第11話 優月のあの部屋の思い出(中編)
【優月視点】
「はぁ……はぁ……」
連日の寝不足からだろうか……。
私は風邪を引いてしまった。
「何よこの部屋……不思議空間なのに、普通にウイルスとかいるの?」
私はボヤキながら、先ほどタブレットで注文した風邪薬を飲む。
「ええと、ゼリー飲料にスポーツドリンクに氷枕に体温計と後は……」
発熱により回らない頭で、本格的に寝込んでしまう前にベッドサイドへ闘病アイテムを並べる。
取りあえずこんなもんだろうと、私は気だるく重くなった体をベッドの上に投げ出す。
「おはよう赤石さん。今日は、朝からポーチドエッグとジャガイモのガレットを作ったんだけど、一緒に食べない?」
「……要らない」
例によって、棚の向こうから声をかけてくる豊島君に、私はしんどいながらもきちんと返事をする。
もし、今私が体調不良で寝込んでいることを豊島君に悟られたら、今の私じゃろくに抵抗が出来ない……。
「そう、わかった。じゃあまた声かけるね」
「うん……」
こちらの不調を悟られなかったか息を殺して、遠ざかる足音へ耳を澄ます。
「行ったか……」
とりあえず、急場をしのいだ安心感から、ドッと疲れが出て、意識が急激に沈む。
「起きたら良くなってますように……」
まどろむ意識の中呟きながら、私は眠りに落ちた。
◇◇◇◆◇◇◇
「うわ……ビシャビシャ……」
パジャマと掛け布団のカバーが、ビックリするほど汗で濡れてしまっている。
「タオル……ああ……無いから注文……パジャマとシーツの替えも……」
朦朧とする頭でタブレットで注文をしようとするが、目の前が霞んで画面が見えない。
「なんで、私こんな事になってるんだろ……」
一人で居るのは気楽だと思った。
だけど、10日間ほどでこのザマだ。
「帰りたい……お家に帰りたい……」
これがホームシックという奴なのだろうか。
ほとんど誰とも話さない孤独というものが、こんなにも精神をむしばむものだとは思わなかった。
これが、普通の一人暮らしのホームシックだったら、実家に帰省すればいい。
それが無理でも、最近ならネットのビデオ通話で、海外でも顔を見ながら話すことが出来る。
だが、この部屋ではブラウジングは出来ても、メッセージを送る術が一切使用できない。
孤独を慰めてくれたり、励ましてくれる家族はいない。
「出せ……出してよ……私を家に帰してよ……」
濡れて不快なパジャマの上衣がはだけたままの姿で、私はこの様子を見ているであろう、悪趣味な奴らに涙を流しながら懇願する。
けど、何も返事はない。
「お母さんのご飯食べたい……、お父さんのおやじギャグが懐かしい……、お姉ちゃん……いつもゴメン……」
子供のように泣きじゃくりながら、ベッドの上で丸まることしかできず、熱はますます上がってしまって、もうベッドから一歩も動けない。
このまま、私はここで死ぬのだろうか……。
それならいっそ……。
「声のする方の棚から離れてろ!」
あれは……誰の声だろう?
何だか力強い……。
そう思って、ベッドの上で声のする方へ頭だけをもたげながら見やる。
(バッターーンッ!!)
私のテリトリーを囲っていた棚がゆっくりと倒れるのを、私はまるでテレビの向こう側のシーンのようにボーッとしながらただ眺めていた。
「ああ、そういうことか……」
倒れた棚の陰から侵入してきた豊島君を見て、私は悟った。
きっと、さっきの私の泣きべその声が棚の向こう側に漏れていたのだろう。
そして、これが好機と思ったこの男はとうとう、劣情に駆られて踏み込んできたのだ。
でも、今の私には、この男がある種の救いの使者にすら見えた。
ここで、私が自分の身体を差し出せば、家に帰れる。
「じゃあ、もうそれでいいや……」
熱に浮かされているのも幸いだ。
これならきっと、行為の際に大して痛みを感じず、記憶も鮮明には残らないだろう。
「ここは空気が淀んでるな。移動するか」
私の姿を見とがめた豊島君は、私の身体をひょいと抱き上げる。
すぐにその場で襲われると思ったのに、場所を変える……?
私の頭の上に疑問符が受かんでいると、ポンッとやわらかな場所に身体が着地する。
「自分で脱げる?」
ここで、ボーッとしていた私の頭は、再び覚醒する。
この期に及んで、この男は私から同意があったように見せかけようと小賢しいことを……。
「……好きにしたらいいじゃない」
相手の意のままになるのが嫌で、私は空しい抵抗を試みる。
「後で苦情言うなよ」
そう言って、豊島君が私を抱き起こす。
パジャマに豊島君の手が触れて、滑り落ちるパジャマの上衣とブラのホックを開けられる感触に、私はギュッと目をつむり、身体を震わせる。
「背中拭くからジッとしてて」
そう言われると、背中に温かなホッとするものが押しあてられる。
私が呆気にとられていると、
「思ったより余裕ありそうだね。前は自分で拭いて」
そう言って手渡されたのは、ホット蒸しタオルだった。
「ショーツはともかく上はサイズが解らないから、キャミソールだけ注文しといた。前を拭き終わったら横にパジャマがあるから着替えて。終わるまで向こう向いてるから」
この人は、何なんだろう?
女を襲う時にも、清潔じゃないとイヤなタイプの潔癖症なのか? それとも、自分好みの下着を女に着せるこだわり派なの?
けど、渡された下着は色っぽい物ではなく、むしろ野暮ったい地味な物だった。
?マークが頭上に点灯したままの私は、とりあえず下着を着て、下着の横に置かれた新品のパジャマを着こみつつ、チラリと豊島君の方を見る。
彼は、言葉通りに私に背を無防備に向けていた。
「着替え終わった?」
「う……うん」
私が答えると、豊島君はゆっくりと私の方に向き直る。
「まずはこれ飲んで。常温のスポーツドリンクだから弱った胃腸にも優しいはず。飲むのがキツイなら、チビチビ舐めるようにでもいいから、回数重ねて飲んで」
「うん……」
私は言われた通りに、ペットボトルに口をつける。
「食欲はまだ無さそうだね。アイスでも食べる?」
「今はいい……」
「そう。じゃあ、水分取って寝てな。何かあったら、すぐ側にいるから呼んでね」
そのまま豊島君は、私が身体を横にすると、おでこに冷却シートを貼って、布団を掛けてくれる。
清潔なパジャマとシーツに囲まれて、フッと気が抜ける。
豊島君、何だか子供の頃に、熱で学校を休んだ時のお母さんみたいだな……と思いながら私は目をつむった瞬間、また眠りに落ちた。
◇◇◇◆◇◇◇
「う……ん……」
「だいぶ顔色が良くなったみたいだね」
その後、私が目を覚ますと、すぐに豊島君が寄ってきて、ぬるくなったおでこの冷却シートを外してくれる。
確かに、また汗をかいて少しスッキリした。
(ク~~ッ)
高温気味になった、私の胃は身体活動を始めた直後に、窮状を訴えかけてくる。
「あ……」
「どうやら、食欲も出てきたようだね」
苦笑する豊島君にバッチリ空腹の音が聞こえていたことを悟った私の顔は、きっと真っ赤になっていただろう。
「はい。あんかけ玉子うどんだよ。うどんはクタクタに柔らかく煮たから消化にもいいよ」
ベッドのサイドテーブルに置かれたうどんが入った鍋からは、湯気と共に安心の匂いがした。
「あ……でも……」
思わず箸に手を伸ばしかけた所で、私は手を引っ込めて逡巡してしまう。
「ああ。別に変な薬とか入ってないよ。ほら」
そう言って、鍋の中のうどんをすくって自分のお碗に入れ、躊躇なく豊島君は食べて見せた。
私が、何を心配しているのか豊島君には解っている。
解った上で、彼は自分へ疑念を向けられていることを怒ったりしない。
「いえ、そんな……ゴメンなさい。折角作ってもらっているのに……いただきます」
考えたら、このタイミングで彼が私に薬を盛ることは考えにくい。
そんな事をしなくても、いくらでも彼にはチャンスがあったのだから。
そう論理的に結論付けて、私はうどんに口をつける。
「あふ……」
「アツアツだからゆっくり食べな」
サイドテーブルを挟んで向かい側に座った豊島君が笑いながら、うどんをすする。
「美味しい……」
「そりゃ良かった」
「けど、七味があるともっと美味しいと思う」
「そうだね。けど、風邪で弱ってる時に刺激物は止めておいた方がいいかな」
「そう……」
「赤石さんって辛いの好きなんだ?」
「うん」
「じゃあ、元気になったら今度辛いメニュー作ってあげるよ。ほら、おかわりいる?」
「貰います」
おずおずと出した私のお椀に、嬉しそうにうどんとつゆを注ぐ豊島君の笑顔に、図らずもキュンと……。
って違う違う! 騙されるな私!
頭に浮かんだ率直な感想を打ち消すために、慌てて私は受け取ったうどんのお椀で顔を隠した。
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