40話

 桃佳とうけいは明日蒙蒙モンモンとともに玄龍祠げんりゅうしに行くために、榮騏えいきとの特訓をある程度教示したので離脱し、その準備を進めていった。


 まずは、蒙蒙モンモンは榮騏の家の裏にある納屋に桃佳もついて行く。

 桃佳は足の踏み場もなく、雑多に物が置かれいる納屋を進んでいく。


 そんな納屋の中を、蒙蒙モンモンは軽い足取りでひょいひょいと避けながら、奥へと進んでいく。

 すると、蒙蒙モンモンが桃佳の前に戻ってきた。

 すると彼女は大小の行李二つずつと、それを乗せて背負う背負子しょいこ二つ、さらに桃佳がぎょっとするようなものを持って来た。


「玄龍祠に行くには、このくらいの長さが無ければらならないのだ」

「えッ……!?」


 それは、昨夜榮騏を縛ったものより何重にも巻かれた長い縄だった。それを見ると桃佳は、それでないと登れない高さもある崖の上に玄龍祠があるのかと不安が募り、脚がガクガクと震え出してしまった。


「桃佳がその調子だと、玄龍祠に行くのは無理なのだ。やっぱり諦めるのだ」

「あぁもう!何で分かんないの!どうしてもそこに行かなきゃいけないの!あんたはそうきっぱり言うけど、この国の命運がかかっているの!」


  蒙蒙モンモンは桃佳に諦めを促したが、それでも桃佳は自分に課せられた使命を果たさなければいけない。

 どのような危険を冒してでも、玄龍祠へと行かなければらならなかった。


 その後彼女らは、火打石や、水を汲むための木桶、それ飲むために入れる竹筒、寝る時に敷く藁むしろなど、野営に必要なものを大きい革の巾着袋に入れた。


 次に榮騏の家のくりやへと向かい、戸棚から桃佳の食料となる往復二週間、一日三食分の餅子ピンズを二つずつ竹の皮に包んで小さい巾着袋に入れた。


「ところでさぁ、この餅子ってあんたはいらないの?」

蒙蒙モンモンはそんなもの食べないのだ。その辺で獣や鳥を狩って食べるからいいのだ」


  何気なく桃佳が聞いたことに対して、ワイルドな回答をした蒙蒙モンモンだった。

 しかし桃佳は、彼女が半人半妖だったことを忘れていたので、思わずおぞましいヤツだと恐怖をそそられるのであった。


 そして、彼女らは一通り準備を終えた時にはとっくに日は傾いていた。すると、榮騏とともに特訓を受けていた子瑞しずい昌信しょうしんが戻って来る姿が見えてきた。


 それに気づいた桃佳は、彼らがここへたどり着く前に、自分の気配を悟られないように、いずこへと姿を消していった。

 それには、蒙蒙モンモンも気づかなかった。



                 * * *



 桃佳は何とか誰にも気づかずに、子瑞らの目を盗むことが出来た桃佳は、彼らの前から姿を見られずに済んだ。

 この時桃佳は、榮騏との周天法しゅうてんほうの特訓をした時点で、大量の汗で上衣もズボンもびっしょりと濡れていた。


 そんな状態で、明日の支度を蒙蒙モンモンとし続けていたため、更に服が重くなるほど汗でまみれていた。


 桃佳は榮騏の家からわりと離れている場所で自ら着ている服、そして自らの身体の汚れを落とすために小川を探していたのだった。


 この石者山せきさざんで、榮騏と初めて出会った際、桃佳が着ていた服に付いた血を落とすためにその地点の付近の川で洗っていた。

 その際、彼を子瑞と昌信に取り押さえてもらったため、自らの醜態を晒すことは避けられた。


 そのような目に遭わないように、その川と別の榮騏の家から一番近い川から、更に先の川へと向かっていた。


 そうして日が沈もうとしていた時、一つ小川を越えた先に水浴びをするのにちょうどいい川岸に浅瀬のある渓流へとたどり着いた。


 ようやくあの、榮騏のような自分がタイプだというスケベな男に対して裸体を目撃される心配をしなくても、自分の身体を清めることがやっと出来る。


 とはいえ桃佳は、それでも人の気配を感じないのか用心した。辺りを見回して、生ある者――――特に異性の人間がいないか確認した。


 ようやくそのような事態にならずに済むことを判断して、桃佳は川辺で上着とズボンを脱いで、下着だけを身に着けた状態で、脱いだ上下の服をごしごしと洗った。


 洗った上衣とズボンを、更に下着まで脱いでそれも川で洗って岩の上に干し、自らの巨乳を露にした裸体を、誰に見られる心配することなく剥き出しにした。


 川に入った桃佳は、川岸の浅瀬から奥に進んだ膝上までの深みがある箇所にたどり着いた。

 そこにしゃがみ込んで肩まで川に浸かって、身体中の汚れを落とした。


 今度は髪を洗おうと立ち上がり、それを結って作ったお団子シニヨンを解いた。そして、上体をかがめて顔を横に向けてその長い髪を水面につけて洗った。


 もうしばらく気持ちが良くなるまで水浴びしたい桃佳だったが、日が沈みそうになっていたので岸へ上がろうと立ち上がって、川辺近くの元いた浅瀬の方へと向かった。


 その時だった……。


 後ろの方から突如、バシャバシャと水しぶきを上げるような音が桃佳の耳に入った。そしてすぐに、桃佳の影がさらに大きなそれに覆われた。

 彼女はその音源を確かめるべき後ろを振り向いた刹那だった。


 そこには、人とは思えないような形態をした水妖がいたのだった。それが水面から勢いよく水しぶきを上げて跳び上がった。


 その様相は、全身が青黒い鱗が生えており、下半身は魚体となっており、ヒラヒラとした鰭がその身体のラインに添うように生えていた。

 そして上半身はというと人間の体型をしていたが、全身が鱗で覆われていた。


 その胴体から生える頭部には、妖怪というに相応しく、身体と同じ青黒い長髪を振り乱していた。更に吊り上がった細長い目に、顔の下半分が長く鋭い牙が何本も生えた口が占めていた。


 浅瀬に上がった水妖は、身体を這わせて桃佳へと近づいていった。


「ギャアアアアアアァァァァァァ!!」


 桃佳はこの事態に対して、自らの予想を上回る危機にさらされ心臓がひっくり返って、けたたましい悲鳴を上げ腰を抜かした。

 この石者山に登る前、麓の哥邑かゆうの村で、萃慧すいけいの祖父から、人を喰らう妖怪が出ると言ったことを思い出した。


 その忠告は的中したとはいえ、今現在桃佳自身が全裸となっている状態でその危機を回避することが出来なかった。


 そのまま桃佳は浅瀬の小石につまずいてうつぶせにで倒れ、後ろを向くと目が水妖に釘付けにされて動けなくなってしまった。


 そして間も置かずして、水妖は桃佳の真上に跳びかかった。

 化け物は『キシャアアァァッッ』という奇声を上げて、顔の下半分を占めた口を大きく開けて牙を向けて食らいつこうとした。


「来ないでええええェェェェ!!いやああアアァァァァ!!」


 しかしその瞬間、水妖は桃佳の脚元の寸前まで跳んで来たと思いきや、彼女の上方から氷の刃が空を斬り、それを縦に真っ二つに裂けた。


 桃佳は水妖に喰われるか否かという寸前で、それを回避出来たことで安堵した。


 しかし、そうであるとすれば、誰かが斬ってくれたというのは確実である。

 すなわち、ここに自分以外の来ているということだった。


 桃佳は安堵する暇もなく、水妖に向けていた顔を恐る恐る振り向いた途端、そこにいたのは冷迅刀れいじんとうを構えた子瑞と、その横には昌信もいた。

 子瑞が氷斬撃ひょうざんげきを放ち、目の前の水妖から救ってくれたのである。


「危なかった。まさかここまで水を汲みに来たら水鬼すいきが潜んでいると思わなかったぞ」

「桃佳!大丈夫だったか……!?」


 そう言った子瑞らが桃佳に駆け着けようとした時だった。桃佳は、今度こそ遭ってはならない危機に瀕し、一気に羞恥の念に駆られ、心の奥底から叫び声が上がった。


「キャアアアアアァァァァァッ!!こっち来ないで!!見ないで!!!」

「何だ桃佳!!そんな恰好してるんだ!!」

「何故、ここまで来ているのだ……!?」


 自分の裸体が異性――――しかも二人同時に見せたため、彼らを釘付けにさせてしまう。

 今度こそ最悪の事態が現実となった桃佳は、脳内がかき乱され頭痛で倒れそうになった。


 しかし桃佳は、目の前に水鬼の屍があるにも関わらず、自分の持ち前の巨乳のついた裸体を、彼らから見えないように背を向け蹲った。


 一方、全裸となっている桃佳を見つめている昌信らは二人して、彼女の『見ないで!!!』という叫び声に身体をビクつかせ、紅潮した顔を手で覆い見なかったことにしようと努めた。


「ちょっと……!!二人ともまだ見てるでしょ!!あんた達こそ、何でこんなところまで来たの!?」

「違う……我らは水を汲みに来ただけで……手前の小川の上流が毒沼で汲めないからここまで……」


 子瑞はありのままの事実を告げたが、その覆い隠した手の指と指との間に隙間が出来ていた。

 彼と同じように顔を覆いつつ桃佳の裸体を覗いでいた昌信は、自分達を正当化した主張をする。


「子瑞がお前を化け物から救けてやったんだぞ!!それなのにお前は」

「おぉ、何か桃佳の悲鳴が聞こえたから来たのだが。何だお前ら!二人とも顔を隠してガクガクしてんだよ。ん……?」


 最悪の事態が起きてしまった。


 何と、榮騏がここまで駆けつけてしまった。彼は、横たわって噴き出した血とともに凍りついた水鬼の屍とその手前に蹲った、全裸の桃佳に目がついた。


 彼の声が桃佳の耳に入ると、今度こそ羞恥の念が頂点に上がって、全身の毛穴が開き、心臓が爆ぜてしまいそうになった。


 全裸の桃佳を見た榮騏は、彼女のふくよかな胸部に対して性欲が湧く出す前に、その容姿を目にした衝撃で頭の中が真っ白になり、鼻血を勢いよく噴出してそのまま卒倒してしまった。


「ああああ……ああぁぁ……うぐっ……ぐすっ……」


 桃佳は淫らな姿を自分がタイプだという男に見られたことに、悲鳴にもならない悲鳴を上げて涙が止まらなくなった。


「昌信!子瑞くん!そのエロジジイを何とかして!水汲んだらさっさとあっち行って!!」

「は……はいッ!」


 こうして、桃佳は川岸の方へと行かずにその場にとどまった。一方昌信と子瑞は、さっさと持って来た木桶に汲んだ。

 そして、卒倒した榮騏の巨躯を、臍下丹田せいかたんでんに力を込めて全身に流気を流した昌信が一人で背負った。そして彼と子瑞は木桶に汲んだ水を提げて、さっさと撤収したのだった。


 その後、桃佳は彼らがいなくなったのを確認して、川岸に上がり服を身に着けて、自分が起こした醜態を起こしたことを悔やんで、トボトボと榮騏の家へと向かって行った。

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