18話

 例の襲撃事件から数日後、黒智宮こくちきゅう外廷のとある空き部屋に二人の官僚がいた。一人は身体が丸々と醜く豚のように太っていている者と、もう一人は頬骨が浮き上がるほど顔はもちろん身体も痩せ細っている。

 その二人のうち、太った男が先にこう切りだした。


恭啓きょうけいめ、わしらが刺客を放って子瑞しずいを殺し損なったと見たら、護衛を増やしおって」

「そうですな、彼も子瑞なんぞを立てようと必死なんだわな」


この二人のうち痩せている方の刑相けいしょう瀬惇尚らいじゅんしょうが返した。

 先に言いだした太っている方の民相みんしょう霜興勊そうこうこくで、二人は妹王派まいおうはの二大巨頭である。


 彼らは兄王派の兵相へいしょう波恭啓はきょうけいに対する皮肉をここ一刻(2時間)は駄弁り続けた。しかしこれだけ口に出せば出すほど、さすがに話題が尽きてくるのだった。

 どうやら二人は、何かを待っているのか苛立っている。


「ぐぬぬ、まだ来ぬのか?」

「約束の申の初刻(午後3時)をとうに過ぎておるというのに」


 二人は待ちくたびれたのか、ここにもう来るはずの男に対して不満をこぼしていた。

 あまりにも長い時間待たされたため、貧乏ゆすりがひどくなり、座っている椅子が音を立てて激しく振動する始末だった。


 すると、部屋の外の両開きの扉の向こうから飄々とした声が聞こえた。


「遅くなって済みません、霜興勊殿と瀬惇尚殿。お二方ともお待たせして申し訳ない」

「このたわけッ!もう何時だと思っとるのか!?酉の初刻(午後5時)を過ぎておるぞ!」

「そうだ、興勊こうこく殿の言う通りだ。どれだけ待たされれば気が済むと思っているのか貴様!」


 部屋の外の入り口の前にいる男に怒号を二人は上げたが、当の本人は涼しい顔をして、何もなかったように戸を開けて部屋に入る。

 外から部屋に入った男が、銀色の癖のかかった長い頭髪をかき上げて、待たされた二人を向き会釈した。


 入ってきたのは海伯黎かいはくれいだった。彼は事前に、興勊と惇尚が頼んだ下男にこの部屋に申の初刻に来るように言われていたが、一刻遅く到着してしまった。

  彼は空いた椅子に座ると、軽々しい口調で話した。


「外で魁瑠カイルを待たせていますが、お二方との約束の時間になっても彼がそこへ行くなと執拗に警告してくるので、それを説得するのに時間がかかってしまいました」


 伯黎からこの部屋の外で魁瑠が待っていることを聞いて、興勊らはゾッとした。

 いつ彼が自分達を伯黎がいつでも魁瑠に襲わせでもいいように待機していることを考えると恐怖で身体が縮こまる。


「ひぃぃぃッ!あのバケモノが外にいると言うのかね……」

「あやつの顔を見ただけで、心臓がとまっていそうになるわ」

「はっはっは、そう恐れることは無いですよ。彼にはただそこでから動くなとだけ伝えておりますので、ご安心を」


 魁瑠を恐れる二人を安堵させるように伯黎は笑顔でそう言ったが、彼らが感じている恐怖は拭い去ることは出来ず、両者を狼狽させてしまった。

 すると伯黎は急に真顔になり、興勊らに切り出す。


「ところで、私を呼んだのは何故でしょうか?」

「ハァ……よくぞ聞いてくれた。それは、お主もご存知の通り我ら妹王派に加わるよう、お主を説得させるためだ」


 興勊がそう答えると、銀髪の気術士は溜息をついて顔をうつむけたかと思いきや、急に顔を上げて鋭い剣幕で二人に向けた。


「何度も私はあなた方、妹王派の者に誘われました。しかし、私はその度に辞退し続けてきました。どうして私にそんな執拗に勧誘するのですか?」

「いや、あの……これに関しては何度も同じことを繰り返し受けていたなんて、私どもも承知しておらなんだ」


 伯黎は惇尚から謝罪されても、もうんざりしていた。しかし二人はどうしても彼を派閥に加わらせるために、何か考えがあるようだ。その証拠に二人が互いに顔を向き合い、頷いて示した。

 伯黎はまた怪訝な態度を取って、二人に反論する。


「私は何度も申した通り今の主上だろうが、妹の萊珠りしゅ様だろうが、誰が王位に就いても興味がないと言っているのですが……」

「フヒヒ……そう言うだろうと思って、我らの仲間に加わった暁にはおぬしにくれたい物があるのだ。ほら、こちらに参れ」


 興勊はそう告げて後ろの続き間へと入る扉に向かって誰かを呼びかけるように「パン、パン」と音を立て手を叩いて声を上げた。

 すると、「はい」とか細く答えた女の声が聞こえ、その扉から入って来たのであった。

 彼女は顔をうつむけ、憂鬱さを表に出したような表情をしている。だが彼女は輝くような黒い瞳、雪のように白い肌に、紅を差した麗しい唇をしている。


 伯黎は仏頂面となった固い表情が次第に柔らぎ、彼女の美しい容貌に息を呑みそうになった。今すぐでも抱きたいと言う欲情が彼女に対して心の中で燃え上がってくるのを感じた。

 そして、その顔で彼女を含めた三人を見た。


「どうだね、この娘べっぴんじゃろ?このような娘を娶ってみたいと思わぬか?こやつの歳は25と少し時期が過ぎておりますが。おぬしは、無類の女好きであることは、我ら重々承知しておりますとも。ただし、条件がある」


 惇尚がそのようにこの女に付いて紹介して女を見やると、彼女は顔を背け両手で覆い隠してしまった。

 伯黎はその女のはにかむ姿に興味を注がれた。

 その原因が自分の容姿に原因があるのか、そして自分の女となることが嫌なのかどうか分かりかねるのだった。


 そして今度は興勊が少しばかり声量を上げて口を切った。


「その条件といのうは、我らが王に即位すべきとする萊珠様におぬしが修得しておる”惑術わくじゅつ”をかけて、この黒智宮すべての官に魅了させて、兄王派を駆逐してもらいたいと存じ上げまする!!」

「何ですと萊珠様に”惑術”を掛けろと仰るのですか!?それなら是非任せてください!!」


 伯黎は興勊が発した言葉を一瞬理解しかねたが、彼は驚嘆の中に喜びを現したような顔を向けた。彼の頭の中にはもう、その条件をすんなりと受け入れて、目の前女を今夜にも抱くことしか考えていなかった。


 すっかりその気になった伯黎に対して二人は、再び互いに向き合って頷き勝利を確信したような不敵な笑みを浮かべた。


「ではそれを呑み込んでいただけるのであれば、交渉成立でございますな。これで我らも安泰だ。この女はもうおぬしの者だ。ほれ、次の嫁の貰い手が決まったぞ」

「ありがとうございます。伯黎様。これで私もあなたの女となることが光栄でしかたありません」

「なんだ中古品か、だがそれでもよい。私は人妻が好きでね、先王の敷いた法のせいでそれを我が物にすることが出来ませんでしたので。既に離縁した者の元妻であればその法には触れませんよね」


 女は伯黎の者になれることに喜びを現して彼に駆け寄った。伯黎自身もあふれんばかりの笑みをこぼし彼女の背に腕を回す。


 女が色男の気術士と抱き合う風景を前にして、どぶにでも潜んでいるように心がどす黒い二人の男は、この男を物をすることが出来、互いに著しく不気味な笑いが止まらなくなった。


 かくして興剋と惇尚は、伯黎への惑術の施術の依頼も成し遂げ、自分達妹王派の勝利を確定し、交渉は成立した。

 伯黎も賄賂として元人妻の女を手に入れることが出来たので、両者ともに重畳となった。


 早速その次の日には伯黎によって、黒智宮の妹王派以外の全ての男の文官、武官を萊珠に対して魅了するように惑術が施されたのであった。

 その効果は遺憾無く発揮されたが、三相以上の王直属の官僚、そして大将軍の魁瑠には効果無かった。


 だが、それ以外のどっちつかずの官もかつての兄王派の官もが萊珠が王位をつくべきだと唱え、子瑞を王位から退けと言わんばかりの罵詈雑言を吐くようになってしまった。


 そして兄王派けいおうはで三相の一人で兵相へいしょう恭啓きょうけいはその派閥の人員が妹王派に取り込まれたため窮地に立たされた。

 恭啓はそれにしびれを切らして、この王都、順羽じゅんうのある許州きょしゅう内の郡から兵を招集し、妹王派に対抗した。

 しかし、それらの郡の太守はそのような理由で兵を出すことを拒んだため、僅かばかりしか招集出来なかった。


 それでも子瑞は、妹に魅了された官より非難され彼は心身ともに苦痛を伴っても、王としての務めを遂行しなければならなかった。


 しかしこれだけではとどまらず、後宮の女官のうち、以前から子瑞をこよなく愛していた兄王派の女官達はこの事態に対して、萊珠に魅了された官にしびれを切らして、黒智宮を出て行った。

 そのおかげで彼女らは、冬亥国とうがいこく内を彷徨う羽目となってしまった。


 そして、ことの原因をつくった当の本人である伯黎は、賄賂としてもらった元人妻をその日の夜に抱いて、自らの欲望を満たしたのだった。


 しかしその翌日彼はその女を自分の屋敷に押しとめて、彼女に黙って妓楼へと出かけてしまいそのまま帰ってこなかった。

 そのため彼女は嫉妬して、彼が返ってくる前に屋敷から出て行ってしまったのだった。

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