第6話   好奇の虜

 孤児院から戻り、三課を訪れたヒガサとセツナ。 

 三課では、白衣を見に纏った、ザ・理系という身なりの科学者が行き交っていた。

 すれ違う者の多くは、ヒガサの顔に刻まれた光る電紋に釘づけ。

 ただでさえ珍しい電紋が、謎の光を放とうものなら、科学者の探究心が掻き立てられるのも仕方あるまい。


 課長室の扉を開けるや否や、見ず知らずの女がヘビのように巻きつき、


「ん〜っ! 若くてあんまぁ〜いっ!」


 ヒガサの首から顔にかけて、レロレロと舐め回し始めた。

 ぶるっと体が震え、全身に鳥肌が立ってゆく。


 白い衣を羽織った、濃ゆい紫の長い髪の女。

 これでもかというほどの赤い口紅。

 歳はおそらく三十路ほど。

 とてつもなく美しいお姉様だ。

 しかし、男子高校生には刺激が強すぎる。


「あぁんっ! 舐めただけで分かるわぁぁあ! あなたがヒガサくんねぇええ! 写真で見た通りの電紋! でも無味なのね……」


 依然として、女はヒガサの顔や首元を犬のように舐め続けている。


「あ、あのー、なんすかこれ」


 乱暴に振りほどくわけにもいかないヒガサは、引きつった顔で解説を求めた。

 すると、セツナが頭をポリポリと掻きながら、


「あー、えっと、この変態は三課長の早乙女さおとめスズカ。事前に写真を送っておいてこれか……もういいから早乙女、離れてくれないかな」


 ため息混じりに呟いた。


「セツナ。ヒガサくんを連れてきたということは、そういうことじゃないの?」


「そうだけどそうじゃない。とにかく、早速仕事をしてくれないかな」


 気を取り直し、当初の目的である身体解析を行うこととなった。


 健康診断で馴染みのある物から、見たこともない仰々しい設備まで多岐にわたる。

 終始、早乙女が文字通り絡んできて、幾度と無くゾワッとする場面があったが、ヒガサは何とか乗り越えた。


 ひとしきり暴れた早乙女と、疲労困憊のヒガサ、呑気に飴をしゃぶっているセツナを交えて、諸々の説明が始まる。

 相変わらず少年を愛おしい目で見つめる早乙女が、


「さて、何から話そうかしら」


「あーだったら俺から聞いてもいいっすか?」


「もちろんいいわよ」


「あの時からずっと力が溢れ続けてる。元々人間にはこんな力があったってことっすか?」


「えぇ。その認識で合っているわ。でもそんな膨大な力は、人間の身体には負担が大きい。だから脳がリミッターを設けているのよ。ちなみに、そのリミッターを解除する方法は一つ、臨死体験よ」


「死に直面するってやつっすね」


「えぇそうよ。でもそれだけではダメで、死に直面してもなお諦めずに、生きたいという強い意志を保てるかが重要ね。ちなみに一般人の制限解除率は約10%~20%。解除率にはいくつか壁があって、今回ヒガサくんは40%の壁を越えた。解除率40%に到達することをリリースと言うわ」


「リリース……。そう言えばあの時、身体の制御ができなくなったってか、暴走したってか、あれはリリースの時に起こる現象?」


「いえ、それはランペイジと言って、リリースとは別物よ。ランペイジ状態になった人間は、一時的に解除率が底上げされて、生物としての本能がむき出しになるの。理性を失い、思考を放棄して、生き延びることを最優先した結果、視認した生き物を手あたり次第に殺そうとするの。ちなみに底上げされる力は人や状況によって様々よ」


 ヒガサはこの時、セツナが言っていた〝特殊なケース〟の意味を理解した。


「そっか。だからあの時、身体が言うことを聞かなくなったのか。やっぱ危ねぇな」


「でも安心して。そう簡単にランペイジ状態にはなれないわ。まだ完全には解明できていないのだけれど、少なくとも生死の瀬戸際に立つことがランペイジ状態になるための絶対条件なの」


 ここで素朴な疑問がヒガサの脳に浮かび上がる。


「ってことは、リリースと条件は同じってことっすか?」


「いい質問ね。でも似て非なるものよ。リリースはあくまでも意識的な話。命に別状が無い負傷だったり、そもそも負傷していなくても、当の本人が本気で死ぬかもって思っていればリリースできるの。逆に、いつ心臓が止まってもおかしくない状況なのに、本人がまだ死なないと高をくくっている場合はリリースできなかったりする。それに比べてランペイジは実際に心臓が止まるかどうかの物理的、現実的な臨死が鍵。死ぬのはもちろんダメだし、余裕があってもダメ。絶妙なさじ加減が重要なのよ。だからランペイジを経験できたのがまず凄いことなの! ねぇ! 教えて!?」


 徐々に早乙女の熱量が上がってゆく。


「ヒガサくん! ランペイジ状態になった時、あなたはどんな気分だったの!? 人は殺せそうだった!?」


 熱々に発情した早乙女は、遠慮というものを知らない。

 静かだったセツナがしびれを切らし、早乙女の肩に手を置いて、


「早乙女、そこまでにしてくれないかな」


「え、えぇ。分かったわ……」


 冷静さを取り戻すと同時に、露骨にテンションが下がった早乙女。


「とにかく、ランペイジ状態になったのは奇跡で、今後はそう簡単に起きることではないということよ」


「なるほど。そういえばあの時、ちょっとの間だけど、右半身の制御ができたんだ。それも個人差がある感じっすか?」


「そ、それはどういうことかしら!?」


 飛び起きるように早乙女は顔を上げた。


「あ、えーっと、ランペイジ状態?になって、初めは身体の制御ができなかったんだけど、途中で右半身だけ動かせるようになったんすよ。そのおかげで人を殺さずに済んだっつーか」


「は、はい!? なに!? どういうこと!?」


 再びテンションが高ぶってきた早乙女は、ヒガサの肩をガシッと掴んだ。


「いやだから、右半身が動かせたんで、勝手に動く左手を右手で押さえ込んだんすよ!」


「な、なな、ななななななんですことですのんそれはたんっと!?」


 興奮し過ぎな早乙女は、もう何を言ってるのか分からない。

 くわえて、ヒガサの肩を掴む力がどんどん強まってゆく。

 その力は女性とは思えない異常な握力、いや人間とは思えないの間違いか。

 鑑識が仕事の三課と言えど、特軍局の一部。

 どうやら彼女もニュークらしい。

 ここで再びセツナが、荒ぶる早乙女を落ち着かせて話を進める。


「ごめんなさい。また取り乱したわ。ヒガサくん、もう少し詳しく聞かせてちょうだい」




※※※※※※




 早乙女の要望通り、ヒガサは屋上で直撃雷を受けた後の感覚を説明した。

 自分の身に何が起きているのかを知りたいと思っているがゆえ、それはもう事細かに。

 そんなヒガサの体験を、終始身体をビクビクさせながら聞く早乙女は、ただひたすらに気持ち悪かった。

 この女、大人しかったらモテるの日本代表だ。


 ある程度落ち着きを取り戻した早乙女は、


「私、実は諦めてたの」


 神妙な面持ちで呟いた。

 もちろんヒガサには何を諦めたのかは分からない。

 しかし悔しさだけは伝わってくる。


「ヒガサくんは、ランペイジが怖いと思わない?」


 その質問の意図を、ヒガサはすぐに察した。


「見境なく人を殺そうとするわけだからそりゃ怖いっすよ。その力が仲間へ向いてしまったとなれば、なおさら」


「勘がいいのね。お察しの通り、これまで何度かランペイジによる事故が起きているわ」


 そう言った早乙女は、セツナと顔を見合わせた。

 どうやら何か訳アリのようだ。


「でもランペイジの研究は難航しているのが現状。そもそも事例が少ないし、体験しても記憶を失っているケースがほとんど」


「諦めたってのは、ランペイジの研究そのものをってことっすか?」


「いえ、それは続けているわ。諦めたのはランペイジのコントロール。もし、ランペイジを完全に操れればかなりの戦力になるからね」


 早乙女の言うことは、ランペイジ経験者であるヒガサだからこそ、猛烈に共感できた。

 セツナの殺人的な蹴りを受けた時、即座に受け身を取れたのは、ランペイジ状態だったからだ。

 それにセツナには通用しなかったが、ヒガサの経験値からは考えられないハイレベルな近接格闘術も扱えていた。

 諸々を鑑みると、単純に筋力が向上しただけでなく、身のこなしや戦闘スキルなどを含む、身体能力が全般的に練り上げられたと考えられる。

 そんな力を制御できて、かつそれが全員となれば、組織全体の戦力増強に直結するのは間違いない。


「今回、ヒガサくんはランペイジ状態の中、半身の制御ができた。そこにランペイジをコントロールする手かがりがある気がするの。だから私はもう一度頑張ってみる。解明してみせるわ。これ以上ランペイジによる事故を起こさせないためにも」


 ヒガサはてっきり、科学者や研究者という生き物は、自分の好奇心に従って行動するだけだと思い込んでいた。

 が、何かの役に立つためという根幹の目的を、早乙女は忘れていないらしい。


「そうだったんすね。俺にもできることがあれは協力するっす」


「えぇ、お願いね」


「あ、そういやこの顔の傷は治るんすか? 個人的には、カッコいいから残ってもいいけど」


 何気なく投げられたヒガサの呑気な質問に、早乙女は頭を抱え始め、


「あぁ……そうなの……そこなの…………」


 これまた様子がおかしくなってきた。

 いやずっと様子はおかしいのだが。


「その熱傷、電紋、雷。分からない。分からないの…………」


 頭皮から血が出ないか心配になるほど頭を搔きむしる早乙女。

 謎の光を放ち続けている電紋が、彼女の好奇心を激しく刺しているようだ。


「その光……。どうして……どうして光り続けているの…………」


 するとセツナがポンッと手を叩いて、


「そう言えば、ヒガサくんがランペイジ状態の時、今みたいな橙じゃなくて、紫に光ってたかな」


「橙……紫…………。分からないわ……」


 すると、唐突に立ち上がってヒガサに急接近した早乙女は、電紋に触れながらゴクリと生唾を飲み、


「お願い、解明できるまで、ひと時も私から離れないで…………」


 つぶらな瞳で懇願した。

 科学者界隈で乱用される落とし文句、なのだろうか。

 無論、セツナが黙っておらず、


「そんなの許可できるわけないでしょーが。相変わらず好奇心が過ぎるよ、君は」


 そりゃそうよね、と言わんばかりにため息を吐いた早乙女は自席に戻り、


「人間が最も尊重すべきは好奇心よ。好奇心があったからこそ文明は進歩してきたの。二人はブームスラングという毒ヘビを知っているかしら?」


 ヒガサとセツナは顔を見合わせ、双方首を傾げた。


「ブームスラングに噛まれた人間は、体中の穴という穴から血が吹き出し、死に至ると言われているわ。ある日、そのヘビに噛まれ、どんな症状が自分の身に起きるのかを死ぬまで日記に綴り続けた研究者がいるの。時間にして約24時間。死の直前、医者を呼ぶかと問われた時、その研究者はなんと言ったと思う?」


 早乙女の熱弁について行けないヒガサとセツナは、ただポカンと聞くしかなかった。

 そんな二人に歩幅を合わせる気など毛頭無い科学者は今一度立ち上がって、


「今の症状を台無しにされてなるものか! そう言って、最終的には手遅れになって死んだのよ! なんて美しい生き様なの!? 彼は自分の好奇心に生き、好奇心に殺されたのよ! 私はそんな生き方をしたいの!」


 大きく両手を広げて天を仰ぎ見た。

 よく分からないが、マッドサイエンティストってたぶんこんな感じだと思う。

 好奇心と言うか、探究心と言うか、この女の原動力の全てがそこにあるのだろう。

 しかし早乙女の言うこともバカにはできない。

 多くの科学者や研究者の、未知を解明したいという、純粋無垢な好奇心が科学を前に押し進めてきたのは事実だ。

 そんな子供のように真っ直ぐな心を、彼女も持っているのだろう。

 とはいえ、初対面の人間を許可無く唾液まみれにしていい理由にはならないが。


「早乙女、君の生き様は十分理解したから、話を戻してくれないかな」


「えぇ、分かったわ。ヒガサくん、見たところ今回残った電紋は軽度な熱傷だから、本来であれば自然治癒するはず。でもその光の原因が分かっていないから、治癒するか否か、回答できないのが現状よ」


「そっか。まぁ別に痛くないし、かっけぇからいいや」


「楽観的なのね。もしランペイジの時みたく光色が変わったり、何か違和感を感じた時は随時報告してくれるかしら――――」


 こうして、ヒガサは好奇心の塊との話を終えた。

 次に彼が向かうのは配属先である四課だ。

 セツナは一課の任務に出なければならないため、これ以上はヒガサに同行できないとのこと。

 彼にも自分の仕事があるのだ、仕方ない。

 別れ際、セツナは「復讐を掲げるのは構わないけど、それ以上に優先すべきことがあることを忘れてはいけないよ。そうすればきっと、君も一課に来れるかな」と言っていた。

 復讐よりも優先すべきこと、それはヒガサが誰よりも理解している。

 本人はそのつもりだった。

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