17話

 桃佳とうけい昌信しょうしんが四鵬神界に転移するより一ヶ月前のことだった。


 四鵬神界しほうしんかいを構成する東西南北の四方に位置する4つの国のうち、北の冬亥国とうがいこくの前王泉甄祥せんしんしょうが崩御した。


 彼女が残した二人の子息きょうだいは、長男で王太子おうたいし泉子瑞せんしずい、その妹で公主こうしゅ(王女)の泉莱珠せんりしゅの二人だった。


 そして、甄祥が崩御前に病床に臥した際に、危篤状態となった彼女は、死ぬ間際に子瑞に即位させるように遺言を残していた。


 そのような子瑞の即位に反対し、萊珠の即位を唱える官が現れた。彼らを妹王派まいおうはと呼ばれた。


 それに対して甄祥の遺言通り、子瑞を即位させることを唱える官も台頭していった。子瑞の即位を前王の遺言通り現状維持を唱える官を兄王派けいおうはと呼ばれ、その二つに派閥が分かれることになった。


 妹王派には、王の下に置かれる三相さんしょうの内、行政を統括する大臣である民相みんしょう霜興勊そうこうこく、同じく三相で監察を統括する大臣の刑相けいしょう瀬惇尚らいじゅんしょうを筆頭としてていた。


 彼は保有する豊富な財産を配下の官に分配して次から次へと買収し、派閥を拡大させていった。


 それに対して兄王派は兵相へいしょう波恭啓はきょうけいと、王を補佐する最高位の官の丞相じょうしょうの任に就く潮文梁ちょうぶんりょうを筆頭をしていた。

 しかし、上記の通り興勊と惇尚によって金銭を得ている者が圧倒的に多く、支持してくれる官は妹王派に比べて少なかった。


 それにも関わらず子瑞は、後宮内の女官たちは彼の涼しさを醸し出した凛々しい顔つきをしているためその美貌に虜となり、太子だった頃から彼女らは自らを彼のきさきや、その下の女官の位である貴人きじんに就かせるように嘆願する者が多々いた。


 彼女らだけでなく民草の女性から絶大な人気を誇った。そのため、自分自身を後宮に入ることを志願する女性が多く、自分の娘を贈呈を試みる官吏もいた。


 しかし彼は元々異性に無関心だった。そのうえ今はそれどころか王位継承争いにさらされているためそれどころではなく、全て頑なに拒否していた。


 そのような渦中にある子瑞だったが、母王の崩御から10日後、外廷の志受殿しじゅでんでの朝議を終えて政務を執る内廷の極央殿きょくおうでんへと向かう回廊を、護衛の侍従を二人と下官数人を率いて歩いていた。

 

 その最中だった。


「泉子瑞!貴様を殺すッ!」


 背後から何者かによる彼に対する恨みを込めた喊声が上がった。

 それにより、辺りは騒然となった。


 振り向いたその刹那、自分に向かって突進する匕首あいくちを持った男が自分をの命を狙ったのだった。

 この時子瑞は王器の冷迅刀れいじんとうを携えていなかったため、無防備だった。

 そのため、暗器を持った曲者が自分に突っかかって来たその勢いに押され、後ろに倒れてしまった。


「曲者ッ!!主上お下がりください。ここは私が」


 そう叫んで前に出たのは侍従のうちの一人、泡仁明ほうじんめいだった。

 子瑞の前に躍り出た彼は、佩帯はいたいしていた剣の一閃によって、血飛沫が舞うと、曲者はけたたましい断末魔を上げて斃れ、亡き者と化した。


「主上、お怪我はございませんか?」


 仁明は倒れ込んだこの国の王に声をかけると、彼は顔を曲者が来た方向を見てぜいぜいと息を切らして狼狽える。やがてそれが治まらぬまま掠れた声を発した。


「余が王に即位したことが間違っておるというのか……だからこのようなことが起きるのだ……」

「何を仰せになります!母君である先王が就くべきだと遺言を残したのではございませんか?それが何と言うのですか!?」


 仁明は子瑞が王に即位したことを正当化していると指摘する妹王派の官も、それでも兄王派でもないどっちつかずの官のことも毛嫌っている。

 その屈強な体格の彼は、この国の君主たる子瑞に篤く忠誠を誓っているのである。


 だがそれも虚しく、当の子瑞本人は王位など――――母王の遺言とは言え、妹にくれてやった方が重畳ではないかと、これ以前から強く思っていた。


 子瑞は率いていた仁明ら他の侍従や下官らによって、体を起こしてもらった。しかし彼は正気を失い、また同じことが起きると思うと生きた心地が失せていくのであった。


 そしてこの騒ぎを嗅ぎつけて、子瑞に駆け寄った者がいた。その者は、この黒智宮全体に響くような喚声を上げた。


「主上ォォ!!どうなさいましたかッ!?」


 侍従や下官に身体を起こしてもらった子瑞の元へ狼狽えた形相で迫って来たのは波恭啓だった。彼は心から従属している主人の前で跪づいて拱手する。


「このような騒ぎを聞きつけこの波恭啓、只今駆けつけて参りました。主上の御身に一体何が起きたのでしょうか?」

「……恭啓か、余を殺そうと何者が余に向かって襲って来たのだ。そこに倒れている奴がそうだ」


 子瑞がそのように述べると、恭啓は顔を伏せたまま拳を固く握って膝に付き、わなわなと震えが止まらなくなり、やがて立ち上がり激情して大声を上げる。


「これは、妹王派が雇った刺客であります!!こうなれば、主上が襲われないように、護衛を増やして差し上げましょうぞ!」

「だがしかし、本当にその者らによる仕業だとしても、萊珠自身は余が殺されることを望んでいるわけがないのだ」


 子瑞は自分の妹を今まで恐れてはいなかったが、彼女より劣っているとは感じてはいた。

 だが彼女が、自分から王位を簒奪しようと目論んで襲うなど彼女自身がするわけがないと子瑞は考えている。


「これは、恭啓が申す通り、余が王に即位したことを良しとしない妹王派の官によるものではないか?」

「そうでございましょう。彼奴きゃつらならやりかねないでありましょう。主上の申す通り、萊珠様自身が主上が即位することに対して、何もお気持ちを示すことはありませんでしたから」


 萊珠自身は王位など最初から興味がなかった。彼女は子瑞が王に即位しても不満は無かったが、妹王派の官にとってはそれを許容できるものではなかった。

 やはり、彼女も妹王派の官達のいいように弄ばれているのだった。


 それも過ぎると、敵対すべき対象を排除をやりかねなくなる。そのような連中と化したのであれば、王である自分の命、ましてやこの国の命運が危ぶまれるということでもある。


 恭啓はその日以降、王である子瑞が政務を執り、そして寝食をする内廷の極央殿に五人の護衛兵を配備させた。無論、彼らは常に子瑞が移動するたびに取り囲み、刺客を寄せ付けなかった。


 この策によって刺客に襲われることはなくなった。しかし、子瑞自身はこの状況を快く思うはずがなかった。

 彼はなぜそれだからといって、自分の姿が周りから見えなくなるほど護衛をつけられることが煩わしく思い、つくづく心が痛む毎日だった。


 そして子瑞は、恭啓がそこまで自分を束縛しなければならないのかと心痛するのだった。

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