第10話  『何かが変わった瞬間』




「······ん······んん······?」




不意に、重い瞼を開ける。

妙に重たい身体を起き上がらせ、辺りを見渡す。

ピンク色の壁紙に染められた、随分とファンシーな寝室のようだ。

どうやら俺は、そのベッドに寝ていたらしい。




「ここ、どこだ······?」




見知らぬ部屋に少し混乱するが、何があったのか記憶を思い出してみる。




「あぁ、そうだ······確か、美司さんの部屋にお邪魔させてもらって······クッキーとお茶をご馳走になって······」




しかし、そこで記憶は途絶える。ここから先は覚えていない。しかし移動した記憶が無いので、ここは美司さんの寝室ということになる。




「えっ······?」




まさか、と思って慌てて自分の身体に目を向ける。

しかしちゃんと服は着ており、乱れた形跡も無い。

ということは、彼女と一線は越えていないみたいだ。




「ふぅ······なんか、良かった」




どっと安堵の溜め息が出てしまった。

しかし、いくら満腹だからといって異性の部屋で寝てしまうとは情けない。

時計を見ると、美司さんの部屋にお邪魔してから二時間くらい経過しているようだった。

そこまで爆睡していなくてホッとする。




「ん······?」




俺の右手が何か柔らかいものに触れてしまい、慌ててそちらに視線を向けると美司さんが隣で眠っていた。

今の柔らかいのは······いや、考えるのは止めよう。

それよりも、さぁーと血の気が引いていく。多分、俺の顔は今真っ青に染まっているだろう。




「えっ······でも、服は乱れてないし······いや、服が乱れてないだけで、もしかしてセックスしたのかも······?いやいや、どんなセックスだよ、それ······」




自問自答しながら一瞬心配をしたが、どうやら杞憂のようだった。

何故なら、美司さんの服も乱れていなかったからだ。やはり俺たちは一線を越えていない。

ただ、幸せそうな顔をして眠っているだけのようだ。




「······可愛いな」




つい、ぽつりと呟く。

莉菜の寝顔も何度も見たが、美司さんも美人だから寝顔も可愛く見える。

おっと、比べるのも失礼だな。いや、比べものにならないくらいに美司さんのほうが断然可愛い。




「······ん······んぅ······?」




じっと見つめていると、美司さんの瞼がゆっくりと見開かれた。

そして眠気眼を指で擦りながら、美司さんは俺のほうに視線を向ける。




「あ······おはよぉ、うっちぃ······」

「っ······!あ、ああ······おはよう」




とてつもなく可愛い寝起きに、俺はかぁっと顔が熱くなっていくのを感じて慌てて目を逸らして答える。

おはようなんて、随分と久しぶりに聞いたような気がする。なんだか嬉しいものだ。

いや、それよりなんだ······?妙に美司さんのことを意識しているような気がする。

今まで、そんなことはなかったのに······。




「んんーっ······!あっ、ごめんね?うっちが寝ちゃったから、あたしの寝室に運んじゃった」

「そ、それはありがたいけど······重くなかった?」

「うん、別に?あたし、こう見えて力強いしね!でも、あたしもつられて寝ちゃった」




てへへ、と苦笑いをする美司さん。

その笑顔も可愛くて、ドキドキしてしまう。

なんで俺、こんなに彼女に意識しているんだろう?




「め、迷惑かけてごめん······!」

「あ、謝らなくていいって!あたしも寝ちゃったから、お互い様!ねっ?」

「う、うん······」




ベッドの上で見つめ合う俺たち。

だけど、やはり気恥ずかしくて俺は慌ててベッドから起き上がる。




「そ、そろそろ帰らなくちゃな······!」

「えぇー、別に帰らなくてもいいのにぃ······なんなら、泊まっていけば?」

「い、いや······それはさすがに······」




ここまでしてなんだが、さすがにそれはNGのような気がする。

それに、そこまで世話になる訳にはいかない。

俺は帰宅の準備をし、玄関まで付いてきた美司さんに頭を下げて礼を言う。




「ありがとう、美司さん。おかげでリフレッシュ出来たようだ。なんだか頭の中がスッキリしている」

「そう?お役に立てたなら良かったよ!」




そう、今の俺の頭の中は不思議なくらいにクリーンな状態になっていた。

おかしいな、寝る前まではこうじゃなかった。

莉菜から受けた暴言の数々で考える余裕が無いくらいだったのに、今は何をすべきか普通に考えられる。

これも、ゆっくり寝れたおかげか?

それとも美司さんのおかげだろうか?

いや······きっと、どっちもなんだろう。

そう考えると、自然と口角が上がる。




「うっちが笑ってるところ久しぶりに見たよ!」

「そう······?そう、かもね」




笑う余裕すら無かったからな。あの暴言女のせいで。

そうだ、あの女のせいで俺は最近笑うことすら出来ずにずっと虐げられてきたんだ。何が夫婦だ、何が誓いのキスだ。ふざけるな。

えっ······あれ?俺、今なんて······?




「どうしたの?まだ休んだほうがいいんじゃない?」

「あ、いや······大丈夫だよ」

「そう?それなら良いんだけど······」




もう充分過ぎるくらいに休ませてもらった。

これ以上迷惑はかけられない。




「このお礼は必ずするよ。それじゃあ、また仕事で。ありがとう、美司さん」

「うん!またね、うっち!······ふふっ、上手くいって良かった」

「えっ······?」




玄関のドアが閉まる瞬間、ボソッと最後に何かを呟く美司さんの顔は不気味な笑顔をしていたような気がした。

······気のせいか?まあ、いいや。気のせいだろう。

さっさと帰って、シャワー浴びて寝よう。




「よし、帰るか!」




俺は今までにないくらい、晴れやかな気分で自宅への帰路を歩くのだった。




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