8話

 冬亥国とうがいこくの王都、順羽じゅんうの王宮、黒智宮こくちきゅう内廷の極央殿きょくおうでんに幻世から陰昇士いんしょうしとして幻世げんせから転移された少女がいた。


 その少女とは『月美由げつびゆう』と名乗った。術によって彼女の動きを封じ込めた伯黎はくれいはその状態で、互いの身体が触れ合うほどの距離まで詰めていた。右手の人差し指でその彼女の下顎に触れ、自分の目線と合うように上に押し上げていた。


 目の前にいる男は彼女の屈託のない瞳、肌の艶やかさ、紅珊瑚のように赤く唇、鼻筋が通っている端正な顔つき、どれも彼が求めていたそのものだったと愉楽を感じた。


 この時美由は、自分の顔を掴んだ男に対して嫌悪感が自然と湧きあがってくると同時に、自分はこの男に何をされるか分からず不安が増すばかりだった。


 そして伯黎は、顎を押し上げていた右手の人差し指で彼女の唇に当て、そこから右頬をなぞると、彼女の茶褐色の肩まで伸ばした麗しく繊細な髪をかき上げ顔に添え、左腕を彼女の背中に回した。


 彼女は伯黎の不適な笑みを見て、本人の意思と関係なく、その瞳に沈黙を秘めていた。誰からも自分を好きなように扱ってもいいという決意が読み取れた。


 彼は今まで何人もの女を抱いて来たが、美由のように自分に何も抵抗しなかったことで、彼の独占欲が掻き立てられた。


 伯黎はそのまま少女の眼から一寸の時も顔を逸らさず見つめていたが、欲情にかられその高ぶりが抑えられず、両手で押さえつけた彼女の顔に近づけて、遂に彼女の唇に自ずと吸い寄せられてしまった。


 その感触は、彼にとって今まで味わったことの無い物だった。そして、真珠のように輝く艶やかな何か彼女の目尻からあふれ出していた。


 彼女は、自分が今まで愛し合っていたはずの恋人と、このような口づけを交わしたことも一つもないままだった。


 ――――私がなぜ、このような恥辱を……


 彼女がこのように思うのも無理はない。このような時に恋人が、助けに来てくれたら――――と自分が捨てた、彼の顔が脳裏に浮かんでくる。


 彼女が今まで会った異性の中で、無抵抗にさせられた自分に対してこのように固執するような男はいなかった。


 伯黎は彼女と向き合っていると、人差し指を彼女の胸のあたりを指し、幻世で使われているスマートフォンをフリックするみたいに上に向けると、彼女の身体が何寸か浮き上がった。

 すると、彼女の体を浮かせたまま、またスマートフォンを操作するように、空を指でなぞりその方向に彼女を動かした。


 伯黎は、そのまま指をなぞって宙に浮いた彼女をベッドがある位置まで持っていくと指を動かすのをやめ、彼女を立ち止まらせた。


 彼は頭に被っていた巾を取ると、白銀の美しい長髪を舞うようになびかせた。

 そして、美由の前まで歩み立ち止まる、すると伯黎は彼女を両手で押し倒し、それに身を預けそのままベッドに仰向けにされた彼女の体の上に覆い被さった。


 それでも彼女は言葉を出すことも、逃げることも出来なくなってしまった。もう自分の身体はこの男にどうされるのか分からなかった。


 彼の顔には先程から快楽を望んでいるような笑みを隠さなかったが、彼女はそれを不快に思っても動きを封じられている。

 今すぐでも、この男から逃げることを切望していた。


 だが彼女の思いはむなしく、男の両手は彼女が着ている胸元がはだけている絹の上衣の襟に勢いよく手を掛けられる。上半身が上衣とその下に着ていた羅襦はだぎとともに脱がされ、無惨にも胸部の二つの乳房が露わになる。


――――昌信しょうしん、私があんなことをしてしまったばっかりに……


 少女は、元の世界で恋人を見捨てた上、姿をくらませたことを後悔しても無駄だった。

 他の男と付き合っていて、彼をフッたくせにその顔を思い浮かべて涙を流しても、この最悪の状態から抜け出せないのが悔しくなってきた。


「おお……この曲線美、なんと美しい。さあ月美由、愉しませてもらうぞ」


 美由は、自分の体形をいやらしい比喩を込めて言った男に嫌悪と羞恥が湧きあがった。そして、自分の貞操を犯されるしかないという危機が迫った。


 女の乳房を生で掴むことを好むこの男は、たわわに実った桃のようなそれを右手で鷲掴みにしようとした時だった。


 この刹那のことだった。

 彼女の『昌信しょうしん』と呼ぶ恋人に対する強い想いによって、身体が銀色の閃光に包まれ、額に銀色の円を背景に何か小さな耳の長い獣の影が映った。


 すると彼女とまぐわおうとする男が、彼女の周りから発した閃光とともに結界が張られ、彼の身体が弾かれた。


 伯黎は自分の身に何が起きたのか理解できず、ベッドを前にして仰向けに倒されていた。


 そして彼女が意のままに身体を動かせないのに、貞操を犯そうとした途端結界を張られ、それに突き飛ばされたことがあり得ないとおもっていた。


 彼は諦めず、ベッドの上に倒されている少女に飛び込む。

 しかし、そこ自体に結界がまだ張られているのか、体が再びそれに触れた途端、身体が弾かれてしまった。


「このクソアマ!よくも私を愚弄しておって!」


 彼はそう捨て台詞を吐くと、よろめきながら立ち上がり寝所を飛び出して行った。


 その頃彼女は、自ら意識せずに周りに結界が張られたとはいえ、それでも動くことが出来ないままだった。

 それでも、『昌信しょうしん』という自分が捨ててしまった恋人の顔が頭から離れなかった。


 ――――昌信しょうしん、もう二度と会えないんだよね。ほんと私ってバカだよね……


 彼女の恋人に対する、強い愛情は二度と消え失せることなかったのだった。


 そして、また疑問に思ったのだった。元の世界では自分の名前が『月隈美由つきくまみえい』から『月美由げつびゆう』に変わっていた。

 しかも恋人の名前までも『日髙昌信ひだかまさのぶ』から『日昌信ひしょうしん』に変わっていた。

 美由は、未だになぜそうなったのかわからないままだった。

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