33話

 陰昇士いんしょうしとして幻世げんせから四鵬神界しほうしんかいに転移した大男は、甄祥しんしょうに跳び掛ろうとしたとき、榮騏えいきはすぐさま彼女の目の前に立ちはだかった。


 榮騏は全長4尺(92cm)しかない剣で大男の斬撃を受けるべく剣で防いだが、虚しくもそれが真っ二つに折れてしまった。


 しかし、その時大男の動きがピタと止まった。彼が持っていた大剣は榮騏の前髪に触れていた。


 その原因は、左にいる何やら両手で印を組んでいる男の存在にやっと気づいた。


 どうやら伯黎はくれいは自らの気術で、大男の動きを封じ込めていたのだった。

 そのおかげで、榮騏は大男の大剣に斬られると言う事態が避けることが出来た。そして伯黎は印を組んだまま、大男にめがけて大きく、声をかけた。


「君は強い!なんという猛者なんだ!!陽招士ようしょうしの兵をあっけなく殺めた君に何かを感じる。名は何というか?」

「伯黎!何を言っているんだ!?急に」


 伯黎が大男に何を感じたのかどうか分からないが、彼からの攻撃を防ぎきれず二つに割れた剣を放り出した榮騏は、伯黎狂気を感じた。


 すると、伯黎に動きを封じ込められていた大男は、彼が印を解いたことで動けるようになったと思いきや、榮騏を斬ろうと振り降ろそうとしていた大剣を引いたのだった。

 そして自由に動けるようになったのに、榮騏に逃げられた大男は舌打ちしながら、横目に伯黎を見て、やっと聞こえるかどうかわからない声で言った。


「……カイル……だ」

「カイル?聞いたことのない名前だな。お前は俺の義弟にしてあげよう」

「はァ!?」


 大男は『カイル』という自分の名を言っただけで、何もしかけて来なかった。しかし伯黎は、それを聞いて衝撃的な発言をしたのだった。

 それに対して甄祥は、大男の恐怖のあまり閉ざしていた口をようやく開く。


「伯黎!!このようなおっかない者を義弟にするとなど言い出しおって!!」

「ははは!この陰昇士の男は、確かに人の命を何とも思わずに殺してしまった。だがその強さは、大将軍の強さに相応しいと思います」

「この男が大将軍に相応しいだと!?お前は何て命知らずなんだ!!」


 榮騏は、『カイル』という大男を是が非でも大将軍に就かせたくなかった。

 そして自分が大将軍を辞めるという理由で、陰昇士として彼が召喚されたのは、自分が原因だと自責の念に駆られて頭を抱えてしまった。

 

 未だ誰も襲う気配なく立ち尽くしているカイルを、どうしても義弟にしたいと主張する伯黎は、一度榮騏に遮られた言葉を得意気に続けた。


「私が彼を義弟にすることで、危害を加えないように努めます。さあカイル、お前に武器を与えよう。それでは、陰昇器いんしょうきを……」

「主上!そやつに陰昇器を渡してはなりませぬぞ……あァッ!!」


 榮騏が声を上げたのは、甄祥がそれぞれ片手ずつ手にしていた陽招鏡ようしょうきょう陰昇玉いんしょうぎょくの二つの両召宝具りょうしょうほうぐが独りでに上昇したからだった。

 どうやら印を組みなおして伯黎が、自らの導術で彼女から奪ったのであろうか、虚しくもそれらが甄祥の元から離れていく。


「伯黎!何をするのか!」

「まあまあ、落ち着いてください。見てのとおりです」


 やがてカイルの左前に陽招鏡が、右前に陰昇玉が降りてくる。


「さあカイル、左手に鏡を右手にぎょくを取り、それを鏡にかざすんだ」

「貴様ァ!!こやつにこの国を好きなようにさせる気か!!」

「やめろ!伯黎、お前には見損なったぞ!!」


 榮騏の怒号も、甄祥の叱責も虚しく、カイルは陰昇玉と陽招鏡を受け取ってしまった。そして、陰昇玉を陽招鏡にかざしてしまった。


 陽招鏡の鏡面と陰昇玉とがそれぞれが紫黒の閃光を放つと、間もなくして前者が波打つとともに、何やら両極器りょうきょくき――――彼の場合陰昇器いんしょうきがそこから出現した。

 

 不穏な光と空気に包まれた榮騏と甄祥が目を凝らして、波打つ陽招鏡の鏡面から出る陰昇器が何なのかを見やると、どうやらカイルが持っていた物と同じような太さのさらしが巻かれた大剣の柄だった。


 更にその武器は姿をゆっくりと現し出す。次にその大剣と思われる鍔、そして鞘が出てくる。それを見ると、刀身の幅が広く図太い大剣であろうと思われた。

 

 その様子をまじまじと見ていた榮騏は憤ったあまり、自らの臍下丹田せいかたんでんに力を込め、それをふいごにして流気りゅうきを全身に張り巡らされた気脈きみゃくのうち、両脚に集中して流し込んだ。

 

 何と榮騏は、流気を集めた両足に力を入れて、目にも止まらぬ速さでカイルがいる方へ疾走したのだった。


「陰昇器を、こやつカイルに渡してたまるか!!」

「貴様!!何をする!!」


 榮騏は伯黎とカイルとの距離を圧倒的な速度で縮めていく。伯黎は何故彼が邪魔するのかが理解できなかった。


 榮騏の軽功けいこうによって、カイルの目前まで迫った榮騏は、今度は右腕に流れる気脈に流気を溜めた。

 陽招鏡から出てきたのは、幅が1尺(23cm)もあり、全長が6尺半(138cm)もある大剣だった。榮騏はその柄を右腕で鷲づかみにして、その切っ先まで全部抜き出してしまった。


 その瞬間、伯黎とカイルはその一部始終を見逃すことはなかった。彼らが不意を突かれて榮騏が起こした略奪行為を受け、自分達の邪魔をされたことに衝撃を受けた。


 榮騏を逃すまいと、伯黎は彼の動きを気術で止めようとしたが、彼が軽功を使って姿を捕らえることが出来ず、失敗に終わった。

 それどころか彼を目視することすら出来ないほど、居場所を掴むことが出来なかったのである。


 獲物を逃がした伯黎は、その悔しさに歯を食いしばり、皺を深く刻み込むほどの顔をしかめ。

 カイルも自分の武器を盗られたことで憤怒の表情を表し、榮騏がどこにいるか目を大きく開き、必死に首を動かして探した。


 しかし両者はともかく、甄祥までも榮騏の姿を捕らえることは出来なかった。


流榮騏りゅうえいきめ……そこまで私の邪魔をするのか……!」

「おいッ!さっきの武器はどこへ行った?」


 そこにいた三人が、盗人一人探すのに必死になっていた頃、その本人は既にこの黒智宮こくちきゅうから姿を消していたのだった。


 自分がもらえるはずの武器を盗まれたカイルは、床に落ちている召喚された時に使っていた大剣を拾って持ち直す。

 そしてその一撃を伯黎にぶち込もうと跳びかかってきたが、即座に彼は左手で印をつくった。


 その次の瞬間、伯黎はもう片方の右手をカイルの左胸に当てて、何やら呪文を詠唱しだした。


急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう……」


 すると、伯黎によって動きを封じられたカイルの左胸に、かつてこの世界が創られるまで支配していた悪しき獣神蚩尤しゆうを模した紋様が現れる。

 やがて蚩尤を模した呪印が左胸に刻まれたカイルは、その場に膝を地に突いてしまった。


 そして、その呪印は彼が装着している板金で出来た鎧の上からは見えなくなる。どうやら、それがカイルの肉体に刻まれたのだろう。

 

 ひざを折って前かがみになり、気を失ったように俯いている大男の前にいた伯黎は、甄祥の方を向くとにっこりとした明るい笑みを振りまいた。


「何だ伯黎!?こやつはわらわにも、お主にも抗えぬようになったというのか!?」

「もう心配ございません主上。この男に呪印を施したので、彼は絶対に逆らいません。主上にも、私にも」


 あの狂暴なカイルに呪印まで施してまで、彼を欲する伯黎の意図が甄祥には、理解出来るはずもなかった。

 ただこれで安心してはいけない、このカイルを大将軍に就かせていいのか、それとも榮騏を連れ戻して就くべきなのかどうか判断できなかった。


 だが榮騏は、冬亥国の禁軍に加えて州師にも加わって国内を捜索したが、21年後の現在に至るまで、杜州としゅう石者山せきしゃざんにいることなど判明しなかった。


 一方カイルは、召喚時に伯黎によって呪印を施したことで、彼の命に従う――――と言うよりは服従するようになった。


 カイルには、伯黎によって“たきに打たれても、堂々としている”様から、”瀧魁瑠ろうカイル”と名を付けてもらった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る