第5話  出勤




次の朝、俺は目を開けて起き上がるとベッドから降り、すぐにパジャマから仕事着のスーツに着替える。

ベッドにチラッと目を向けると、莉菜はまだすぅすぅと可愛らしい寝息を立てながら眠っていた。




「······可愛い」




つい、ぽつりと独り言を漏らす。

長年一緒に寝ているが、いつ見ても可愛い。

その可愛い寝顔を見ると、全て許してしまいそうになる。

これが惚れた弱みってやつだろうか?




「っ······駄目だ駄目だ」




ハッと我に返り、頭をぶんぶんと振って雑念を払う。

ここで許してしまうと、今と何も変わらない日々になってしまう。それだと意味がない。




「ふぅ······さて、と······」




俺は寝室を出て、洗面台に向かい顔を洗う。

歯磨きをした後、キッチンに向かって準備をする。

普段は莉菜の分の朝食も用意するが、無視すると決めた以上一人分だけを用意した。

とは言っても朝は時間が無いので、簡単にパンとレトルトのコーンスープだけだ。




「御馳走様でした」




それらを平らげ、忘れ物が無いかを確認した後、莉菜が起きる前にさっさと家を出た。




† † †




「おはようございます」




仕事場であるオフィスに着き、軽く挨拶をする。

すると、一人の男性が肩をポンっと叩いてきた。




「おう、おはようさん」

「おはようございます、課長」




ニッと爽やかな笑顔を向けるこのイケメンは、課長の在原真守ありはらまもる

俺の同期だったが、その人望と仕事の出来から若くして課長に出世したエリートである。

まさにこんな俺とは天と地。

だが、そんな俺にも気さくに話しかけてくれるため、社員の皆からは期待を寄せられている有能株だ。




「まったく、仕事上とはいえ課長は止めろとあれほど言っただろうが。俺たち、同期だろ?」

「いえ、同期とはいえ上司ですから」

「真面目だなぁ、お前は。美司を見習えよ?」




課長が俺から視線を移すと、その先には一人の女性の姿があった。

長い金髪のハーフツインにパステルカラーのリボン、紫のカラーコンタクトに紫のネイル。

まあ、言うなれば地雷系と呼ぶに相応しい格好だが、ちゃんとスーツは着用している。

端から見ると、割とシュールな光景だ。

いくら社風が緩いとはいえ、もう少しどうにかならないものだろうか?

あれで営業に行っても怒られず、むしろ営業先にも人気があるのは彼女の性格もあるのかもしれない。

そんな彼女は在原課長から名前を呼ばれると反応し、こちらに歩み寄ってくる。




「おはよ、うっち!」

「······おはよう、美司さん」




美司愛莉みつかさあいり

俺と在原課長と同期で、俺とは同じ高校を出た同級生だ。

とはいえ高校時代はあまり話さなかったため、仲はそれほど良くはなかったんだけど。

この会社に入ってから、美司さんとは良く話すようになった友人だ。




「なにー?あたしをじっと見つめて。まさか、可愛いあたしに惚れたぁ?」




俺の顔を覗き込むようにニヤニヤする美司さん。

顔が近いため、思わずドキッとしてしまうがすぐに平常心を取り戻す。




「······ああ、美司さんは可愛いよ」

「ふぇっ······!?」




素直に返しただけなのに、美司さんの顔は一気に赤く染まった。

白い肌だから、余計に目立つなぁ。




「ちょっ、ストレート過ぎない······!?」

「はははっ、美司!なぁに照れてるんだよ?自分でも可愛いって言ってただろ?」

「うっさい!自分で言うのと、他人に言われるのは違うの!ってかうっち!あたしを口説かない!可愛い奥さんが泣くよ!?」

「あ、あはは······ごめんごめん」




ぷくぅと膨れっ面になる美司さんを見ると、ちょっと元気が出てきた。

この三人と居ると、自分らしさが出てくる気がする。

そう、重苦しい家よりもこの職場に居たほうが俺にとっては心が休まる場所だ。




「んん~?うっち、今日はなんか違うね?」

「えっ······?」

「なんか最近元気無いように見えたけど、今日は一段と生気が無いっていうか······何かあった?」




具体的ではないにしろ見透かされたことで、俺の心臓は鼓動を早めた。

心配かけないように誤魔化そうと、必死に作り笑いをする。




「あはは······何でもないよ」

「んん~?ほんと?」

「本当だよ」




疑う美司さんに答えるも、彼女は納得いっていないような顔をしている。

じーっと綺麗な瞳で見つめられると緊張してしまうため視線をずらすと、美司さんは不満そうな顔をして俺の腕を掴んだ。




「み、美司さん······!?」

「かちょー!あたしとうっち、ちょっと抜けていい?すぐ戻るから!」

「お、おう?別にいいが······逢い引きは程々にな?あと、不倫は認めないぞ」

「ふ、不倫違うし!」

「あでっ!」




何故か照れた様子の美司さんは、在原課長にデコピンを喰らわせると俺の腕を引っ張って歩き出す。




「ちょっ、美司さん!?」

「うっち、あたしについてきて」

「えぇっ!?いや、俺今来たばっかりで······」

「いいから!」




美司さんがずんずんと歩き出すため、俺は抵抗する間も無く連れて行かれる。

在原課長に視線を移すと、彼はデコピンされたおでこをさすりながら「ごゆっくり~」と手を振って俺たちを見送っていた。




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