第3話 感情

視線を感じ、ばっと振り向くと、大きく見開かれたグリーンの瞳と目が合う。


思わず息をのむ。

俺は、一度絡んだ視線を振りほどくことができなかった。


「なむな、なむな!」

ゴブリンの声で我に返った。


ゴブリンはグリフォンに何かを伝えようとしていた。その様子は必死に訴えているようにも、怒っているようにも見える。

そこで気が付いた。グリフォンの爪が赤く染まっている。


ああ、こいつがマルクを‥

「ギャァーッ」

グリフォンは鳴きながら、太陽へ向かって飛び去って行ってしまった。

ゴブリンはただ俯き、俺は呆然とグリフォンを見送ることしかできなかった。


ゴブリンは不意にばっと顔を上げ、真っ直ぐこちらへ向かってくる。


思わず身構えたが、ゴブリンは俺の前を素通りし、大木の根本を堀り始めた。

何の真似だ?何がしたい?魔物の行動は、本当に意味が分からない。


ゴブリンが振り返った。


「あにま!うにま、うにま!」

ゴブリンは大木の根本とマルクを交互に指差し、俺に向かって手招きをする。


マルクを埋葬しようっていうのか‥?それで、俺に手伝えってことか?

半信半疑のまま俺は大人しくゴブリンの隣に並び、地面を掘り始めた。

ゴブリンの掘るスピードは俺の5倍くらいで、二人で一心不乱に掘っていたら、あっという間に深い穴になった。

ゴブリンは額の汗を拭うと、マルクの上半身を抱えてきて、そっと穴に置いた。


俺が下半身をゴブリンに手渡すと、ゴブリンは上半身と下半身を丁寧に合わせた。

それから二人で土を被せ、合掌した。


ゴブリンの目からは涙が溢れていた。



ゴブリンは随分と長い間、合掌していた。


合掌を始めた時に真上にあった太陽は、もうすぐ地平線に溶け込もうとしている。


俺は先に合掌を終え、木陰からゴブリンを見守ることにした。

そしてその間、ゴブリンが埋葬という概念を持ち合わせていたことについて考えていた。


魔物が感情を持っていることに疑問はない

しかし、喜怒哀楽くらいしか感情の種類がないと思っていた。

埋葬という概念を持ち合わせているなど、思いもしなかった。


挙げ句、ゴブリンは自分を殺そうとしていた相手を丁寧に埋葬し、まるで親しい人の死を悼むかのように涙を流しながら長い時間合掌している。


ゴブリンは何故、このような行動をとるのか。

今、何を思っているのか。

深く考えていたが、俺には想像もできなかった。


さらりと風が頬を撫で、木々の隙間から溢れた夕日がゴブリンを照らした。

「そうか‥」


何を先入観に囚われていたのだろう。

ゴブリンが人間を補食するというのも、前の世界のアニメの話だ。


アニメなんて誰かの空想で、架空の話にすぎない。

俺が実際に見たもの、経験したことが、俺にとっての真実なんだ。


人間は人によって価値観や考え方が違う。


それは、人間は生まれ育った環境や文化、経験、時間など、様々な要素で構成されていくものだから当然であると、俺は考えている。


この持論を前提とした時、俺は一つの仮説を思い付いた。

もし、ゴブリンが人間が抱いたことのない感情を持ち合わせているとしたら?


人間の多くは、喜怒哀楽、好意、期待、驚き、恐怖、疑心、善意、悪意‥挙げればキリが無い程の感情や気持ちを持ち合わせていて、場面によって様々な感情を抱く。


さらに、人生を全うしようとする最中、新しい感情が芽生えたり、こんな気持ちを味わうのは初めてだと思うようなことがあるだろう。


芸術や文化の観点から考察しても、人間は古来から感情を大切に生きていきたと言えるのではないか。

これほど感情豊かな人間という生き物が抱いたことのない、若しくは抱くことのできないような感情がゴブリンにあるとしたら。


今の俺にはゴブリンの感情や考えていることについて、到底理解も想像もできないだろう。

俺が、人間が、抱いたことのない感情‥。

そんなことが本当にあるのか?


もしそうだとしたら......


なんだこの高鳴る鼓動は、またあの時と同じだ興味が湧いて湧いて仕方がない!!


ゴブリンはただのお人好しなのか?マルクが悪意がないのを知ってるからなのか?


それとももしかして!本当に俺達人間にはない感情があるのか........

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