
「なら、私があなたに譲らなきゃいけない道理もないわよね? ただのクラスメイトの赤石さん」
「え!? ちょ、琥珀姉ぇ」
俺の左腕を、琥珀姉ぇがまるでお気に入りの人形を盗られまいとする子供のように、自分の腕の中に抱き込む。
「ちょっと福原先輩。一心が嫌がってますよ」
「嫌じゃないよね? イッ君……」
「う……うん」
今にも泣きだしそうな顔で、俺を見上げて尋ねる琥珀姉ぇに対して、振り払うような真似が出来ない。
「じゃあ、私はこっち」
今度は右腕が優月にとられる。
「2人とも強く抱え込みすぎ……動けないよ」
「イッ君が邪魔だって言ってるわよ赤石さん。あなたは離れたら? 私が先に腕を組んだんだし」
「いやいや、福原先輩。私が先に家に迎えに来ていたんだから、私に優先権があると思いますけど?」
「2人とも全然譲る気がないことは解った」
俺は諦めて、両手に花での登校を余儀なくされた。
「え!? なにアイツ……赤い宝玉を落としたと思ったら、幼馴染の金(こん)色(じき)のオーブまでそのままキープする気か」
「グギギギ……なんでアイツばっかりぃ!」
「金色のオーブ派ワイ。目の上のたんこぶだった幼馴染男子が赤い宝玉の方に行って朗報と、昨日は赤い宝玉派を学校グループメッセであおりまくった結果、今日は自身が凶報を受け脳を破壊される」
「パール姫派のわい。安堵するも、嫌な予感を禁じ得ない」
「ちょっと家に帰って横になるは……」
学校の最寄り駅に着くと、昨日以上の周囲からの視線が突き刺さる。
「あの……2人とも、目立ってるみたいだから、腕を離してくれない? 周りからの視線が痛いんだけど」
「大丈夫よ。私の目には一心しか見えてないわ」
いや、恋は盲目とかそういう意味じゃなくてですね……。
二の腕をサスサスしながら、朝から優月は呼吸を荒くしていて、俺の言葉に聞く耳をもたない。
「イッ君の腕太い……イッ君の腕太い……イッ君の腕太い……」
一方の琥珀姉ぇは琥珀姉ぇで余裕が無いのか、俺の言ってることを聞いちゃいない。
俺は諦めて、周囲の視線を無視しようと進行方向だけに視線を集中しようと前を向く。
と、ちょうど前方に知り合いがいた。
「おはよう、珠(じゅ)里(り)。久しぶりじゃん」
「……………」
後ろから声をかけるが、無視される。
「おーい、白(しら)玉(たま)」
「苗字で呼ばれるの嫌いだって、いつも言ってんだろバカ一心……」
白に近い銀髪ロングの髪に、苗字とは真逆の褐色肌な女の子。
「じゃあ、最初に呼ばれた時にちゃんと挨拶しろよ。道場でもガキの頃から言われてるだろ」
「おい一心。その腕に引っ付いてるのは……」
俺の注意はまるっと無視した珠里が、俺の腕を抱き込んでいる優月と琥珀姉ぇを見て、眉をひそめ嫌悪の表情を向ける。
「ん? ああ、そうか。琥珀姉ぇはともかく、優月の方は初めてか。紹介す」
「あー最悪。こんなチャラいのが同門とか最悪だぜ」
嫌悪で顔をしかめた珠里が、吐き捨てるように拒絶の言葉を俺に叩きつける。
「いや、同門って……お前、最近、全然道場に来ないじゃんか。お父さんの白玉師範も心配して」
「うっせえ! もう、私に話しかけんな!」
そう言い放つと、珠里は小走りに学校とは反対方向へ走って行ってしまった。
「おい、珠里。今日も学校休むのか? お前。これじゃあ……」
珠里を追いかけようとしたが、両腕に優月と琥珀姉ぇがぶら下がっていたので、躊躇していたら、珠里はあっと言う間に行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます