第11話  絶対的

 ランペイジ。

 それは生と死の境で足掻く人間に、神が気まぐれで与える一時の奇跡、言うなれば究極のドーピング。

 理性を失い、思考を放棄して、生存本能を最優先した結果、視認した生き物を手あたり次第殺し続ける狂人と化すのだ。

 ヒガサは一度経験しているがゆえ、ランペイジ状態になったことにいち早く気づいた。

 しかし、


「はぁ……はぁ……あれ……つかなんで俺……喋れてんだ?」


 前回のランペイジでは、右半身の制御ができた数秒間は別として、声を出すどころか何もできなかった。

 が、今は声帯はもちろん、全身を自由に動かせている。

 ふとした疑問だが、これは非常に重要なことである。

 なぜなら早乙女が諦めかけていたランペイジのコントロールができていると言っても過言ではないからだ。


 さて置き、ヒガサは左の視覚と右腕を失い、かつ呼吸困難。

 対するアブソリュートは右足の骨折のみ。

 負傷箇所の数だけで言うとヒガサの方が圧倒的に不利だ。

 しかし両足で踏ん張れるのと、片足で攻防を耐えしのぐのとでは、訳が違う。

 それを鑑みるなら、有利不利はさほど無いだろう。


 そんな理屈など知ったことか。

 まるでそう言いた気なアブソリュートは、ヒガサよりも先に動き出した。

 再び、約0.3秒の盲目を狙って攻撃を繰り出したのだ。

 何より驚くべきは、片足が骨折しているとは思えない速さだったこと。

 しかし、ヒガサは同じ轍を踏まない。

 まばたきの直後、アブソリュートが目の前に迫るのを見て一瞬焦りを感じたものの、巧みに攻撃をかわした。


 アブソリュートもまた、ただ不意打ちを狙っていただけではない。

 避けられた後も勢いを緩めず、次々と攻撃を繰り出す。

 片足では踏ん張れず、連続でパンチを放てないと判断したアブソリュートは、時折地面に手をつけて、ブレイクダンスを魅せるように足技も交えて攻撃を続けた。

 ランペイジ状態かつ両足が健全なヒガサは、それらの全てをさばきつつ、所々反撃の手を打っている。


 そんな激しいせめぎ合いの中、ヒガサは相変わらず疑問を解消できずにいた。

 ヒガサに身体制御権を奪われている感覚がほぼ無いのはなぜか、という謎だ。

 ランペイジ状態であることは間違いない。

 そうでなければ今現在、アブソリュートの応酬に太刀打ちできるはずがないからだ。

 基本的に体は自分で動かせているのだが、アブソリュートの攻撃を食らいそうになった時に限ってヒガサに体を乗っ取られる。

 その後、窮地から脱した瞬間、ヒガサへ身体制御権を返還される、といった流れ。

 ヒガサの意思を尊重しつつ、ここぞという時にヒガサが力を貸してくれるのだ。

 一人だが、共闘であると言える。


 しばらくの間、闘いは拮抗。

 しかし、とあるヒガサの足払いがアブソリュートの体勢を大きく揺るがす。

 片足で全体重を支えているため、それを崩されることは倒されることに同じ。

 たかが尻や手が地面につくまでの一瞬だと侮ってはならない。

 こと二人の戦闘において、そのコンマ数秒が命取りなのである。


 無論、ヒガサは間髪入れずに左手の拳をグッと握り、アブソリュートの顔面めがけて押し出す。

 あまり振りかぶらず、速さを重視した正拳だ。

 だがしかし、すんでのところでアブソリュートは両手を重ねて顔の前に壁を築く。

 ヒガサはそれに気づいたが、軌道を変えるつもりなど毛頭無い。

 ガードの上からでもぶちのめす自信があったからだ。

 その自信に共鳴するかの如く、終始ディフェンス面で活躍していたヒガサも力を貸す。


 凄まじい威力のパンチは、いとも簡単にアブソリュートのガードを砕き、歪んだ顔面へ届いた。

 化け物は吹き飛び、壁に衝突。


「お、おぉ……」


 ヒガサと共に放ったパンチの攻撃力にドン引きするヒガサ。

 初っぱなに、仁王立ちのアブソリュートへ叩き込んだものとは比べ物にならないほどの衝撃と手応え。

 人に向けていい力ではない。

 と、ニュークの危険性を改めて痛感した。


 しかし闘いはまだ終わらない。

 アブソリュートはしぶとく、片足ながらもすんなり立ち上がって、


「測定不可。制限解除率60%から65%へ変更」


 合成音声を響かせた。

 要するに解除率60%ではヒガサの実力を計測できないということ。

 捉え方によっては白旗を挙げたとも言えよう。

 もっとも、解除率60%のアブソリュートに限っての話だが。

 パーセンテージから察するに、まだまだ本気は出していないのだろう。




※※※※※




 その後も、均衡した戦闘が続き、両者ともにダメージが蓄積されていった。

 闘いの中で、アブソリュートは徐々に解除率を上げ、現在は77%まで及ぶ。

 当面の間、解除率77%のままヒガサの戦闘力を測定したアブソリュートは、唐突に手を止めて距離を取り、


「測定完了。制限解除率77%から96%へ変更。テストモードからアサルトモードへ移行。オーバーアビリティ解放」


 飛躍的な解除率の向上を告げる。

 65%になってからのアブソリュートは、3%ずつ解除率を変更してきた。

 しかし今回は一気に19%もの上昇。

 測定も終え、あとはヒガサを殺すことだけを考えればいい。

 そんなアブソリュートの心の声が漏れ出しているようだ。


「はぁ……はぁ……さすがにきついか……」


 ヒガサは滴る汗を拭いながら呟いた。

 呼吸困難の中、ここまで闘い続けた彼の気概は称賛されるべきだが、もはや限界。

 エントランスで観戦している者も皆、同情していることだろう。


 すると、アブソリュートは今までとは異なり構えることを止めて、ただただゆっくりと右足を引きずりながらヒガサの元へ歩み始めた。

 解除率が96%になったからなのか、オーバーアビリティとやらを解放したからなのか、理由は分からない。

 しかし不気味なくらい堂々としている。

 対するヒガサは、左手を前に構えて攻撃に備えた。


 一歩踏み込めば互いの拳が届く間合いに入っても、アブソリュートは攻撃する素振りを見せない。


 ついには、手を伸ばせば触れられる距離まで肉薄した二人。


 ヒガサは分析に徹していた。

 すぐ目の前にいるにもかかわらず、何もしてこないアブソリュートに先手を打つべきか、それとも下手に動かずカウンターを狙うべきか。

 そもそもどうして何もしてこないのか。

 なぜその気配すら無いのか。

 そうしてヒガサなりの答えが導き出される。


「そっか。そういうことね……」


 と言って、ヒガサは最後の力を左手に集中させた。

 そしてアブソリュートに悟られないよう最小限の動きかつ全速力で拳を振り上げる。


 


※※※※※※




「ぶはぁ! はぁ……はぁ……」


 気持ちのいい日差し。

 たくさんの捜査官。

 相変わらず涼しい表情の村雨。


 ヒガサはエントランスに強制転送されていた。


「村雨さん、もしかして俺…………」


「はい。お察しの通り、あなたは死にました」


「マジ……すか…………」


 ストンッと肩を落としてため息を吐いたヒガサ。

 すると、


「天若! すげぇよお前!」

「いや~久々に熱い闘いが見れたな!」

「ちげぇねぇ! あのアブソリュートにあそこまで本気出させたのヤバいだろ!」


 集まっていた捜査官が口々に称賛の意を示す。

 ヒガサ対アブソリュートの映像を観戦していた捜査官らの熱はまだ冷めていなかった。

 そもそも見られていたことを知らなかったヒガサは、


「う、うっす!」


 少し照れくさそうに返事をした。

 そんな騒がしさの後ろの方から、


「ちょっと通してやあ兄ちゃんらぁあ!」


 とんでもない音量の声が響き渡る。

 振り返った捜査官らはざわつきながらも、ささっと道を開けた。

 切り裂かれるように開かれた道の先には、スーツが破裂しそうなほどパッツンパッツンのマッチョ大男。


「なんやえらい息合っとんねやな兄ちゃんら! すんまへんけど通らしてもらうで!」


 口ではそう言うが、申し訳なさそうな素振りを微塵も見せず、これでもかといかり肩を切って歩き始めた。

 側頭部に刻まれた剃り込み、逆立ち燃えるような赤い髪。

 どんな鍛え方をすればそうなるんだと聞きたくなるほどの肉体から伸びる首は、顔と同じくらい太い。

 道を開けた捜査官らは、目の前を歩いてゆく巨躯を眺めながら、


「ガイアさんだ……」

「俺初めて見た……やっぱやべぇ筋肉だ……」

「あれが二位の……」

「クラスシグマは伊達じゃねぇ……」


 そんなモブの声などまるで聞こえていない巨人は、ヒガサの目の前に到着。

 同時に、ヒガサの視界は陰った。

 それは天井から差し込む日光が目の前の巨体に遮られたからだ。


「天若ヒガサ!」


 すぐ近くに来てもなお、異常な声量。

 ビクッと体を震わせたヒガサは見上げて、


「は、はひ!」


 なんとか声を絞り上げた。


「俺は千劉せんりゅうガイアや! よろしくな!」


 と、キャッチャーミットのように分厚く大きい手を差し出した。

 握手をしようにもどこを握れば成立するのか分からないが、ヒガサはとりあえず親指の付け根の方を握って、


「よ、よろしくおなしゃーっす!」


 ガイアに対抗するように大声で叫んだ。

 その反応が嬉しかったらしく、ガイアは真っ白な歯をちらつかせて、


「ええなええなぁあ! まぁこれから頑張れやぁあ!」


 ヒガサを声で押し潰すかのように叫び返した。

 そして満足気な顔のまま振り返って、去って行った。


「な、なんだったんだ…………」


「彼は一課の捜査官です。見た目通りの強さで、長らくランクマッチで負けたところを見ていませんね」


「すげぇ……確かに勝てる気がしねぇ……」


「さて、皆さんも解散してください」


 村雨が集まっていた捜査官に告げた。

 大人しく皆散らばり、エントランスは落ち着きを取り戻した。


「天若さん。アブソリュート戦の話はそこでしましょうか。私は飲み物を用意しますので先に座っていてください」


 そう言って村雨は少し離れた場所に設置されたドリンクサーバーへ向かった。

 村雨の言葉に甘え、ヒガサは先に着席。


 しばらくすると村雨がカップとグラスを両手に戻ってきた。


「どうぞ。お飲みください」


 差し出してきたのはオレンジジュース。

 村雨はホットコーヒー。

 わざわざ注いで来てもらってなんだが、


「いや、オレンジジュースって……」


「お嫌いでしたか? 他にもアップルジュースやグレープジュースもあります。お取替えいたしましょうか? あ、バナナジュースもありました」


 ヒガサの意図は伝わらず、


「大丈夫っす。オレンジジュース、好きなんで……ってそんなことより! 俺は最後どうなったんすか!? 顎を狙って手を振り上げたことは覚えてるんっすけど……」


「まずは見てみましょうか」


「見る?」


「えぇ。戦闘の映像データは全て残りますので、いつでも見返せます」


 すると村雨はコーヒーカップを少し移動させて、テーブル中央に設置されたタッチパネルを操作し始めた。

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