第7話 慈しみ殺す
特脳軍情報局第四課、課長室前。
予定通り、これからヒガサは四課長と対面する。
課長室まで案内してくれた事務員らしき女は、
「それじゃ、行きますね~」
と、課長室の扉をノックもせずに開けて、ヒガサを室内に押し込む。
「ちょ、なに!?」
訳も分からず課長室にぶち込まれたヒガサ。
彼を部屋に押し入れた女は、大急ぎで扉を閉めた。
その理由は否が応でもヒガサは知る。
「ゴホッゴホッ……けむっ……」
晴れない視界と、汚れた空気。
火事現場と見まがうほど、タバコの煙が充満していたのだ。
そんな紫煙の奥から、
「天若か。そこ、座れ」
低い男の声がヒガサの鼓膜に届く。
が、人影が辛うじて見えるだけで、顔などは全く。
依然として、喉が千切れそうなほど咳をするヒガサを気遣った男は、
「仕方ないな」
と、天井に備えられた装置を起動した。
〝ボーーー〟という音が鳴り始め、室内に籠った煙が徐々に渦を巻いてゆく。
その後、煙はギューンっと天井に吸い込まれて、室内の空気が即座に澄み渡った。
「ゴホッ……な、なんこれ。すげぇ……」
「焼肉屋のテーブルの真上に換気扇があるだろ? あれの何十倍も強力な換気扇を天井に設置したんだ。うるさい部下が勝手にな」
すると、ヒガサを部屋に押し込んだ女が扉を開いてひょっこり顔を出し、
「せっかく取り付けたんですから、常に回しておいてくださいっ!」
吐き捨てて、バタンッと扉を閉めた。
日頃から
「あぁ部下も換気扇もうるせぇったらありゃしねぇ。まぁとにかくそこ、座れよ」
男の指示通り、ヒガサはソファに腰かけた。
「俺は四課長の
黒い髪は水分を失くし、パサパサ。
ちぢれた前髪の隙間から見え隠れする目は、ハッキリ言って不気味。
スリーピーススーツでなければ、ただの浮浪者にしか見えない。
テーブルに置かれた灰皿は、タバコの吸い殻で塔を築き始めている。
入室時の煙たさも納得できるほどの喫煙量だ。
座ったばかりのヒガサは立ち上がり、
「天若ヒガサ! 高校二年! よろしくおなしゃーっす!」
元気溌剌な発声と共に頭を下げた。
「おぉ、元気だなお前」
「そりゃもちろん! 人のためにし――なれるわけっすから!」
「そいつはいい心構えだな。お前も一本吸うか?」
そう言って之槌は、あろうことかソフトパックのタバコを青年に差し出した。
無論、ヒガサはそれを拒む。
「いや、俺まだ十七なんすけど!」
「ん? だからなんだ?」
首を傾げた之槌。
「え?」
同じくヒガサも首を傾げる。
「あ、そうか。タバコって二十歳になるまで吸えねぇのか。これは失礼。ま、そう硬くならず、楽にしてくれ」
「うっす!」
この男が課長?
この男が警察庁の一組織に所属している?
適当過ぎね?
そんな感情を抑えながら、ヒガサは改めてソファに座った。
「天若、お前は人を殺せるか?」
唐突な質問を投げた之槌は、今日何本目なのか分からない新しいタバコに火を点けた。
「な、なんすか急に」
「特脳捜査官としてやっていくには、人を殺す覚悟が必要だ。お前にその覚悟があるかを聞いている」
「それは、分からないっす。人殺したこと無いし」
「では質問を変えよう。人に殺される覚悟は、あるか?」
「それはある」
ヒガサは即答した。
それはアマトの勇姿が海馬に刻まれているからだ。
「あーでも、今はまだ殺されるわけにはいかないっすけど」
「なるほど。それは危険だな」
「え? 何がっすか?」
「特軍局にいる限り、人を殺さなければならない状況が必ず訪れる。それは捜査官として最大の分岐点だ。おそらく、お前はその分岐点で死ぬ」
之槌はタバコの残滓を灰皿に落として続ける。
「目の前の敵を殺さなければ自分が殺されるという状況だったら、お前は自分の死を受け入れる。そりゃそうだ、殺される覚悟ならできているからな」
「確かにそうかもしれないっすね。でも人を殺すのはよくないっす」
「そんなこと分かり切った話だ。如何なる理由があろうと、人の命を奪う権利は誰にも無い。だが我々は正義の名のもとに人殺しを許可されている。そしてそれを肯定し、国民を守ることが使命だ。独善だと言われればそれまでだがな」
タバコをひと吸い――ひと吐き。
「昔、100人の赤子に愛情を与えなかったらどうなるかって倫理ガン無視実験があったのを知ってるか?」
「愛情? なんすかそのフワッとした実験」
「バカみたいだろ? 実験では、赤子の世話をする時、目を見ること、微笑みかけること、話しかけること、スキンシップ、全てを禁じた。無論、ミルクはあげるし、排泄処理もする。結果、二年以内にほとんど全員が死亡したそうだ」
「えぇ!? 人間って飯食って寝てりゃ死なないんじゃないんっすか!?」
「どうやら愛情も食わないといけないらしいぞ」
「へぇ……でもその実験がなんなんっすか」
「どれだけ極悪非道な犯罪者でも、大人になるまで生きてこられたということは、誰かしらから愛情を受けてきているはずだ。しかし、子の過ちを上手く正せぬ親がいれば、そもそも正してくれる親がいない子もいる。そんな子供が大人になって犯した罪の責任を、本人だけが背負うのはおかしい」
再びタバコをひと吸い――ひと吐き。
「一緒に背負ってやるんだ。我々にできるのは、父母のように寛大な心で慈しみを持って殺し、それ以上過ちを繰り返させないことだ」
ヒガサは混乱していた。
確かに之槌の言う通り、罪を犯す人間の責任は本人だけにあるとは限らない。
様々なストレスを感じながら生きる人間だからこそ、周囲の環境がそうさせることだってザラにある。
かといって、それは仕方ないですねと人殺しを許容するわけにもいかない。
それを許してしまうと、復讐の道を否定することになるからだ。
しかし覚悟を決めて人を殺したとして、そんな自分には復讐を掲げる資格などあるのだろうか。
言葉が出ないヒガサを見かねた之槌は、
「まぁそう焦らなくてもいい。いずれ来る分岐点に備えておけという話だ」
「うっす……」
丁度之槌の忠告が終わったところで、コンコンっというノック音が聞こえた。
少なくともさっきの事務員ではないだろう。
扉を開けて入ってきたのは、やけに細長いアタッシュケースを持った黒髪の女。
「おぉ来た来た。お前も座れ」
歩き方、姿勢、所作、何もかもに女性らしい品のある美を感じる。
それでいて、スーツやネクタイを着用しているせいか、男らしくも見える。
アタッシュケースをソファ横に静かに置き、ヒガサに軽く会釈して対面に着席。
そして垂れた前髪を耳にかけて、
「之槌さん、こちらの方は?」
目の前の少年に手を添えた。
明らかな年下であっても、初対面の人間への礼儀を重んじるタイプの人らしい。
やはり美しく、無駄が無い。
「これからお前が面倒を見るヒヨコだ」
女とは、性格も性別も真逆の之槌はタバコの煙を口や鼻から漏らしながら答える。
「あぁ、あなたが例の。私は、
添えていた手を、そのままヒガサに差し出した村雨。
ヒガサは太もも部分のスラックスで手の平の水分を拭きとり、握手を交わす。
「て、天若ヒガサっす! よろしくおなしゃっす! こ、こんな美人なお姉さんに面倒見てもらえるなんて、光栄です!」
緊張のあまり、ベッタベタの油ギッシュなセリフを口走った。
「この仕事に容姿の良し悪しは何の意味も成しませんが、貴重なお言葉、ありがたく頂戴します」
大人の余裕を見せつけた村雨だったが、少しだけ片方の眉毛をピクつかせたように見えた。
まぁ気のせいだろう。
「ところで之槌さん。彼のクラスは?」
「あぁ、天若のクラスはまだ決まっていない」
「なんすか? クラスって」
何も聞かされていないヒガサが割って入る。
「何だお前、セツナから聞いていないのか? クラスってのは簡単に言えば強さの指標だ。強いクラスから順に、シグマ・アルファ・ベータ・カイ・デルタ・イプシロン」
「おぉ、かっけぇ……」
「クラスはシミュレーターと呼ばれる訓練システムを利用したランクマッチで変動する」
「これまたゲームみたいでかっけぇ……」
「丁度いい。村雨、今からシミュレーターの使い方を教えがてら、天若にアレと闘わせてやれ」
「アレですね。承知しました」
「設備やら貸与物やらの説明はその後で構わない」
斯くして、ヒガサはクラスというものにあまりピンときていなかったが、之槌の言うアレとやらに挑むことになった。
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