7話

 子瑞しずいは自らに危機が迫る中、陽招鏡ようしょうきょうで映った幻世の青年を陽招士ようしょうしとして四鵬神界しほうしんかいに転移させた。


 青年は子瑞が見たことのない服装をしていた。それはひどく汚れ、破れている。しかし、召喚前に負っていた頭部からの出血もどころか、体のいたるところに負った傷も消えていた。

 

 そして陽招鏡はこの青年を転移させた後、大きさが直径7尺半(172.5cm)から、1尺半(34.5cm)と縮まり、静かにゆっくりと落ちて、地に伏せた。


 すると、陽招鏡から転移した青年が意識を取り戻したのか、眼を細く開けた。

 青年は気がついてからも憔悴していたが、自身の周りの景色と、目の前にいるいかにも息も絶え絶えにしている子瑞を見て、普通の人間ではない者を見るような目をした。


 子瑞は、青年がそのような目つきをしたにも関わらず歓喜する。


「おお!!おぬしこそ、陽招士なのだな。そなたが余を救ってくれ頂けないか?」


 青年は目の前にいる子瑞に両手を握られてしまい、顔に驚嘆の色が浮かび上がり、訝しむ表情を見せた。そして、青年自らに失笑を誘ってしまった。


 それでも子瑞は、その青年に期待を込めた眼差しを向ける。このような窮地を救ってもらえるのは彼しかいないのだった。

 失笑気味の青年に子瑞は躊躇なく話しかける。


「そなた、名を何と申す?そなたこそ、陽招士なのだな?」


 青年は、子瑞が発した”陽招士”という言葉と、自分は死んだのかと思ったら、ここにいたことにやっと気づき、呆気にとられてしまった。

 青年は閉ざしていた――――というより決して開かないようにしていた口から言葉を出した。


「あのさー、お前誰だよ?つか、さっき仙空界せんくうかいにいたんだけど、そこで北辰聖君ほくしんせいくんから、俺死んだと思ったらいつの間にかそこにいて、元の世界から召喚したって言うんだけど――って俺、もしかして”異世界転移”したんじゃね!?」


 青年の声は、疑いが含められている口調で、子瑞にそう告げた。

 そして、子瑞は彼自身がどのような状況にあるのかを説明した。


「ここは四鵬神界の北方に位置する冬亥国とうがいこくだ。おぬしは、幻世げんせで死んでしまったが、この四鵬神界へ転移させされたのだ。その前に仙空界で北辰聖君によって幻世から召喚されたのだろう?」


 青年は何故か、子瑞が自分が元いた世界を『ゲンセ』と言ったが、それが漢字で『幻世』と書くことは分かっていた。

 そして、彼は子瑞が言ったことに納得した。


「確かに俺がさっき、トラックに轢かれて死んだと思ったら、仙空界に北辰聖君に召喚させられて、そいつが四鵬神界の冬亥国の王によって転移すると言ったのは確かだ。しかし、そこで北辰聖君から四鵬神界を救うのに必要だとかなんとか言われてここに転移されたんだけど――――って、お前がその国王なのか!?」


 青年が今まで自分の身に起きたありのままのことを告げたと思いきや、彼はここにいる国の王が若いということと、彼が王にしてはあまりにも見窄らしい格好をしていることに対して喫驚した。


 このような反応を示す青年に対し、子瑞は初対面の人間にすべきことをしなければならなかった。


「そなたは、名を何と申すのか? 余は冬亥国王、泉子瑞せんしずいと申す」


 子瑞は名乗ると、その辺に落ちていた小枝を拾って自分の名前を地面に書いてそれを述べた。それを聞いて青年は合点がついたところで、自分も名乗らなければならなかった。


「あっ、名前?俺は日昌信ひしょうしんだけど……あれ?俺ってそんな名前だったっけか?」


 『日昌信ひしょうしん』と名乗った青年は自分の名前が今まで違う名前だったのか、その名前で正しいのかどうかを確かめようと幻世での記憶を辿っていったが思い出せない。

 そのため彼が何かしっくりこない様子が子瑞の方にも受け取れた。


 しかし、子瑞は彼の名前をどう書くのか、昌信に聞く。


「おぬしの名前もここに書いてもらえぬか?」

「要するに、俺の名前を書けってこと?」


 そう言って昌信は、子瑞から握っていた小枝を受け取り、力が入らない腕で地面に『日昌信』と書いた。しかし、それでも彼は自分が書いたその名前に対して、どうしても引っかかるのか、自分の名前が違うのではないかと疑ってしょうがなかった。

 昌信は自分が日本人であるにもかかわらず、自分の名前が幻世の中国人みたいな名前になっていることの疑念が消えなかった。


 昌信の名もそうであるように、この世界の人間の名前といい、子瑞の――――ズタズタになっているとはいえ着ている服が、着物というより世界史の教科書で見た、古代中国人が着るような服を着ていることに気づいた。

 昌信が転移したこの四鵬神界は、幻世でもよく映画や漫画で見たと言っても彼自身は興味ないが、古代中国風の世界なのかと理解した。


 それでも、子瑞が『日昌信ひしょうしん』という文字をどのように書くのかが分かっただけでも、有難かった。


 陽招士として昌信が幻世から転移出来たことに子瑞は喜びを隠せなかったが、その間にも追っ手が近づいて来るのではないかと、その気配を常に感じ取らなければならない。


 子瑞は人の気配がないことを確認し、これまでの経緯とそれに対して、これからどのような行動を取らなければいけないのかを説明する。

 ――――1ヶ月日前に母である先代の王が崩御し、彼女の遺言で即位したが、妹の萊珠との後継者争いの渦中にあること。

 ――――子瑞が部下で奉常ほうじょう気術士きじゅつし海伯黎かいはくれいに王位を簒奪されたこと。

 ――――禁軍から逃れて陽招士である昌信を転移させるために陽招鏡を持ち出して黒智宮から抜け出したこと。

 ――――自分達はこれからここ鴦県おうけんの県都靜陽せいようの県令に匿ってもらうためにそこへ向かっているが、その方向から禁軍の兵が駆けてきたこと。

 

  以上のことを子瑞は昌信に説明した。


「つまり、奉常の"海伯黎"とかいうイカれた気術士が、子瑞……陛下の王位を簒奪したと言うことだろ?そして、最終的には"流榮騏"ってやつのところへ行くという算段になるのか」

「何ッ!?なぜ昌信は榮騏のことを知っているのだ!?」


 子瑞は、まさか昌信の口から”流榮騏”の名が発せられたことに驚嘆した。


「なぜって、そりゃあ北辰聖君が……陛下がそいつを探していると言ってたからな」

「そ、そうなのか!?北辰聖君がそんなことをお主に言ったというのか!?しかし、その"流榮騏"なる者がどこにいるのか分らぬのだ。それと、余のことは『子瑞しずい』と呼び捨てにしてよいぞ。もう王ではないのだからな」


 "流榮騏"の所在が分かる確率は、雲を掴むほども無い。


 そして、陽招士である昌信を転移させたと言っても、今の彼は武器を持っていないので、戦闘要員として役目を果たすことが出来ない。

 自分を卑下した子瑞に対して昌信は彼をなだめつつ、この先のどうなるのか不安となった。


「そんなこと言うなって。靜耀の方から兵が来たと言っても、どうなっているかそこに行かなければ分からないじゃないか」

「それに靜耀に向かっても、我らが助かる可能性は無いにも等しいだろう」


 昌信は自分なりに、自分が事故に遭った時に子瑞が幻世から転移させなければ死んでいたのだった。


「子瑞は王位を奪還するために俺を転移させたんだろ?そのおかげで、俺が元の世界で死んでたんだからな」

「そうといえば、余は政信に礼を言わねばならぬな。本当に余を助けてくれてかたじけない」


 四鵬神界に転移して死なずに済んだことに彼に感謝する。そして昌信は、その恩に報いなければならないのだった。


 子瑞自身も昌信を含めて、このような窮地に援けてくれる者がいてくれて本当に有難いと思った。


 子瑞の部下として従順な恭啓もそうである。折角、靜耀の県令に匿ってもらうよう伝鴇でんほうを飛ばしてくれたが、自分が黒智宮を抜け出す際に斬られた彼の努力を無駄にしてはいけない。


 そう、子瑞は王位を簒奪されたからと言って一人になったのではない。陽招士として四鵬神界この世界に昌信を転移させると言う使命を達成できたのだった。

 子瑞は、彼に自分の王位奪還という目標を達成するため、役に立ってくれるに違いないと確信した。

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