第4話

 水族館を後にした私たちは、海岸沿いをひたすら車で走った。

 15分ほどそうしていただろうか。その間、運転する彼女は押し黙っていた。そして時折、助手席に置いたトートバッグを優しい手つきで撫でる。

 ついに車が止まった。

 「この辺が良いかもね」

 そう言ってサイドブレーキを引き、エンジンを切る。

 真美はトートバッグを手に取ってから車外へと出た。辺りはまだ少し明るい。気温もまだ下がり切ってはいなかった。

 「夜まで待った方が良かったかな。でも、あんたこのくらいが好きだもんね」

 さすが良くご存じだ。私は1日の中で黄昏時が1番好きだった。曖昧でどっちつかずなこの時間帯が。

 「……少し歩こうか」

 真美はまたトートバッグを胸元で抱き、ゆっくりと歩き始めた。時間が過ぎるのを惜しむかのように。

 しばらくは海岸沿いの歩道を歩いていたが、何を思ったのか彼女は堤防によじ登り出した。

 「ほら、海だよ。綺麗だね」

 彼女の言う通りだった。

 夕陽に照らされた海面は風が吹くたびに揺れ、キラキラと弾けている。触ると冷たいだろうか。もしかすると太陽光で熱されてぬるく感じるのかもしれない。匂いは、どうだろう。きっと潮の香りがしているに違いない。水平線など遥か彼方だ。このまま何処へまでも行けるような気がした。

 「あ、あそこが丁度良さそうだよ。あそこにしよう」

 真美の指差した先を目で追うと、波止場のようなものが見えた。確かに都合が良さそうだ。

 彼女はまた私が返事をしない内に歩き出す。口を真一文字に結び、正面だけをじっと見つめて。

 波止場の先端まで、そう時間は掛からなかった。真美はひとつ溜息を吐くとその場でパンプスとフットカバーを脱ぎ捨ててから海面すれすれに足を投げ出して座った。膝の上にはトートバッグが乗っている。

 「ちょっとしか回れなかったけど、今日は楽しかったね。それに約束も果たせて良かったよ」

 約束。彼女との約束は2つあった。1つ目は『またあの水族館へ遊びに行く』こと。この約束は去年の真美の誕生日にしていたのだった。

 そして、もうひとつ。こちらは今よりずっと前、高校2年生の時にした約束だ。

 「もうひとつも果たさなきゃね」

 そう言って真美は膝の上に乗せていたトートバックからあるものを取り出した。両掌におさまる程度の薄ピンク色の陶器。

 私の骨壺だ。

 「『もし私が真美より早く死んだらあの両親と同じ墓に入るのを阻止して欲しい』なんて、ほんと無茶言うよねぇ。ま、私の手に掛かればそんなのお茶の子さいさいなんだけどさ」

 真美は骨壺の蓋を撫でながら言った。そして続ける。海に向かって独りで話し始める。

 「それにしたって早すぎるでしょ。約束守らせるの! あと50年は早いわ。マジで勝手なんだけど……」

 ごめん。

 「工事現場の崩れた足場が当たって死ぬって、運悪すぎるから! 当たるのは宝くじだけにしとけって」

 ごめん。

 「て言うか、勝手に骨壺持ってきちゃってさ。これ犯罪だよね、絶対。まったく損な役回りだわ!」

 ごめん。本当にごめんね。

 「……ねぇ、覚えてる? もうひとつ約束したこと」

 もうひとつの約束?

 「もしかしたらあんたはとっくに忘れてるかもしれないけど、中学校卒業する時に約束したんだよ。『ずっと一緒にいようね』って」

 不意に真美が立ち上がる。骨壺を胸元に抱いて。

 「そっちもちゃんと果たすよ」

 そう言うと彼女は右足を波止場から浮かせる。

 そして……。

 「なんてね」と言って真美は苦々しく笑った。

 「ごめんだけど、私はまだ死ねないわ。やりたい事いっぱいあるし。未練ばっかりだ」

 真美の声は震えていた。

 「ごめんね、一緒に死んであげられなくて」

 それはこちらのセリフだった。

 ごめんね、一緒に生きられなくて。

 辺りはいつの間にか暗くなっていた。もうすぐ真美の顔も見えなくなるだろう。

 「もし生まれ変わることがあったらさ、今度はクラゲに生まれてきなよ。そしたら水族館で展示してもらって。休みの度に様子見に来てあげる」

 彼女は鼻を啜って、努めていたずらっぽく言う。まさか、そんなのは死んでもごめんだ。

 「うそうそ。まぁゆっくり眠りなよ。もう誰もあんたを苛むことは出来ないんだから」

 そこまで言うと真美は骨壺の蓋を外し、遺灰を海に向かってばら撒いた。かつて私だったものは一瞬宙を舞い、そして沈んでいく。

 「じゃあね、藍那!」

 まるで明日も会う約束をしているような気軽さで、真美はそう言った。

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さいごの約束 マリエラ・ゴールドバーグ @Mary_CBE

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