第8話   バーチャルリアリティ

 村雨に連れられて到着したのはシミュレーターと呼ばれるカプセルが並ぶ施設。

 並んでいるカプセルの数は20台。

 人が入るにはかなり余裕のあるサイズのカプセルだ。

 物珍しそうにしているヒガサに、村雨が説明書の役割を果たす。


「シミュレーターとは、ホログラフィック・コンバット・シミュレーターの略称で、自分の身体を仮想空間に複製し、戦闘訓練を行えるシステムのことです」


「きたきたぁ! よく分からんけどかっけぇやつぁ!」


 無駄にテンションが上がるヒガサ。

 相変わらず彼は高二でありながら、中二でもあるのだ。


「シミュレーターの使い方は、非常に簡単です」


 そう言った村雨は、カプセルの内側を指差して、


「ここにジャックインボタンがあります。中で仰向けになってこのボタンを押すと、カプセル内の身体や服、武器などを含む全ての物質情報が仮想空間に複製されます」


「とにかくこの中で寝転んで、ボタンを押せばいいわけっすね!」


「そうですね。ボタン押下後の数秒間は、現実世界と仮想空間の狭間である、境界領域に意識が飛ばされます。初回だけは、その領域で意識が消し飛ぶことがあるので、気をしっかり保ってください」


「うっす!」


 かなり重要な話のようだったが、上の空で気の抜けた返事をするヒガサ。

 とにかくさっさと仮想空間とやらを体験してみたい。

 そんな気持ちで一杯の少年には、シミュレーターの起動方法以外の情報は入ってこないらしい。

 察した村雨は、


「どうぞ、試してください」


 百聞は一見に如かずと、ジャックインを促した。


「うっす!」


 待ってました!と言わんばかりにヒガサはカプセルに飛び込んだ。

 やはり外から見ていた通り、一人で入るにはかなり大きく設計されており、余裕で両手を伸ばせる横幅。

 縦幅はヒガサの身長の1.5倍ほどだと仮定すると、260~270センチ。


 色々と未知だが、ヒガサは迷わずジャックインボタンとやらを押した。

 すると、カプセルのふたが足元から頭にかけて、オープンカーの屋根のように閉まり始める。


「「「ホログラフィック・コンバット・シミュレーター、起動」」」


 男の合成音声がカプセル内に反響する。

 そうして蓋が完全に閉じられ、外界の光が遮断された後、


「「「エミュレート開始」」」


 カプセル内全体が緑色の光に包まれた。

 人間は未知の体験に対して恐怖を感じる生き物だが、今のヒガサはひたすらワクワクしている。


「「「エミュレート完了。スイッチングまで3」」」


 カウントダウンが始まる。


「「「2」」」


 ドキドキ。


「「「1」」」


 ワクワク。


「「「0」」」


 瞬間、ヒガサの体に凄まじい重力がのしかかる。

 リリースした力を持ってしても、指先すら動かせない。

 その後、体全体が液状化するような感覚に陥る。

 様々な違和に耐えられなくなったヒガサは、ストンと瞼を閉じた。




※※※※※




 次に目を開けた時、ヒガサはベッドの上で、白衣をまとった複数人の男に押さえつけられていた。


「な、なんだ!? やめ……放せよ!」


 ヒガサの言葉は届かない。

 いくら足掻こうと力が思うように入らない。

 男たちはヒガサの頭にヘルメット型の何かを無理矢理装着させる。

 すると、急激な睡魔に襲われ、ヒガサは一瞬にして意識を失った。




※※※※※




「ぶはぁっ……!」


 息苦しさの中、ヒガサは辛うじて目を開ける。

 足元には緑色に煌めく光の円環があり、彼はその中央に立っていた。

 様々なゲームで登場するワープ的な、ポータル的なアレだ。

 横を見渡すと、同じ円環がズラリと並んでいる。

 複数人が同時にジャックインした時にパンクしないように設けられているのだろう。

 そして目の前には、


「大丈夫ですか?」


 涼しい顔をした村雨。


「うっす……なんか変な夢を見てたような……村雨さん、ここはいったい……」


「すでにシミュレーターの中で、ここはエントランスです」


 だだっ広い真っ白な空間。

 壁にはたくさんのモニターがあり、お知らせやニュースが流れていたり、人と人が闘っている様子が映し出されている。

 室内には丸や四角、三角、といった様々な形のソファやテーブルが多く設置されており、たくさんの捜査官が行き交っていた。

 ヒガサと同じ青線のネクタイばかりで、一課や二課の捜査官はいないようだ。


 何よりも強烈な違和感、それは日差し。

 というか窓。

 というか空!

 天井がガラス張りになっていて、青い空や眩しい太陽が見える。

 仮想空間だから自由にデザインできるのは当たり前かもしれないが、いざ体験してみると現実世界と何も変わらない。

 そう感じるのはおそらく、四肢を動かす感覚や体そのものが完璧に再現されているからだ。

 ヒガサは友人宅でVRゴーグルを活用したゲームを体験したことがあるが、その感覚とはまるで違う。

 仮想空間に存在する別のキャラクターを動かすという感覚と、仮想空間に存在する自分自身が動くという感覚の差。

 ここまで来るとゾッとする。


「す、すげぇ……現実と全っ然変わらねえ……」


「科学とは計り知れないものですね。私もここに来る度に圧倒されます」


「うんうん! こんなのでゲームができれば最っ高じゃないっすか!? つか、どうして未だにゴーグルなんか着けないとゲームできないんだろ」


「確かにさぞ楽しいことでしょうね。でもこんなリアリティの中で人を殺したりできますか? 目の前にいる私を、あなたは殺せますか?」


「ん~多少は躊躇するけど……仮想空間って分かってるから殺せるかも」


「この技術が世間一般に公開されない理由がそれです」


「どゆことっすか?」


「天若さんは私を殺すことを躊躇すると言いましたよね。どうしてですか?」


「そりゃ人を殺すのは良くないことだし、仮想空間っつってもめちゃくちゃリアルだし」


「どうして人を殺すのは良くないのですか?」


「どうしてって……痛いだろうし、人それぞれの人生があるし……とにかく殺すのは悪っす」


「その漠然とした拒絶。それは誰もが持つ感覚です。しかしこの仮想空間で人を殺すことにより、その感覚が失われる可能性があるのです」


 心理学でいうところの、馴化じゅんか

 ある刺激やストレスを反復して感じることにより、その事象に対する反応が徐々に薄れてゆく現象。

 すなわち〝慣れる〟ということだ。

 それはこの仮想空間における再現度の高さゆえの弊害。


「様々なことに順応するのは人間の強みですが、こと殺人においては絶対に慣れてはいけません。だからこの技術を世間に普及することはリスクが高過ぎるのです。天若さん、あなたも人殺しに慣れないよう気をつけてください」


「うっす……」


 確かにその通りであるとヒガサは素直に共感した。

 しかし同時に、村雨の言葉の意味を深読みしてしまい、モヤモヤする感情を拭いきれずにいた。

 殺人に慣れることを危惧するよりも、人を殺める行為そのものを否定してほしかったのだ。

 之槌が言っていた人を殺す覚悟があるからこそ、村雨はその先の話ができるのである。

 やはりヒガサにもその覚悟が必要なのかもしれない。


「ちなみに、シミュレーターの中では痛覚が鈍くなっています。試しに頬をツネってみてください」


 そう言って、村雨は自分の頬に人差し指を添えた。

 ぶりっ子アイドルが平気でキメそうなポーズに、ヒガサは少し動揺。

 真性のぶりっ子がするのとは違い、普段は堅物なやつほどギャップが生まれてグッとくるのである。

 そんなことはさて置き、ヒガサは頬をつまみ、力を込めた。


「マジだ! 確かに痛くない! でもなんか気持ち悪いな」


 かなり力を入れているが、ほぼ痛みを感じない。

 しかし触れている感覚は明確にある。

 肘をツネった時の触感にかなり近い。


「痛みをあまり感じないことで、より闘いに集中できるのです」


「んー、確かにそれはいいかもしんないっすけど、訓練としてはちょっと甘くないっすか? もし現実で負傷したら、痛みとも闘わないといけないわけだし」


 意外にも先を見据えた少年の質問に感心した村雨は「ほぉ」と言わんばかりに口を丸くして、


「素晴らしい。おっしゃる通り、現実では痛いからと言って逃げ出す訳にはいきませんから、痛みに耐える訓練もしておくべきかもしれません。しかし、実は痛覚が鈍くなるようプログラムされている最大の理由は、精神に異常をきたさないためなのです」


「精神? 現実にいる自分の精神っすか?」


「えぇ。厳密に言うと、ここにいる私もあなたも、体は複製されていますが、心は現実世界とリンクしています。意識や心などという曖昧なものを複製するのはなかなか難しいのだそうです」


「あ、そっか、物質ってじゃないっすもんね」


「そういうことです。ですからもし、仮想空間と言えど強烈な痛みを感じながら死んだりすると、現実の精神にも影響を及ぼしかねないということです」


「なるほど、納得っす」


 相変わらず堅物ではあるが、順序立てて説明してくれる村雨は、まるで教師のようだ。

 何かと適当そうなセツナとは大違い。


 少し間を空けて、少年の疑問が解消できたことを確認した村雨は、


「さて、あのモニターを見てください」


 壁に貼りついたモニターへ、頬を赤くしたヒガサの視線を誘導する。

 どうやら痛みは感じづらくとも、皮膚の炎症は起こるらしい。

 もちろんそれに気づいていないヒガサは呑気にモニターへ目線を上げた。


「あれは? 何かのランキング?」


 モニターには、数字と名前が流れている。


「えぇ。ランクマッチというものです」


「ランクマ! さっき之槌さんが言ってたやつっすね! BPEXでマスター帯いった時は嬉しかったなぁ。プレデターは無理だったけど」


「ゲームですか。おそらくそれと似ていますね。仕組みは単純明快で、一つ上の順位の捜査官と一対一で闘い、ランキングを上げていきます。先ほど之槌さんがおっしゃっていたクラスというのは、このランキングに応じて決まります」


「え、一対一? チーデスとかバトロワとかないんっすか!?」


「それだと相性や運などの要素が介在してしまいます」


「そうっすか? でも運も実力の内って言うっすけどね」


「確かにそうかもしれませんね。ですが私たち特脳捜査官は運を理由に負けてはいけません。運を理由に、一般市民を危険に晒してはいけないのです。だからこそ、全捜査官の実力を明瞭にするためのランクマッチです」


 この時ヒガサは、自分の履き違えを改めた。

 ゲームと現実は違う。

 ゲームでは死んでもやり直しが利くが、現実ではそうもいかない。

 一か八かの運で人の命を守れるほど現実は甘くないのだ。


「そうっすよね。俺も運に頼らない強い男に……弟みたいに人を守れる男にならねえと」


 突拍子もないことを呟いたヒガサ。

 彼の脳内では整理できていたのだが、完全に言葉が足りていない。

 村雨は、何の話?という疑問を抱きつつも、ランクマッチの説明を続行。


「次にクラスについてです。あのランキングで1~3位までがシグマ、4~10位までがアルファ、11~30位までがベータ、31~60位までがカイ、61~100位までがデルタ、それ以下がイプシロン」


「なるほど。俺は新人だから最下位からスタートっすか?」


「いえ、初期順位はこれから決めます」


 と言って、大きなタッチパネルがついた機械の前に立った村雨。

 例えるなら牛丼屋の発券機。

 もっとも、見た目はそれよりもずっとスタイリッシュで、パネルも大きいが。


「これはジェネレーターと言って、訓練場所の環境や敵AIの設定ができるのと、設定した空間への転送機能も備えています」


「ジェ、ジェネRATOR……」


 次々と鼓膜を揺らす中二チックなワードに、ヒガサの眼の輝きが増してゆくばかり。

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