26話

 石者山せきしゃざんの山中は深々とした森が広がっている。まだ昼過ぎにもかかわらず、日差しは木々の梢に茂る葉に覆われ、僅かな木漏れ日しか光が差し込むことは無かった。


 その後ろを子瑞しずい昌信しょうしん、そして桃佳とうけいは後宮の女官の一人、萃慧すいけいの祖父にこの石者山の山中にあるという、”流榮騏りゅうえいき”の住処まで案内してもらっている。


 萃慧の祖父を先頭に、その後ろを子瑞と昌信、そして桃佳が一列に並んで石者山を登っていく。その勾配は、最初は緩やかだったが、足を進めるごとに道幅が狭くなり、疲労が溜まりだすほど急になっていった。


 それにも関わらず萃慧の祖父は、足を止めることなく登っていく。子瑞らは彼が年齢の割に足腰が丈夫だという事実に違和感があると思った。


 そして桃佳はと言うと、前にいる三人よりもくたびれてしまった。彼らとの距離が段々と遠のいていく。

 桃佳の前を行く子瑞と昌信は、萃慧の祖父が歩みを止めることなく山中に流れる幅幅約1丈半(3.45m)の川にかかる丸太を数本束ねた橋を渡ってしまった。


「はぁ、ちょっと三人とも待って……!私まだ渡ってないんだけど……」

「おい、早くせぬと置いて行くぞ」

「そのようなことを……ここで余は待った方がよいと思うのだが。桃佳が橋を渡っておらぬのだからな」


 萃慧の祖父は桃佳に容赦なく自分について来るように桃佳に呼びかけたが、それに対して子瑞が桃佳に気遣う。こうして彼ら三人は、桃佳が対岸から橋を渡るまで、休憩を兼ねて待つことにした。


 ようやく、桃佳は向こう岸で待機している子瑞らの姿が見えた。彼女はそれを見て安堵すると同時に彼らの元へと駆けて、桃佳が橋を渡ろうとしたその時だった。


 桃佳が森から抜けたその時、背後の木陰からガサガサと音を立てて、ニ、三人の人影が現れた。それに気づいていない桃佳を襲おうとしているそれが大きくなった。

 それに気づいた昌信が、桃佳に危機が迫っていることを警告する。


「桃佳!後ろだッ!」

「もう遅いわ!!この小娘はいただいたぞ!!」


 そう言い放って桃佳を後ろから襲ったのは、野盗団の一員のようで、頭に頭巾を被っており、屈強な体つきをしていた。後ろから彼より痩せてはいるがそれでも、ガタイがいい仲間が更に二人も木陰に潜んでいたところ姿を現した。


 桃佳はそれに気づいて振り向くと同時に、自分の顔に向けられた剣の一閃を横目で確認した。それを避けようとのけぞってしまい、足をつまずかせて仰向けに倒れてしまった。

 その他途端、桃佳が右手に握っていた覚龍杖かくりゅうじょうが手から離れて、地に落ちてしまった。


 桃佳に向けて剣を一振りした屈強な体つきの野盗はそれを収めると、仰向けに倒れた彼女の身体を抑えつけた。そして、次々に仲間たちが自分を見降ろそうと寄ってくる。


 桃佳は倒れた状態にありながら、武骨な男に動きを止められ、自分に危機が襲い掛かることを自覚し、眼を見開いて涙があふれ出した。


「グヘヘへ……この乳が大きいこと。まず俺から揉ませろや」

「いいっスねこの娘、こんなに胸の大きい娘はこの辺にはいねぇからな」

「おい、何だ?この変な杖は」


 桃佳を取り押さえた野盗とは別の一員が、覚龍杖が桃佳の手元に落ちているのを見つけてしまった。すかさず彼は、その杖を拾って検分し始めた。


「この杖、龍が巻き付いていてなんかくわえているぞ」

「それはダメぇぇぇッ!!嫌アアァァッッッ!!!」


 桃佳は覚龍杖が右にいる野盗の一員が拾ったのを目にしたと同時に、自分を捕らえている野盗団の一員が、彼女の両腕を掴まれ動きを止められてしまった。


 子瑞は自分が恋焦がれる乙女が悪党どもに犯されようと発した悲鳴が耳に入り、彼らに対する憎悪の念が湧きあがる。


「昌信、これを。桃佳!今、余が助けるぞ!!」


 子瑞は左に小脇に抱えている陽招鏡ようしょうきょうを昌信に持つように差し向けた。

 昌信は、自分に出来ることと言えば、哥邑を発つ前に蓬華からもらっていた、重くてうまく扱うことが出来ない直剣を武器に戦おうとしたが、今は子瑞に任せるしかなかった。

 そんな自分を不甲斐なく思いながらも、陽招鏡を受け取った。


 両手に自由が出来た子瑞はその片方の右手で、佩帯はいたいしている冬亥国の王器”冷迅刀れいじんとう”を右手で素早く引き抜いて、両手で構えた。


 その刹那、子瑞は臍下丹田せいかたんでんに力を込めて、全身に走る気脈きみゃくの端という端まで流気りゅうきを流し、怒りに任せて強く握った刀を持っている両腕がちぎれるほどの勢いで空で斬った。


「多勢で桃佳を襲うなど卑怯だぞ!!余の”氷斬撃ひょうざんげき”を喰らうがよい!!」


 すると、”氷斬撃”が桃佳を襲う不届き者の頭部に直撃し、そのまま縦に二つに身体が避け、大量の血が噴き出すと同時にそれとともに凍ってしまった。

 気づいた仲間どもは、あんな遠くから氷の刃が跳んでくるとは思わなかった。


「ひえぇェェェ!何だこれは!」

「子瑞くん!!私のために……」

「桃佳!今、余が助けるぞ、すぐにそこへ行かくからな!」


 桃佳は子瑞が予想だにしなかった攻撃方法で、敵を斬って助けてくれたことに感涙した。

 しかし、子瑞がそのようなことを言っている場合ではなかった。彼はいち早くも対岸で敵に襲われている桃佳を助けるために、橋を渡らなければならない。


 さっきまで桃佳を取り押さえていた野盗の一人が斬られ、桃佳が解放され身体を起こそうとしたが、すぐさま片腕ずつ仲間二人に取り押さえられ、再び桃佳が悲鳴を上げた。


「嫌アアアァァァッ!!」


 その時、野盗どもが来た方向の森の中から冷ややかな声が発せられる。


「おいお前ら、私より先にその娘を抱かせてもらえないか」

「お頭!!どうぞどうぞ」


 姿を現した『お頭』と呼ばれたその男は長身で肩幅が広く、恰幅の良い体格をしていた。その目は糸目のように細く吊り上がっていて、口元には愉楽を味合うことが出来るという望みが叶ったかのようにニヤけていた。


 子瑞は野盗団の頭領のお出ましに、力づくで地を蹴って桃佳の元へ行くために橋を渡ろうとしたその時、事態が急変するのだった。

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