第12話 優月のあの部屋の思い出(後編)

【あの部屋での優月視点】


「何これ、凄い……」


 すっかり体調も元に戻って、ベッドから起き上がり周囲を見渡すと、私は思わず感嘆の声を上げた。


「でしょ~?」


豊島君が無邪気に嬉しそうな顔を私に向ける。


「スーパー銭湯みたいな大浴場にジャグジー、サウナ、水風呂……」

「こっちは、マシントレーニングジムに50mプールもあるよ。で、こっちはミニシアター」


「私が、6畳1間で引きこもって病んでいる間に、随分とこの部屋を満喫してたのね豊島君は……」


「ご、ゴメンね。相手との接触を拒むと生活に制限が加わるって知らなかったんだ」


 私がジトッとした目を向けると、ばつが悪そうに豊島君が謝る。


「豊島君が謝ることじゃないわ。引きこもってたのは私の意志だし」


 それにしても、閉じこもる意志が無ければ、こんな空間や次元を無視したことが可能なのか。


 つくづく、この部屋は非科学的でぶっ飛んでいる。


「けど、こうやって赤石さんと顔を突き合わせられるようになって良かった。俺も一人じゃ寂しかったんだ」


「ふ、ふん……孤独だと人は早死にするって言うしね。しょうがないから、最低限のコミュニケーションは取ってあげる。その……看病してくれたことは感謝してるし、借りた貸しはきちんと返す。けど、貴方のことを全面的に信頼したわけじゃないんだから!」


「はいはい、解ったよ。じゃあ、まずは一緒にミニシアターで映画観よ。2人しかいないから、雑談しながら観れるよ」


 無邪気に私の手を取る豊島君は、どこか今まで私に告白してきた男と違って、オドオドしたり、逆に根拠なき自信にあふれたタイプでもない。


 まぁ、見たところ優男だけど、男は男。

 いつ、その牙を私に向けるか解ったものではない。


 もしものために、気を引き締めねば。


 こうして、私と豊島君との、この部屋での真の意味での同居生活がスタートした。



【同居5日目】


「これ美味しい」

「ナッツ入りの食べるラー油をアボカドにかけただけだけど、美味しいでしょ?」


「本当に豊島君は料理上手なのね」

「家族や幼馴染は辛い料理が得意じゃないから、そうやって美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」


「……そう。料理を食べさせるのは、別に私が初めての相手じゃないのね……」


「ん? 何か言った赤石さん?」


「何でもない! あと、一々さん付けで呼ばれるとこっちも疲れるから、優月って呼んで」


「いいの? じゃあ、俺の方も一心って呼んで。親しい奴はそう呼ぶから」


「そう……」


 ってことは、私も一心の親しい人のカテゴリーに入ったってことか……。


 って、なにちょっと嬉しい気持ちになってるのよ! ないない! たかが、一緒に住んでるだけじゃないの!




【同居30日目】


「ひゃっ!?」


 早朝に半個室のベッドで目を覚まし、トイレに行く途中に、トレーニングジムの奥、スタジオの方から音がするから覗いてみたら、想いもかけない物を見て、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ん? ああ、ゴメン優月起こしちゃった? 空手の稽古で上衣が汗まみれだから今、着替えてたとこ。お見苦しい所をお見せしちゃったね」


「う、ううん……平気……」


 慌てて、自分のベッドの方へ小走りで駆け出し布団を頭まで被る。


「見た……見ちゃった。一心って結構着やせするタイプなんだ……あんな、腹筋の筋がくっきり浮かぶような細マッチョ体型で……」


 よく男の子から告白はされて来たけど、私は誰かと付き合ったことはない。


故に若い男性の身体への免疫が無い私は、帯を解き、白い道着の上衣の前を無造作に開き、汗を拭う一心の露わになった上半身が目に焼き付いてしまった。



「このモンモンとした感情は……ん……」



 私はベッドに包まりながら、自然と自身の下半身へ手が伸びている自分に愕然とし、慌てて手を引っ込めた。




【同居32日目】


「優月、昨日は寝室に1日こもってたけど、どうしたの? また体調が悪いの?」


「平気……」


 私はそっぽを向いて答える。


 一心の顔をまともに見れない……。


 昨日は、浅ましい行為によって得られた快楽と、自己嫌悪と罪悪感が同時に押し寄せてきて、頭の中がグチャグチャだったのだ。


「でも、顔が赤いし」


「いつも通りよ! ほら、顔が赤いのは苗字に赤が入ってるから!」


「そう? しかし、優月って面白い事言うよね。こんな表情を知ってるのって、学校で俺だけなのかな? そう思うと、何か嬉しいかも」


 屈託なく笑う一心に、不覚にもキュンと私の胸はときめく。


 この人、普段は優しくて少年っぽい無邪気なところもあるけど、いざとなるとちょっと強引で頼りに……ってまた考えが脱線してる!


「何よ。面白れぇ女が好きムーブして私がドキッとするとでも? っていうか慣れ慣れしいわよ」


 私は、先ほど浮かんだ一心への所感を頭の中から振り払うために、ツンツンとした返答をしてしまう。


「まぁ、優月にはこの間、裸見られちゃったし、今更かなと思って」


「ば、ば、バカじゃないの⁉ 私が、たかだかそんな物で興奮なんて!」

「ん? 興奮?」


「あ、今の無し!」

「なんだかよく解らないけど、裸に抵抗が無いって言うなら、一緒にプールで遊ぼうよ」


「んな⁉」

「別に優月は気にしないんでしょ?」


「い、行ってやろうじゃないの!」


 なんだか負けたままなのは癪な気がするので、私は一心の挑発に全力で乗っかった。

 こうなったら、私の際どい水着姿で、一心のことをドギマギさせてやるんだから!



【同居50日目】


 人間の環境に適用する能力と言うものは思った以上に高い。


 あんなに最初の頃は罪悪感にさいなまれた浅ましい行為が、もはや朝一夜二くらいに習慣化されてしまうだなんて、本当に己の順応性の高さが恐ろしい。


 いや、だって一心の水着がまさかの競泳用のブーメランパンツだったんだもん。


 あんな小さな布で、引き締まったお尻のラインや前方の膨らみを見せびらかすなんて卑怯よ。


 あんなの脳内に焼き付けて使い倒すしかないじゃない。


 っていうか、なんで私、こんなお猿さんなの?

 私が、こんなスケベな女だったなんて。


 あ! きっと、この部屋にはあれよ。

 その気になってしまう、こう……性欲を高めるガスとかがバラまかれてるのよ!


 きっとそうだわ! そうに決まってる!

 じゃないと、私が一心でそんな、毎日毎日してることに論理的な説明が。



『そのような物質はこちら側で散布しておりませんですぅ』



「うっさいゲームマスター! 心の中を読むな!」



 さて、気を取り直して冷静に今の自分の状況を整理しましょう。


 私は一心の事を好(す)……人間的に好ましく思っているのだろう。

 うん。そこは認めよう。


 まずは、認める所から一歩を踏み出さないと。


「ま、まぁ、一心にその気があって、そういった行為をしたいと……私にお願いいしてくるのであるならば? まぁ……私の方も応じるのはやぶさかではないっていうか? そもそも、この部屋って、それが目的に作られた物だって言うし?」



『誰に言い訳しているのですかぁ?』



「だから、うっさい! ゲームマスター!」


 こいつ、必要な時には何も言わない癖に、こういうどうでもいい時に余計な茶々を入れてきて。あと、語尾がウザい。


 ともかく、当面の方針は決まった。


 それとなくOKだよって、シャイな一心に伝えてあげるか。

 そうすれば私も気持ち……この部屋から出られるんだから、何も問題はない。


 我ながら完璧なロジックだ。



【同居60日目】


「ムキーーッ! 女の子が、あんなあからさまにOKだよって誘ってるのに、手も出してこないとか、一体、何度私に恥をかかせれば気が済むのかしら! あの朴念仁は!」


 何か腹立ってきた。


【同居62日目】


「胸の谷間やショーツをさりげなく見せつけるだけじゃダメ……もっと……もっと過激に」



【同居63日目】


「リビングのソファでセクシーランジェリーを着て寝たふりしてたら、毛布を掛けられた。優しい、好き……ってそうじゃない!」



【同居64日目】


「フフフッ。こんな良い物があるなら、先に言いなさいよゲームマスター。でもこれなら、一心も……デュフフフ」



【同居65日目】


「え、何でそんな事言うの一心。料理の毒味? べ、別に今更、必要ないんじゃないかな~。私、料理を作ってくれる一心のことを全面的に信頼してるし」


「え? 違う? お前が毒味しろって? 何で?」


「え? さっき配膳の時に俺の分の皿に怪しい粉末を入れるのを見た? そ、それは、ただの幻なんじゃないかなぁ?」


「あ、止めて! 無理やり食べさせないで! 私、こんな形での初アーンは望んでな!」



【同日1時間後】


「お願い一心、一服盛ろうとしたのは謝るから……本当にごめんなさい。だからお願い、ハァハァ……手首と足首の縄をほどいてくれないかな? 自分で慰めることも出来なくて本当に辛い……ハァ……の……私、このままだとオカしくなっちゃ! え? はい、そうです。精力剤の強力な奴を注文して盛りました。私の分の注文タブレットはこれからは一心に預けます。だからお願……え、ウソ行っちゃうの⁉ このまま哀れな私のことを床に放置して!? 待って、お願い! 行かないで一心!」




◇◇◇◆◇◇◇




【そして現在】



「う~ん、我ながらよく、あの状況から盛り返して事を成せたわね」


 あの部屋での出来事を時系列順に思い出しながらノートに箇条書きしたが、我ながら色々とひどすぎて呆れてしまう。


「でも、あれで吹っ切れたから、一心に好きって気持ちをストレートに伝えられるようになったし、とうとう一心の心を動かせたのよね」


 自分の気持ちを知られてしまったから、開き直っての愚直な猪突猛進を繰り返す日々。


だからこそ、一心に積年の想いを叶えてもらった時は、格別な幸せで身体中が満たされた。


「現実世界に戻ってきたら、一心から私の無様だった時の記憶が消えてて、よっしゃ! って思って、余裕のある経験済みのお姉さん路線で行こうと思ってたのに、結局、あの部屋に行ったら理性を飛ばしてオジャンにしちゃった……私のバカ……お猿さん……」


 一心に、あの部屋の管理権限があるって聞いていたのに、つい短絡的な行動を取ってしまった自分が悔やまれる。


 でも、無理だし。


 あの部屋に戻ったら、あの時の一心との幸せな時間をまた味わいたいと思うのは、自然の摂理みたいなものだ。


 だから、私は断じて悪くない!



「あ……思い出したら、何かまたしたくなってきちゃったかも……」



 そして何よりも、私のことをこんなエッチな女の子に変えてしまったという意味では、一心こそが罪深いと思うの。


「早く、また一緒に暮らしたいな一心。そのためにも色々と解決しなきゃね」


 そう呟いて、私は布団を被った。

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