第9話 アブソリュート
引き続き、ヒガサは村雨からジェネレーターと呼ばれる機械の説明を受けた。
ジェネレーターの環境設定機能は、訓練を行う領域の広さはもちろん、天候や季節、建物の数や構造、自動販売機をどこに設置するかなど、細部までセッティングできる。
とはいえ、考え出すとキリが無いため、工場や商業施設、オフィスビルといった大まかなテンプレートもあるし、住所を入力すれば現実世界の建造物が再現されるらしい。
しかしこの機能はランクマッチではいじれない。
それは運要素が介在してしまうからだ。
よって、ランクマッチは何も存在しない無機質な空間で行われるという。
確かに何も無い空間では、それぞれの実力が顕著に出る。
個の実力を測るには持って来いの仕組みだ。
では環境設定機能は、いつ活躍するのか。
それは、戦闘AIとの訓練の時である。
戦闘AIはレイヴンと称されており、レベルが1~100まで設定できる。
さらにもう一体、レベル100のレイヴンとは比べ物にならないほどの強さを持つ戦闘AIがいるとのこと。
その名も、
「アブソリュート、です」
「きたぁあああ! とにかくかっけぇえやつぁぁあ!」
相変わらず騒がしい少年。
それに一切ついて行く気が無い村雨は泰然と続ける。
「アブソリュートは、歴代ランカーの戦闘データや脳機能を元に生成されたAIです。ランキング1~3位の三人でも敵わない化け物ですが、今から天若さんにはそれと闘っていただきます」
「へぇ。なんかよくわかんねえけど、仮想空間なんだし、思いっきりやればいいんっしょ?」
「えぇ。ただ、初回だけは非常に大事です。なぜなら、この戦闘結果で――――」
「いいっすよなんでも! 今の俺がどれくらい強いのか早く知りたいっす!」
若さ。
ゆえに傲慢。
それは長所にも短所にもなり得る。
少年の身勝手さに呆れた村雨は、説明を諦めてジェネレーターを操作し始めた。
そしてパネルに手形マークを表示させて、
「こちらに手を」
ヒガサにタッチを促す。
無論、ヒガサは迷わず手の平をパネルにペタッと貼りつけた。
「では、健闘を祈りま――――」
村雨の言葉を聞き終える寸前、ヒガサの視界はグルンっと揺らぐ。
「うぉあ! なんだ今のっ……!?」
ブルッと顔を横に振って正気を取り戻したヒガサは、いつの間にか何一つ無い真っ白な部屋に移動していた。
「そういや転送機能を備えてるって言ってたっけ」
どうやら、村雨が言っていたランクマッチ用のステージに転送されたらしい。
実際に立ってみれば分かるが、逃げ場が無いというのは妙な緊張を感じるものである。
かといって狭いわけでもなく、中学や高校の体育館ほどの広さ。
そして10メートルほど先に、見慣れた黒のスリーピーススーツ。
ネクタイは黒一色で、所属課を示す一本の縦線は無い。
くわえて、顔も見えない。
靄(もや)というか陽炎(かげろう)というか、顔の部分だけ時空が歪んでいるよう。
「こんにちは天若ヒガサさん。私の名前はアブソリュート。これよりテストモードにて戦闘訓練を行います」
合成された男声を響かせて、律儀に会釈をしたアブソリュート。
「訓練終了条件は、どちらか一方の絶命。闘いにおけるルールはありません」
「ほぉ、あんたの体の作りは人間と同じなのか?」
「はい。あなたたちと同じく、心肺が停止すれば息絶えます。ただし、見ての通り顔の作りは少し異なりますが、打撃などは効きますのでご安心ください」
「なるほど。俺は死んだらどうなるの?」
「こちらに転送される前にいたエントランスに戻ります」
「オッケー!」
「ご存知かと思いますが、シミュレーターの中では痛覚が鈍くなっています。しかし殺される時の恐怖はどうすることもできないので、我慢してください」
と、最後に煽りをかましてきたアブソリュート。
もちろん、それはヒガサの殺る気を促進する。
「あんたこそ我慢しろよ。ぶち食らわしてやるから」
声のトーンを落としたヒガサは、ドンドンッと胸を叩いて、ファイティングポーズ。
「では始めましょう。いつでもどうぞ」
対するアブソリュートは、仁王立ち。
そのスタンスに、さらに腹を立てたヒガサは、
「けっ。舐めやがって!」
全力で走り出し、アブソリュートの滲んだ顔面をめがけて拳を振りかぶる。
依然として仁王立ちの化け物に、避ける気配は皆無。
何か企みがあるに違いない。
単純なヒガサにさえそう思わせるほどの余裕っぷり。
カウンター狙いか、それとも見切れるつもりか。
いずれにしろここは仮想空間。
どうなろうがやり直しが利くんだ。
と、腹を括ったヒガサは、勢いに身を任せることにした。
そんなヒガサの判断は正しかった。
彼の拳はアブソリュートの顔面をとらえ、ぶっ飛ばした。
それはもう力の限りを尽くした重い一撃。
そんな右ストレートをモロに食らったアブソリュートは、凄まじい速度で壁に激突し、地面に崩れ落ちる。
「へっ! 何が歴代ランカーだ、俺のが強ぇっつの!」
マッスルポーズを決め込んだヒガサ。
だがしかし、一撃で仕留められるほど歴代ランカーは甘くない。
地に伏せたアブソリュートは何事も無かったかのように立ち上がりながら、
「脚力B、腕力A、打撃力C……」
ブツブツと何かを呟き始めた。
相変わらず表情が伺えないため、どれほどのダメージを与えられたのか分からない。
「判断力E」
ここでようやくヒガサは気づいた。
なぜアブソリュートがパンチを避けなかったのかを。
「なるほどそういうことね。バカみてぇじゃん、俺」
今度、アブソリュートは仁王立ちではなく、片足を一歩引いて斜めに構えた。
無駄が無い。
くわえて妙なプレッシャー。
しかしヒガサは怯えず、二発目をぶちかまさんと踏み出す。
再び大きく振りかぶって押し出した右の拳は空を切った。
仁王立ちしていたさっきのアブソリュートの動きとはまるで違う。
だがヒガサもバカではない。
避けられることは想定済み。
勢いそのまま体を回転させて、
「舐めんじゃねえ!」
遠心力を上乗せした左手の裏拳をブン回した。
が、アブソリュートはそれも容易く避け、ヒガサの懐にグイッと踏み込む。
「瞬発力D」
煽るように評価を告げたアブソリュートはヒガサの横腹に拳をねじ込んだ。
しかし痛覚が鈍くなっているせいか、アブソリュートの攻撃は大した威力ではなかった。
セツナの蹴りと比べれば子犬を撫でるようなもの。
とはいえ、立て続けに攻撃を食らうまいと、ヒガサは一歩後退する。
そんなヒガサのネガティブな一歩に、アブソリュートは前進の一歩でアンサー。
まるで体と体が糸で繋がれているかのように一寸違わず、ボヤけた面がヒガサをピッタリと追尾。
その不気味さ、正確さに、ヒガサは体勢を崩す。
「んなっ……!」
ヒガサは完全に油断してしまった。
それはアブソリュートのパンチ力の弱さが所以。
100%ヒガサの失態だが、アブソリュートの実力を推し測れたと勘違いしてしまったのである。
言うまでもないが、アブソリュートはその油断を許さない。
先ほどのカウンターとは比にならない威力の正拳をヒガサの鼻にお見舞いした。
体勢を崩していたのもあり、成す術無く少年は宙を舞う。
痛覚が鈍くなっているわりにはスゲェ痛い……。
そんなことをのんびりと考えられるほどの滞空時間を経て、無事に顔面から着地。
しかし負けず嫌いなヒガサはすぐに立ち上がって、片方の鼻の穴を塞いで、溜まった血の塊をフンッと噴き出した。
アブソリュートは拳に付着したヒガサの鼻血をハンカチで拭きとりながら、
「瞬発力DからEへ、判断力EからFへ訂正。耐久力C、復帰力D。測定完了。テストモードからアサルトモードへ移行。制限解除率、40%から60%へ変更」
再び隙の無い構えを見せた。
どうやら闘いはまだ始まってもいなかったらしい。
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