第9話 やだやだやだやだぁ~~!

「このコーヒーすごく旨い!」

「うん。いつもの一心が淹れてくれた味。私にとって新鮮味がない事が、成功の証だと思う」


 いや、自画自賛になるが、これは旨い。


 高級な豆なんて初めて扱うし、自宅のキッチンとは勝手が違うしで、おっかなびっくりで淹れたけど、いざ器具を手に持つとスムーズに動けて、間違いなくこの高級コーヒー豆のポテンシャルを最大限まで引き出せたと思う。


 これは、この部屋で過ごした記憶の大半は失くしていても、身体は覚えているって奴だろうか?


「それにしても、凄いねこのソファ」

「ね。これだけ上質な革で、こんな大型なL字ソファなんて、実際に現実世界で買ったら、いくらするのかしら?」


「うん。それで……その、大きなソファなのに、優月はなんで、俺のすぐ隣に座ってるの?」


「これが私たちのいつもの定位置だったからよ」


 肩と肩が、太ももと太ももが触れあう位に、ピッタリと身を寄せた優月が事も無げに答える。


「そ、そうなの?」


「そうよ」


 俺の目をまっすぐに見つめながら、優月がコーヒーカップを傾ける。


「ジーーッ」


「な、なに? 優月」


 紅い瞳で俺の方をガン見してくる優月さん。


「一心、何か体に変調を来たしたりはていない?」

「ん? いや、別に」


 唐突な優月の質問に、俺はキョトンとしながらも、正直に答える。


「本当に? 身体が、ん……熱いとか」


 優月がソファの上で、足をよじらせる。


「いや、別に。この部屋って、現実世界みたいに風邪ひいたりするの?」


「この部屋でも風邪は引いたりするわ。私も一度、熱を出して……ん……たことがあったからぁ」


「そう言えば、最初に優月が言ってたね。俺に看病して貰ったって」

「あの時の私は……ん……素直じゃなくて……ハァ……ああっ!」


「だ、大丈夫、優月!? さっきから、呼吸が荒いよ」


 様子がおかしい優月に驚き、ソファテーブルにコーヒーカップを置くと同時に、優月が俺の方にもたれかかって来た。


「ハァ……ハァ……も……無理……限界……」


「限界? どこか悪い所が……って、うぶッ!」


 突然抱き着いてきた優月に押し倒される形で、ソファの上に転がされる俺。


「え、優月!?」


「ハァ……ハァ……一心も、この部屋に私を招いたって言う事は、そういうつもりなんだよね? そうでしょ? いいよ……しよう?」


 そう言って、優月が制服のリボンを荒々しく剥ぎ取り、ブラウスのボタンに手を掛ける。


「なに、なに、何⁉」


「そうだよね。この部屋は、セックスしないと出られない部屋なんだもん。ちゃんと……しないとダメだよね……それがルールなんだから仕方ないんだもんね……」


「いや、そんな事はな……」


「大丈夫だよ……ハァハァ……経験者の私に任せて。もう一度、一心の童貞……クフッ……私にちょうだい」


 キャー――!


 ダメだ。

 舌なめずりする優月には、こっちの話が全く耳に入っていないようだ。


 身体から、まるで蒸気が上がっているのを幻視させられるほどに身体が熱くなっている優月が、ゆっくりとブラウスの前を開き、スカートのホックを外そうとする。


 それにしても、何で優月は急にこんな豹変を……。


 って、このままじゃまずい。考えるのは後だ!




「緊急脱出!」




 叫ぶように発した言葉により、目の前の景色が流れていく。



「え、あれ?」


 先ほどまでいた、豪邸のようなあの部屋から、現実の学校の屋上に座っていることに、優月がキョトンとした顔をする。


「ふぅ。危なかった」


「私達戻って……え、なんで⁉ してない……私達、まだセックスしてないのに何で!?」

「優月……ここ学校だから、あんまりセックスって単語を大きな声で言うのは」


 屋上に人けが無いとはいえ、大きい声を出すと校庭に響く。


「なんで⁉ ねぇ、何が起こったの一心!?」

「俺にはあの部屋の管理者権限があるからね。その機能で緊急脱出したんだよ」


「なにそれ!? 反則じゃない! ズルよ! セックスしなくても出れるなんて詐欺だわ! 優良誤認だわ!」


 地団駄を踏み抗議する優月。

 何で、そんな怒ってるの⁉


 あと、セックスしなきゃいけない点は優月的には優良なの?


「だって、優月。明らかに様子がおかしかったじゃない」


「おかしいのは一心の方よ! 私があんなにムラムラ、辛抱たまらなくなる催淫ガスをあの部屋に充満させたのに、なんでそんな冷静なのよ!」


「催淫ガス?」


「あ……」



 なんとも気まずい沈黙が2人の間に流れる。



「管理者権限で、さっきの優月の注文履歴を確認っと……」

「止めて一心! お願いだから!」


 すがり付いてくる優月の事は無視して、出現したホログラムウインドウを開いて、内容を確認する。


 その結果は……。



「本当に頼んでるし……」

「まことに申し訳ありませんでした」


 呆れ顔の俺の前で土下座する優月という図式に相成った。


「まさか、こんなカテゴリの商品があるとはね。精力剤に意識はあるけど身体は動かせなくなる睡眠剤にと、随分バラエティ豊かだなぁ」


 優月の頼んだ商品のおすすめ商品を見るだけでも、実に多様なその手の商品がラインナップされていた。


「うう……あの部屋の記憶が大して残ってない一心なら、先手を打って一気に詰ませられると思ってたのに……そんな、一手で全ての盤面をひっくり返せるだなんて卑怯よ!」


「初手で催淫ガスを注文した人に卑怯呼ばわりされるとは」


「ご、ごめんなさい……。でも、一心には全然効いてなかったじゃない」


「たしかに、仕掛けた優月が、誰よりも興奮してたね。けど、これも管理者権限ってことなのかな」


 ウインドウを空中に走らせると、管理者に関する説明文が出てきた。


 どうやら、管理者はあの部屋での状態異常効果については、無効化がデフォルトでオンになっているようだ。


 なお、任意で管理者にも効くようにすることは可能なようだ。


 とりあえず、優月がまだ何か企てているといけないので、この設定項目はオンのままにしておこう。


「うん。やっぱり管理者の俺には効かないみたい」


「そんなぁ……」


 膝と手を地面につき、激しく落胆する優月。


「っていうか優月。しばらく、あの注文用のタブレットに触れて無かったって言ってたけど、ひょっとして、今回と似たような事をしでかしたから、当時の俺に取り上げられてたってことなんじゃないの?」


「…………記憶にございません」


「どうやら、図星みたいだね」


「そういう所は勘が良いのよね、一心って。でもそこが しゅき」

「はいはい、ありがとう。じゃあ、そろそろ教室に戻ろうか」


 お弁当用に広げていたレジャーシートを畳みながら、俺はスマホで時間を確認する。

 そろそろ昼休みが終わりそうな時間だった。


「あ、その前に、ちょっとセックスしていこう」

「サラッと言えば、俺がOKすると思ったの?」


 もう、なんか優月は必死だな。

 童貞を捨てたくて焦りまくってる男子大学生みたいだ。


「だ、だって、だってぇ~! さっきの催淫剤の余波が残ってて、下腹部の辺りが切ないの……だから、お願い一心。私のこと、慰めて」


 教室へ戻ろうとする俺の足元に、優月がすがり付いて来る。


まるで朝、会社に行こうとするお父さんに『行かないで!』とすがる子供のようだ。


「こっちじゃ無理だよ」

「じゃ、じゃあ、またあのお部屋行こ? 今度は私、ちゃんとするから」


「……今回の事で、俺自身があの部屋の事をもっと知る必要があることを痛感したから、それらを把握するまでダメ」


「やだやだ~! エッチしたい! セックスしたい! またしたい! すぐしたい!! 我慢なんてできない!!」


 まるで駄々っ子のように聞き分けのない優月。

 だが、要求している内容はちっとも子供っぽくなく、可愛くない。



「だから優月、声大きいって!」


「やだやだやだやだぁ~~! じゃあ、私とセックスしてぇ~! お願い、一心~~!」


 優月は、今までクールで孤高の美少女だと思っていたのにキャラ崩壊もいいところだ。

 一皮むけば人間なんてこんなものなのか?


 それとも、つい内なる欲望を曝け出してしまうように、あの部屋は出来ているのか?


 解らないが、とりあえず足元にすがって、俺にエッチしてと懇願してくる優月と、優月の泣き声に反応して覗き見ている幾人かの生徒の姿を見とがめて、俺の日常は脆くも崩れ去った事を悟り、屋上を見上げた。



「ああ……空キレイだな……こんちくしょう……」



 あの部屋では神に等しい力を持つが、現実では無力な俺には、ただ空を見上げて現実逃避することしかできなかった。

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