第8話 私が知っている男は一心だけだから


「あ! これ、私の好きな、ちくわのコチュジャンマヨ焼き!」


 優月が、弁当箱の中から早速、自分の好物を見つける。


「あの部屋でも優月が好きで、よく作ってたよな」

「嬉しい! これ、無限に食べれちゃう」


 辛い物好きな優月は、早速口に入れて顔をほころばせる。


 昼休み。


 前日に約束していたのと、周囲の目が痛いので、俺と優月は人気のない屋上でお昼のお弁当を広げていた。


 この屋上は、他の生徒もいないし、内緒話をするには打ってつけだ。


「そういえば、あの部屋に閉じ込められた初期の頃は、優月って中々、俺の料理食べてくれなかったよな」


「え……一心、その時の記憶はあるんだ……」


「『ご飯は自分で出来合いの物を食べますから結構です。食事も一緒に摂る必要は無いので』って言ってさ」


「やめて、一心……私の黒歴史をほじくり返さないで」


 弁当を食べながら、涙目でプルプルする優月が見れて、ちょっと嬉しい。


「まぁ、警戒するのは当然だよな。あの部屋に、大して仲良くも無い男と一緒に閉じ込められてさ。優月も不安だったろうし」


「うん……最初の頃は、一心の人なりも解らないし、いざ力づくで来られたら女の私じゃ負けちゃうし……変な薬とか入ってて無理やりとか、考えちゃって」


 優月が申し訳なさそうに、シュンとする。


「でも、その言い方だと、その内に毒味はやらなくなったんだよね? なんで?」


「そ、それは、一心がそういう卑劣な真似をするような人じゃないって、徐々に解って来たから……」


 少し歯切れの悪い優月の返答に、記憶が所々抜け落ちているとはいえ、長い期間をあの部屋で一緒に過ごした間柄だ。


 優月が、真意は隠してるなという事にはすぐに気付き、同時に少し意地悪をしたい衝動がムクムクと沸き起こる。


「でも、悪い男だったら、そうやって信用させた頃にガブリ! だったかもしれないよ?」


 俺の追及するような質問に、優月が押し黙った後に、意を決したように口を開く。


「……その頃の私は、そうなったとしても一心と結ばれたいと思ってたから」


「お……おう、そうなんだ……」


 上目づかいで、潤んだ紅い瞳に見つめながら不意打ちの告白を受けた俺は、自分で聞いておいて思わず照れてしまい、顔を背けてしまう。


「リアクションそれだけ? 私、けっこう恥ずかしいこと言ったんですけど」


 顔を赤くしながら、優月が抗議してくる。


「意地悪してゴメンって」

「むぅ……別にいいけど。先に好きになったのは私の方なんだし」


 隣に座る優月が、コテンッと俺の肩に頭を載せる。


 優月が自然にやってくるので、俺の方も思わずそのまま受け入れてしまっているが、記憶の無い俺としては、ドキッとさせられる。


「身体に力入ってる……一心」


「ご、ごめん。だって、あの部屋にいた時の俺と違って、優月みたいな可愛い女の子にくっつかれるのに免疫が無くて」


「ぐはっ!」


 急に優月が胸の辺りを掴んで苦しそうにする。


「だ、大丈夫、優月!?」


「ヤバい……初(う)心(ぶ)な頃の一心とか……もう一度、この時を味わえるなんて、神様ありがとうございます……」


どうやら大丈夫みたいだ。


あと、神様ってどうやら、思った以上にくだらない存在みたいだよ優月。


「あの部屋での俺達ってどんな感じだったの?」

「あの部屋での私達? そうね……」


 ここで、優月は口元に手を置いて少しの間、熟考する。


「一心って優しくて、一緒にいるのが楽しかったの」


 微笑みを口元にたたえ俺を見上げながら、そっと優月の指先が俺の指に触れる。


「あの部屋で毎日、四六時中一緒で、引っ付いてくる私を可愛がってくれて」


 指先で威力偵察をした後に、大胆に侵攻してきた優月の指が、俺の指をフニフニ、ニギニギしてくる。


 何この指の動き、エロ過ぎるだろ……。


「そ、そうなの? でも、俺に残ってる記憶の中のあの部屋での優月は、こっちの印象通りのクールっぽかったような」


「それは大分、初期の頃の私ね。それにしても、そうなんだ……一心には、その頃位の記憶しかないんだぁ~。いい事聞いちゃったなぁ」


 優月の指先の侵攻は、じっとり手汗をかいた俺の手のひら部分まで進み、優月の手が重なり合い指同士を絡めて。


「ゆ、優月?」


「フフフッ、こっちの話だよ」

「あ……」


 絡まり合うと思った優月の指先は、交わることなく、スルリと俺の手から退却していった。


「どう? ドキドキした?」

「……俺が実質、童貞だからってからかって」


「そりゃ、私はあの部屋の記憶があるから、色々と経験済みな訳だしね」


 不平を言う俺に対し、まるでHな大人のお姉さんみたいに余裕ぶる優月。


「けど、相手は俺なんでしょ?」

「そうよ。経験済みだけど、私が知っている男は一心だけだから、安心して」


 いや、何に対する安心なんだか……。

 そして、俺も何を内心ではホッとしてるんだか。


 しかし、こういうスキンシップでは、実質童貞の俺では、経験済みな優月に対して太刀打ちできないので、本題に入る。


「そ、そう言えばあの部屋について、昨日、家に帰ってから重要なことがあってさ」

「なに?」


「あの部屋のゲームマスターである女神様が現れてさ。俺の脳内に、あの部屋の管理権限が刻み込まれちゃったから返せ! って苦情を言いに来たんだ」


「ちょっと、設定が渋滞してて、半分くらいしか頭に入ってこなかったんだけど」


 優月が、理解が追い付かないという顔をする。



いや、概略を説明するとこうなっちゃうんだよ……。

決して、俺の説明が下手くそな訳ではないと思いたい。


「論より証拠。じゃあ、一緒に行ってみよう」


「え?」


 心の中で『ルーム展開』を唱えると、俺と優月を覗いて空間が歪み、学校の屋上からあの白い部屋へと景色が変わる。




「すごい! 本当にあの部屋だ!」


 部屋を一瞥するや、驚きの声を上げる優月。


「俺にも既視感があったけど、やっぱり優月的にもそうなんだね」


「うん。あ、これ!」

「ああ、このキッチンね。夢のアイランドキッチンが注文できたから、思わず設置しちゃったんだ。なんと、この部屋って空間が無限で、室内にあるこのタブレットで注文すれば、瞬時に部屋に設置されるんだぜ」


 昨夜、少しこの部屋の操作に慣れるために触ってみた。


 そして、解りやすく初期位置と思しき場所に置いてあるタブレットをいじってみると、この部屋の使い方マニュアルや、注文アプリが入っていた。


 どうやら、この部屋へ入れられた人が使うための端末が、このタブレットのようだ。



「アハハッ! そのキラキラした目。初めてこの部屋に来た一心も、同じように目を輝かせてたよ」


「あ、そうか……よく考えたら、優月はこの部屋の記憶があるんだから、そりゃ知ってるか」


 ドヤ顔で一人ではしゃいでた俺が、子供みたいで恥ずかしい。


「部屋って言うけど、本当に色々な事が出来るんだよ。色々と、いやらしい制約もあったけど」


「そうなんだ」


 その辺は、ゲームマスター権限で、当時のアヤメが色々と設定していたのだろうか?


「このタブレット触るの久しぶりだな~」

「って言っても、つい先日までこの部屋にいたから、使い慣れた物じゃないの? これで、色々と生活必需品を注文していたんでしょ?」


「え? あ、ああ……そっか、やっぱり、その辺の記憶も失ってるんだ、一心は」


「……? 当時、何かあったの?」


 何だか、優月がタブレットについて含みのある物言いをする。


「何でもないよ~。あ! 私、ここで一心が淹れてくれるコーヒーが好きだったんだ。折角だから、淹れてくれない?」


「うん、いいよ。どうせ、現実世界では1秒も時間は経過しないからゆっくりしよう」


 さすがは、俺と長く一緒に暮らしていたらしい優月だ。

 俺がフレンチプレス式で淹れるコーヒーに最近凝りだした事をご存知なようだ。


「フフッ。時間を気にせずに好きなだけ休憩出来ていいね。あ、私が当時のインテリアのレイアウトを再現するから、タブレット借りていい?」


「助かるよ優月」


「いえいえ。じゃあ、これコーヒープレスと豆ね。これをよく頼んでたんだよ一心は」


「わぁ! これ最高級のコーヒー豆と器具じゃん。楽しみだなぁ」


 この部屋で頼んだものに、一切お金はかからない。

 つまり、お財布が無限大状態で、好き勝手にネットショッピングが出来るのだ。


 これはテンション上がる。


「じゃあ、私はちょっとあっちで色々と注文するわね」


「うん、よろしく~」


 この時の俺は、普段はとても手が出ないお値段のコーヒー豆に夢中で、全く気付かなかった。


 優月がタブレットを持って、ニチャッとした笑みを口元にたたえていることを。

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