9話

 桃佳は仙空界せんくうかいから玉帝ぎょくていによって四鵬神界しほうしんかいに転移させられた。

 しかし、彼女は意識を失って、うつぶせの状態で倒れていた。


 桃佳が意識を取り戻すと、それと同時に鼻腔内に焦げた臭いが入ったために、自分の嗅覚が過剰に反応し、桃佳は口と鼻を手で抑え、身を素早く身を起こした。


 辺りを見回すと、夜が明けて白んでいた空の下に一面の廃墟が広がり焼け野原と化していた。


(ここどこなの、ねぇ!?まさか、玉帝が言ってた靜耀せいようってとこじゃないよね……?)


 ここが玉帝が言っていた冬亥国とうがいこくの靜耀という場所なのか――――それどころかこの世界が四鵬神界であるかどうかも分からなかった。


 ただ、周りは数多の焼け焦げた家屋の瓦礫、遠くには崩れかけた石積みの城壁と倒壊した楼門が見える。


 そしておびただしいほどの焼死体が転がっていたり、それが瓦礫で潰されており、桃佳はそれに気づくと今まで自分が見たことがない光景に恐れおののいて、吐き気を催してしまった。

 桃佳は焼死体を見なくても死臭が鼻に付いてしまい、今にも気を失いそうになった。


 桃佳は焼死体――――しかもこの多い数を見て、元の世界と違って四鵬神界しほうしんかいはこういうおぞましいことが起きる世界なのかと思い知る。

 すると、桃佳の後ろで、幼くか弱い声が聞こえる。


「どうしたの……お姉ちゃん……?」

「ひいいいいィィィィっっっ!!」


 桃佳はこのような光景の中で、生きた人間の声を聞いて間の抜けた大声をあげてしまった。

 振り向いた先の視線――先ほどの桃佳の悲鳴に対して呆気にとられたような表情をした10歳程の少女がいた。


 その姿は全身煤にまみれていて、少女が着ている着物のような形状の服も黒ずんでいる。髪も二つ結っていたはずのお団子シニヨンの片方が解けている。


 桃佳があり得ない事態に陥っていると、少女は桃佳を怪しながら話しかける。


「……お姉ちゃん、どこから来たの?」


 桃佳は少女が発した言葉に対し、自分が置かれている状況をどう説明すればいいのかわからなかった。


 桃佳は少女の問いかけをそっちのけにし、話題を強制的に変える。


「ねぇ、ここって冬亥国だよね?ここは冬亥国の靜耀……」


 桃佳がそこまで言いかけた時、少女は急に膝を崩しその場に座り込んだ思いきや、大声で泣き出してしまった。


「うわああん!お姉ちゃん私怖かったんだから。みんな禁軍に殺されちゃたの。それなのにわたしだけ生き残ってて……ずっと寂しかった!」

「どどどどうしたの急に!?そ、そうだよね……この街ごとみんな焼かれちゃったからね……ず、ずっと寂しかったんだよね……。」


 桃佳が少女が泣き崩れてしまったため、その場しのぎのように歯切れの悪い口調で少女を慰めざるを得なかった。

 そのため桃佳も同情しても、彼女から何も聞くことが出来ずに埒が開かなかった。


「も、もう一人じゃ……ないからね……わ、私も……ここに始めて来たからさ。だ、大丈夫私が一緒にいるからね……お父さんとお母さんともはぐれてしまってかわいそうに……」


 しかし、このおぼつかない口調での励ましが少女の泣き声をさらに大きく響かせてしまった。


「うわああああああぁぁぁぁぁんッッ!!」

「えッ!?私なんかひどいこと言っちゃった!?」


 どうやら、桃佳は少女の逆鱗に触れてたことに気づきうろたえてしまった。

 少女はやがて、嗚咽を漏らしながら言った。


「わたしには両親なんていない。小さいときに、生まれた家が貧しかったの!奴隷商人に私を妓楼に売ろうと、この靜耀に連れて行かれたの!売られる前に私を商家の主人が引き取ってくれたから、売られずに済んだけど。そこで下女として働いていたのに……」

「へ……今何て……」


 少女が発した壮絶な過去を語るその言葉の中に、口に出したことが事実であるかどうか少女に確認する。


「ねぇ……い、いいい今何て言ったの!?ここが靜耀って言ってなかった?」

「そうよ、ここが靜耀なの。分かる?もう焼き払われて跡形も残ってないけど」


 少女が先ほどまで泣いていたにも関わらず、開き直って疎ましそうに桃佳に言った。それにもかかわらず、桃佳はここが靜耀であることが分かって、歓喜が湧き上がり少女の手を取る。


「ほんとなの!?ここが靜耀なんだよね!良かったー!これで私達助かるよ!」

「ハァ!?何言ってんの?触んないでよね。見ればわかるでしょ?こんなに街が焼かれたというのに。誰も助けに来ないし」


 浮かれ気味の桃佳が握った手を少女は跳ね除けたが、彼女がここが靜耀だと言ったことは間違ってはいないはず。

 玉帝がここに冬亥国王が来るとは言っていた。しかし、周りを見ても誰も来る気配は毛頭無い。


 桃佳も玉帝が言っていたことに半信半疑だったくせに、そのことが分かると否や、少女に自分達が助かるなどと大言壮語をしてしまった。


 そして桃佳は、さっきからこのおびただしい焼死体に囲まれ、死臭がまとわりつくこの場にいるのが限界となり気絶しそうになってきた。


「うっ……もうダメ。ここにいたら気分が悪くて倒れそう。ここから離れたいんだけど」

「私なんかずっと前からここにいたんだから。じゃあ、ついて来てよ」


 少女は桃佳に呆れてスタスタとその場を離れていった。多分この街から外に出られる方角に向かっているようだ。桃佳はそそくさと離れていく少女に声かける。


「ねえ、本当にそっちに行けば出られるんだよね?ちょっと待ってくれない?私もそっちに行くからさ」


 そう言いながら桃佳は、いやでも鼻に付く死臭から解放されたいがために少女のついて行こうとした。すると、桃佳は地に落ちている覚龍杖に気づくと、慌てて拾い上げて少女に追いつこうとかけだした。


 桃佳はしばらく瓦礫を避けながら少女について行くと、崩れかけた隔壁を貫く門をくぐって街の外へと出ることが出来た。あたりは、開けた平原でそれを真ん中に突っ切るように街道が続いている。

  そして少女は、桃佳にうんざりした顔で桃佳に投げかけた。


「もうここまで来ればいいでしょ。わりとマシになったじゃない?」

「うん、そうだけどあんた早足だからついて行くの大変だったんだからね。私ここの世界に転移したばっかりだし」


 桃佳は少女のおかげで、凄惨な場と化した靜耀の街から出られた。しかし、幻世から転移して右も左も分からない桃佳から逃げるような足の速さに文句を吐いた。

 

 少女に付いて行くのに疲労した桃佳だったが、少女が桃佳に突拍子もない言葉を投げつける。


「大体、あんたみたいな破廉恥な格好をしている得体の知れない変質者が、私に軽々しくそんなこと言えるわけ?」


 桃佳は少女に『破廉恥な恰好をしている』と言われたので、自分の服装を確認した。すると彼女の言う通り、自分の服装があまりにも他人――特に異性に見られたくないような、淫らな恰好をしていることに気づいたのだった。

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