第5話 お風呂はどっちが先に入る?


「圭くん、いいのに」


「いえ、気にしないでください」


 俺はみんなの分の食器を洗っている。カウンター越しに見える父さんと静香さんはソファーに座っていて、里華はダイニングテーブルでスマホをいじっていた。いつも料理を作らない日はこうして洗い物をしていたし、それは母さんが生きていた時からだったので抵抗はない。


「圭くん、これからは無理に家事はしなくてもいいからね。実はね、まさるさんと話し合ってホームヘルパーさんを週に3回雇うことにしたのよ」


「そうだったんですか。父さん、ってことは職場復帰?」


「おぉ、圭は察しがいいな。前に上司だった人から声をかけてもらってな、その人が立ち上げた会社に入ることになったんだ。これからは圭と里華ちゃんのために稼がないとだしな」


 高校生は金がかかる。その上、予備校代や受験費用、大学入学の頭金に学費、一人暮らしをすれば仕送りだって必要になる。

 俺と里華は同い年だからその負担が一気にかかるというわけだ。父さんたち二人の選択とはいえ、家計にはかなりの負担になることだろう。


「まぁ、でも手伝いはする」


「圭くんは本当にいい子なのね。ありがとう」


 静香さんに褒められて少しだけ嬉しかった単純な俺は口角を上げて小さく頷いた。それを見ていた里華はスマホをテーブルに置くと俺のいるキッチンへと入ってくる。


「圭くん、布巾は?」


「えっと、食器棚の引き出しだけど、どうしたの?」


「拭くの、手伝うよ」


「ありがとう」


 里華は水を切っている最中の食器を手際よく拭いていく。油汚れの少ないものから洗って水切りをしているので洗っている最中にどんどん拭いて水切りカゴの容量を開けてくれるのはとても助かる。


「そうだ、石橋くん」


「ん?」


「お風呂の順番、どうする?」


 お風呂という言葉に俺は手を滑らせかけて皿を割りそうになった。なんとかシンクの中に落ちる前にキャッチしてことなきを得たが、慌てている姿を里華に見られてしまった。

 里華は含み笑いをするともう一度「どうする?」と首を傾げた。



 風呂という要素は考えれば考えるほど沼である。

 というのも里華はどっちが良いのだろうか。無論、俺が入った後の湯船に入らせるのはなんというか申し訳ない、気がする。

 けれど、里華が入った後の湯船に浸かるというと彼女は気持ち悪がるかもしれないと考えてしまえば俺がまるで変態のようだ。


 よって、俺は正解を導き出すことができなかった。


「どうしようか、宝城さんはどうしたい?」


「私? 私はいつでもいいかな。一応ここは石橋くんのお家なんだし合わせるよ」


 彼女に合わせるという作戦もダメ、俺はここで答えを出さなきゃならないらしい。彼女の方を横目で見ると、何食わぬ顔で皿を拭いている。

 俺の考えすぎか、それとも……。


「俺は一番最後でいいかな」


「そう……私も普段はシャワーだけだから最後でいいかなって思ったんだけれど。じゃあ優さんとママたちに先に入ってもらおっか」


 わかっていたのかいないのか、里華はにっこりと微笑むと拭き終わった皿を食器棚に戻すし、リビングに向かって行った。「風呂」というちょっとセンシティブな話題で緊張していた俺はどっと疲れが出てため息をついた。


 しばらくして里華が戻ってくると


「ママたち先に入っちゃうって。ねぇ、石橋くん。まだママたちの前ではうまく呼べないんだけどさ」


 里華が食器をとるふりをして俺にぐっと近寄ってくる。肩と肩がふれあいそうなくらいの距離感、彼女の少し悪戯っぽい顔に俺は思わず目を逸らした。


「な、何? 宝城さん」


「二人っきりの時は、お兄ちゃんって呼んでもいい……?」


「えっ……」


 顔がジンジンと熱くなって、足が震える。里華はそれでも続ける。


「私ね、もしもお兄ちゃんができたらやりたいことたくさんあるんだ。これからママも優さんもお仕事で忙しくなるからさ。私たち二人っきりになるでしょう? そうしたらたくさん甘えてもいいかな?」


 こんなの「はい」としか言いようがない。里華は男女ではなく純粋に「兄妹」として言っているんだと自分に言い聞かせ、俺は首を縦に振った。

 

——こんなの心臓がもたないっ……


「ねぇ、お兄ちゃん。お風呂に一緒ってのはダメだよね?」


 里華が耳元で囁いて俺は身をがっちりと固める。


「だ、ダメに決まってるだろ」


「そっかぁ、残念。家族なのにね」


 肩を落とした彼女は油切りのバッドを拭きながら可愛らしいため息をついた。ため息をつきたいのはこっちの方である。少しでも、ほんの少しでも一緒に風呂に入るのを想像してしまった。


 俺のそばにいるこの義妹は小悪魔なのかもしれない。俺は無事、彼女と家族になれるのか少し不安になってきたような気がする。

 俺は煩悩を消し去るように必死で揚げ鍋をスポンジで擦るのだった。



——あまりにも学校と家でギャップがありすぎるよ! 宝城さん!


 そう叫び出したい気持ちをグッと堪えて俺は唇を噛んだ。



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