28話

 流榮騏りゅうえいき桃佳とうけいが野盗団に襲われていたのを救助しようと子瑞しずいらの目の前に現れた。


 彼は桃佳を救った後、約1丈半(3.45m)もの幅がある川を飛び越えようと、彼女の身体を自身の左肩に担ぎそのまま助走をつけて一気に飛び越えた。


 桃佳は榮騏の肩の上で抵抗していたので、彼の急に起こした行動によって、自分の身体に激しい衝撃を受けざるを得ず、心臓が止まる思いをした。


 そのため彼女は、白目をむいて顔面蒼白になり、痙攣をおこしてしまった。彼女はその感想を震える唇から漏らした。


「あの……さぁ……、い、いきなりさ……か、川跳び越えるとか……あ、あり得無くない……?」

「はっはっは!!嬢ちゃん、そんなことを言ってたら龍召士りゅうしょうしにはなれないぞ!」


 榮騏は桃佳が玄龍を召喚出来なければならないのを分かっていたかのように言うと、左肩に担いでいた桃佳を降ろす。

 桃佳は、足を崩してその場にへたり込んで、終いには身体が倒れてしまった。


 子瑞と昌信しょうしんは桃佳が相次ぐ災難に見舞われたことに心配した。


 子瑞は気を取り直して、目の前にいる男が榮騏だということを事実だと捉えて、自分が何者であるかを包み隠さず打ち明ける。


「お主が、”流榮騏”であることはまことなのだな。余は亡き母王泉甄祥せんしんしょうの遺言により、王に即位した泉子瑞せんしずいだ。そして、この男は陽招士の日昌信ひしょうしん、彼女は龍召士の星桃佳せいとうけいだ」

「お前が王であることはもうとっくに知っている。風の噂によるとお前の母ちゃんが死んで、妹との王位継承争いに負けたんだろ。それで、妹王派の海伯黎に簒奪されたってわけなんだろ」


 榮騏が今起きている事態をすでに知っていたので、子瑞と昌信は口を大きく開けて吃驚してしまった。

 ちなみに桃佳は既に痙攣は止まったが、やもなく気絶してしまったので、その言葉を耳に入れる余裕などなかった。


 その様子を見ていた萃慧すいけいの祖父は、榮騏が王である子瑞に対する態度をわきまえなかったことに腹を立てた。


「榮騏!こやつときたら主上の御前で、そのように振舞うとは!失礼極まりないぞ!」

「なんだよじいさん、そんなこと言わなくっていいじゃないか?せっかくさぁ、子瑞も来てくれたしよぉ。はは、赤ん坊だった時の以来見てなかったが、お前が子瑞だって見ただけで分かったんだわな。にしても、ずいぶん大きくなったな!」

「そ、そのようなことはともかく、さっきもお主が言っていたが、桃佳が持っている杖を覚龍杖かくりゅうじょうであることが分かったのか?」


 赤子の頃依頼子瑞と逢っておらず、自分が目の前にいるのがその赤子が成長した姿だと解り、しみじみと榮騏が語った。

 すると子瑞は先ほどの桃佳が持っていたのが覚龍杖で、彼女が龍召士だと分かったのかを問いただす。


「あぁ、この杖に付いている覚龍珠かくりゅうしゅを見てくれないか?」


 そう言われて、子瑞と昌信はその黒壇の杖に巻き付いて金色に装飾された龍がくわえている覚龍珠を見ると、かすかに紫黒に輝きつつある。

 子瑞らはそれを見て、思わず神妙な面持ちとなった。


「これは!一体どういうことなのだ!?」

「それは……、ここ石者山せきしゃざん玄龍祠げんりゅうしがあるからだ!だから玄龍の龍召士であるこの嬢ちゃんがここに来たんだ!!」


 榮騏が今この瞬間に子瑞らに告げたことが気絶している桃佳の耳に入った。

 すると彼女は、玉帝ぎょくていが言っていたことが事実であることに気づいた途端、一気に疲労が吹き飛び、横に倒れていた状態から俊敏に跳ね起きた。


「うっそォォォ!!それマジ!!ホントにこの石者山に玄龍祠があるの!!」

「お、お前、いきなり起きあがるなよ!」

「そうだ嬢ちゃん。これを見りゃわかるだろ」


 昌信は桃佳が舞い上がるほど興奮したので驚いた。

 そして榮騏は、桃佳に僅かに紫黒に光る覚龍珠を見せて、桃佳がまじまじと眺めてそれを確信した途端、彼女は喜びの余り笑顔で小躍りした。


「本当だ!やっぱここに玄龍祠があるんだ。でも、石者山のどこにあるんだろう?」

「それは俺にも分からなんだ……」


 浮かれている桃佳だったが、榮騏が玄龍祠の場所も知らなかったので、それでも自分は玄龍を召喚することが出来るのかどうか不安になった。


「そんなことより桃佳、服が血まみれだぞ」

「ぎゃあああァァァ!!なんで早く教えてくれなかったの!!」


 そのような桃佳に対して、昌信は彼女を捕らえていた野盗の頭領が、榮騏に斬られたことによる返り血で着ている上衣が赤く染まっていることを教えてあげた。

 桃佳は昌信に言われたことに気づき、それを確認すると仰天してしまう。


「桃佳、とっくに気づいているかと思っていたのだが……我らが越えたそこの川の上流に浅瀬があるから、そこで洗うとよい」

「そうしたいけど……私着替えとか持っていないからね!!」


 子瑞は三度災難に遭った桃佳を気遣ってくれたが、桃佳はそれを聞いて自分の服の血を洗わなければいけない。


 桃佳は血で濡れた上衣から肌へと伝わる感触に虫唾が走るほど気持ちが悪かった。

 それでも、その川で洗うには服を脱いで、自ら下着姿にならなければいけなかった。


「ちょっと!私、向こうで服洗うから絶対こっち来ないでね!!」

「何だよ、ケチくさいな……嬢ちゃんの体形、俺の好みなんだけどな」


 桃佳は榮騏がボソッと呟いたことを聞いて、羞恥の念が募り彼に対する憤りが登り詰めていった。


「うっわ……マジ引くわ。子瑞くんと昌信はそのスケベジジイを取り押さえて!!私はアンタのせいで洗わなければいけないの!!私があんな目に遭ったのを忘れたの!?」

「何だと!!せっかく助けてやったのに俺のせいだっていうのか?じゃあそこで洗えよ!!――――って放せっての!!」

「桃佳、早く行くんだ!ここは俺と子瑞で行かせないようにする」


 桃佳に変態扱いされた上、自分のせいにされたことに腹が立った榮騏だった。


 しかし、彼はそのような御託を並べる暇もなく、子瑞と昌信に取り押さえられた。

 その隙に桃佳は、茂る森の中を流れる川の下流の浅瀬へと一目散に向かった。


 榮騏を取り押さえた二人は、彼の鋼のような筋力による抵抗を振りほどかれないようにせねば、桃佳が更なる災難に見舞われてしまいかねない。

 なので彼らは必死に彼を動かせないようにした。


 しかし榮騏の肉体は二人に取り押さえられ、しばらくは身を動かすことは出来なかったが、二人も限界というものがあり、やがて軽々と振りほどかれてしまった。


 子瑞と昌信はその衝撃で吹き飛ばされて尻もちをついてしまい、彼らに解放された榮騏は勢いよく両腕を振り、大股で駆けだしていった。


 彼らはせっかく捕まえた獲物を逃したかのように悔やむ暇も無く、すぐ体勢を整えて榮騏を追った。


 服を脱いだ桃佳の身体をこの眼で見たいという欲望に駆られた榮騏は、それに引き寄せられるように、川の下流へ向かって行った。


 するとそこへ桃佳の姿が現れたので立ち止まった。彼女はもう既に上衣を川で洗ったのか、血をある程度落とした上衣を着ていた。


 榮騏は足を止めると、桃佳が上衣を着ていたことにがっかりして肩を落としてしまう。


 桃佳の方といえば、子瑞と昌信が押さえたはずの榮騏が、力づくでも自分の上衣を脱いだ姿を見たさに二人を振り払ったのかと考えてしまった。

 そのため、彼を生理的な意味で嫌悪した意思を込めて、冷ややかな視線を向ける。


「あぁ……嬢ちゃん待ってくれよ。アイツらが邪魔しやがって……」

「うわ、何なのこの人?マジキモいんだけど」


 榮騏が肩を落としたのを見た桃佳は、目の前にいる破廉恥な男ががっかりしている様子を見て更に生理的な意味で嫌悪した。


 そして榮騏は自分の欲望を満たしきれず落ち込んだまま踵を返して、子瑞らの元へトボトボと歩き出す。

 桃佳も彼にドン引きしながらもついて行った。


 やがて桃佳と榮騏が、子瑞ら待っている上流へと引き返しとその途中で出くわした。榮騏に吹き飛ばされた彼らも、桃佳と同じように何か含んだような顔をしていた。


「榮騏、おぬしは桃佳のことを考えねばならぬぞ。この国の存亡の危機が迫っておるのに、我らがここまで頼って来たのか分からぬのか?」

「それより、子瑞はよぉ!こんな胸の大きい嬢ちゃん連れてきてくれたのに、お前らが邪魔するから。あぁ、21年振りの楽しみが……」

「そーゆー問題じゃないでしょ!私は、玄龍を召喚出来るようになるために来たんだからね!もうホントいやらしんだから!!このオッサン」


 本来の目的を子瑞が榮騏に述べたまでだったが、榮騏は自分が思わぬ収穫を取り損ねたことにすねてしまった。


 その被害者である桃佳は怒りを声に上げ、自分はちゃんとした目的を持って石者山に来たのだと主張した。


「これッ、榮騏!わしは、お主のとこへと主上をお連れして橋を渡ってしまったが、それがならず者どもに落とされたから戻れぬぞ」

「あッ、すまねぇ爺さん。俺が背負って向こう岸に跳んでやるからさ」


 そのようなやり取りを見ていた萃慧の祖父は、榮騏らが起こす騒ぎを傍目に、ずっと声を掛けられぬことを耐えられずに喚きだした。


 子瑞に自分の住処へと案内させていたのに、渡った橋を落とされたことに責任を感じた榮騏は、すぐさま萃慧の祖父と川岸に向かって彼を背負った。


 そしてでかい図体をしているにもかかわらず、俊敏に約1丈半(3.45m)も幅がある川を跳び越えて、対岸に地を脚に着いた。


 榮騏は萃慧の祖父を降ろしたが、彼はご立腹だったのか榮騏に何も礼を言わずに、山を下って哥邑の村へと引き返した。


 それに対して榮騏は踵をこちらに向けながら、顔は後方に向けたままで萃慧の祖父を剣呑な目つきで睨みつけて、こちら岸に川を跳び越えて戻ってきた。

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