第5話   ケジメ

「特の……なんすか?」


 ヒガサは聞いたことのないワードの説明を求めた。


「僕たちは特脳軍情報局とくのうぐんじょうほうきょく、通称特軍局とくぐんきょくという警察庁の国家機密組織に所属する捜査官かな」


「なんか胡散臭ぇけどかっけえ!」


「胡散臭いって君ね……いや、確かに胡散臭いか普通に。でもマジなのよこれ!」


「まぁもう色々と信じられないことが起きてるから信じるっすけど、俺はそこで何を?」


「ん~、ざっくり言うと君の弟と同じく、人助けかな」


 人助け。

 その言葉はヒガサの記憶を刺激する。


「厳密には、ニュークの力を悪い方向に使う犯罪者を取り締まること。それが特脳捜査官の仕事かな」


「人助けか……」


「今の君なら分かると思うけど、脳の制限を解除して得た力は、使い方によっては人を殺せるし助けられる。どうせ使うなら、君も善い方向に使ってみないかな?」


 特脳捜査官とやらになれば終身刑を免れる。

 かつ、アマトと同じように人のために命を張れる。

 そして何より、復讐の機が訪れるかもしれない。

 なら進む道は一つ。


「いいね。人助け。俺の死に場所も見つかりそうだ」


「お、ということはつまり?」


「俺もなる。特脳捜査官に」


 ヒガサは迷うことなく決断した。

 もっとも、拒否すれば終身刑というのだ、そう難しい決断ではないが。


「どのみち、この力は一個人が身勝手に扱っていい代物じゃない。もしあの時みたいに暴走したら……」


「それは大丈夫! もしそんなことになったら僕たちが責任を持ってぶっ殺すかなっ!」


 満面の笑みにサムズアップ。

 セリフと振る舞いのギャップが強過ぎる。


 その後、話が進むのは早かった。

 本来であれば、特軍局へ入局する場合、その人物の過去は徹底的に調査され、あらゆる条件をクリアしたうえで声がかかり、かつ様々な適性試験をパスする必要があるらしい。

 しかしセツナの一声で、その全ての順序をすっ飛ばし、ヒガサの入局が許可された。

 彼は局の中でもかなり偉いらしい。


 また、一般人から特脳捜査官への素性の書き換えは楽だったという。

 それはヒガサが七年前から孤児院で暮らしているのが大きい。

 孤児院の卒園や高校の退学、バイトの退職、その他諸々。

〝新たな後見人が見つかり、引っ越す運びとなった〟というそれらしい理由で全て片付けられたのだ。

 ヒガサは、友人や世話になった人に別れの挨拶をしたいと打診したが、ほぼ許可されなかった。

 唯一、孤児院の院長のみ許されたため、身体が癒えた後にセツナが連れて行ってくれるとのこと。

 母親が殺されてからずっとヒガサの面倒を見てくれたのは紛うことなく院長。

 家族と言っても過言ではない存在だ。

 さすがに、家族との別れくらいは許されて当然だろう。


 特軍局は一課から四課に別れており、初めは誰しもが四課に配属となるという。

 もちろんヒガサも例に漏れない。

 四課では主に個人犯罪者の調査、及び逮捕を目的としている。

 ヒガサがボコした三人の男については、セツナが所属する一課で追っている組織の一員とのことだが、残念ながらまだ何も話してもらえなかった。

 とりあえず三人とも牢にぶちこんでおり、これから尋問するらしい。

 グズグズしていると、一課に先を越されてしまう。

 もちろん家族の仇が粛清されることに異論は無いが、本音を言うとヒガサはスッキリしないだろう。

 セツナ曰く、一課へ異動するためには四課でそれなりに実績を上げる必要があるとのこと。

 のんびりしてはいられないとヒガサは理解した。


 配属は決まったものの、本来入局前に実施される身体解析を受けていないため、後日三課にてそれを行うこととなった。

 三課の主な役割は鑑識だが、癖の強い科学者が多く、脳の不可思議の解明にも一役買っているらしい。


 何はともあれ、ヒガサは終身刑とは名ばかりの、研究所におけるモルモットになることは免れたのであった。




※※※※※




 数日後。

 外傷はもちろん、内蔵も雷撃により損傷していたが、ヒガサは無事に回復した。

 が、相変わらず、顔に刻まれた電紋は治っておらず、橙の光も放ち続けている。


 セツナから支給された立派なスーツを着用したヒガサ。

 防弾機能を兼ね備えており、非常に丈夫な仕上がり。

 スリーピースである理由は単純明快で、弾丸などの貫通を少しでも防げるようにと考案されたらしい。

 黒いネクタイの中央には青い縦線が一本。

 これは所属する課によって線の色が分けられているとのこと。

 四課は青、三課は赤、二課は黄、一課は白。


 孫にも衣装。

 中身はさておき、スーツ姿のヒガサはそこそこキマっている。

 彼ももう高校二年、成人間近であり、体格はその辺の大人と比べても何ら遜色ない。

 それに衣装を着せてしまえば多少なりとも貫禄が出てくるものだ。


 身なりも整えたところで、ヒガサは長年世話になった院長に挨拶をするために孤児院へと赴く。

 後見人が見つかったという話はすでに院長の耳に届いているとのことだが、直接会って話しておきたいのだ。

 予定通り、孤児院までセツナが直々に運転してくれるという。

 まぁ見張り役も兼ねているのだろう。


 今さらだが、特軍局の所在地は警視庁の地下であったことをヒガサは知った。

 それは自分自身が警視庁の地下駐車場から地上に出たことで気づいたのだ。

 一般公開されている警視庁の建物図では地下駐車場までしか記されていないが、実際はそのさらに地下深くに特軍局の本部が設置されている。

 なんだかんだで胡散臭い話ばかりだったが、この時ヒガサはようやく自分が国家機密組織に所属した実感がわいた。


 車中、ヒガサは何の気なしに問いかける。


「セツナさん。またこうやって帰ってきたりできるんすかね?」


「おや? もう帰ってこないから、最後に会いに行くのでは?」


 白々しい面で、セツナは質問に質問で返した。


「――――か~つまんね」


 と、ヒガサは吐き捨てた。

 窓から快晴の空を眺める彼の面持は、少し曇っていた。




※※※※※※




 院長が四六時中居座っている食堂に到着。


「ただいま。じいちゃん」


 白い髪を無造作に後ろで束ねた老人。

 顎からもみあげに繋がる白い髭。

 老いているとはいえ、身体の軸は極太。

 昔は軍人だったと言われれば納得するほどの頼もしい体格。

 今にもズレ落ちそうな老眼鏡で時代遅れな紙の新聞を読んでいる彼が、院長の海老野えびのキヨマサ。


「ずいぶん遅かったのぉ。坊主」


 意外にも海老野は落ち着いて迎え入れてくれた。

 ヒガサの顔に刻まれた電紋にも驚かない。


「うん。ちょっと色々あってさ……」


 老眼鏡をさらにズラした老人は、色気の無い上目遣いでセツナに視線を滑らせて、


「そちらさんは?」


「あぁこの人は――――」


 ヒガサが軽く紹介しようとしたところ、


「初めまして。東雲セツナと申します」


「水を差すわけにもいきませんので、私は外で待ちます」


 と、海老野に一礼したセツナは、


「時間は気にしなくていいからね」


 ヒガサに微笑み、食堂を後にする。

 いつもの能天気キャラから一変、スーツも相まってしっかり者の別人に見えた。


 海老野の隣に腰かけたヒガサは、


「じいちゃん。話はもう聞いてんだよね」


「おぉ、聞いとる。後見人が見つかったんじゃろ」


「あーうん……そう……」


 終始、歯切れの悪いヒガサ。

 特軍局の件は一般人である海老野に話せない。

 ただ別れの挨拶をするだけ。

 それなのに言葉を慎重に選ばなければならないのが妙なストレス。

 そうしてまごまごしているヒガサを見かねた海老野は、


あだ討ちか」


 核心の一言。

 ヒガサは分かりやすく狼狽える。


「わしゃ止めんど」


 さらに一言。


 海老野はずっとそうだった。

 七年前の一件から、復讐心に駆り立てられるヒガサを、肯定も否定もせず、ただひたすらに受け入れてくれた。

 そんな海老野からすれば、ヒガサの考えを汲み取ることなど造作も無い。

 特軍局という得体の知れない組織への入局、母親と弟の仇を討つ酷道こくどうへ踏み出したこと、海老野がどこまで気づいているのかは分からない。

 ただ、何かしら察しているのは間違いなさそうだ。


 依然として言葉を詰まらせるヒガサを置いて行くように、海老野は続ける。


「復讐は悪し、耐えるが良しと皆は言うじゃろ。じゃがそれは当事者ではない者が外からのたまう綺麗事に過ぎん。家族や親しい者が殺されたのなら、犯人を殺したいと思うのが人間じゃ」


 老人は新聞をテーブルに置き、煙管きせるの火皿に刻みタバコを詰め始めた。


「実際に復讐を果たし、止まっておった時が動き始めることじゃってある。じゃから、復讐が善か悪かなんざ答えの無いことは考えんで良い――――じゃがな、これだけは覚えちょれ」


 煙管の先端にマッチで着火してひと吸い。


「人の命を奪うことは如何なる理由があろうと悪じゃ」


 その忠告は、ヒガサの心にずっしりと重みを感じさせる。


「はぁ……分かってるよ。ったく、超能力者かっての」


 ヒガサは完全に白旗を上げた。

 というのも、彼は復讐のゴールが、人の命を奪うことである可能性を完全否定できなかったからだ。

 数日前、はらわたが煮えくり返るほど憎たらしい男三人を、ヒガサが殺しかけたが、それをヒガサは必死に阻止した。

 今はまだ、人を殺すことが悪であると思えているからだ。

 しかし母親や弟を殺すよう指示した元凶を前にして、その価値観を保ち続けられるかは断言できない。

 いや、むしろ殺してしまう気がするというのがヒガサの本音。


「でも俺、進むよ。やっと見えたんだ。七年間見えなかった道がやっと」


 張りぼてでもいい、背伸びをしてでも、ヒガサは海老野に安心してもらいたかった。

 理由は何であれ、今は人生の主軸を見つけたのだと分かってほしかった。


「そうか。もしこの先、進む道を違えても、悔い改める気持ちがあるなら、振り返って戻るんじゃぞ。進む道を見失うことがあろうが、我がで踏みしめてきた道なら見失わんじゃろ」


 おそらく海老野は、つまずいた時はここへ帰ってこいと言いたいのだろう。

 しかしヒガサの意志は固く、


「いや、もう戻らない」


 頑なに海老野の言葉を跳ねのけた。

 これは彼なりのケジメだ。


「じゃとすると、お前さんと会うのは今日が最後かもしれんな」


「――――うん。そのつもり」


 いつもは海老野がまき散らすタバコの煙は不快に思っていた。

 しかし今は、今だけは少しばかり、感慨深い薫り。


「じいちゃん――――今までありがとう」


 実のところヒガサは「気が向いたらまた帰ってくる」とだけ言って、さっぱりと別れの挨拶を終えようと考えていた。

 しかし、いざ海老野の顔を見、声を聞いた時、様々な記憶が蘇り「ありがとう」なんてこっぱずかしいセリフまでこぼして、ここにはもう二度と戻ってこないという意思も伝えてしまった。

 だが余計な心配をかけるくらいなら、これで良かったのかもしれない。

 この先、生きてこの場所に帰ってこれる保証など無い。

 復讐のために人を殺したとすれば、合わせる顔も無くなる。

 いっそのこと、金輪際帰ってこないと言っておけば、ヒガサが死のうが生きようが海老野には分からない。

 言わばシュレーディンガーの猫というやつだ。


 ヒガサの謝意に対して、海老野から返答は無い。

 ただ、指先で持つ煙管は妙に震えている。

 老いによるものか、或いは――。


 つもりではなかったものの、今言いたいことを伝えられたヒガサは、しんみりするのも嫌だったため、足早に食堂を出ようとした。


 すると、海老野が煙管を灰皿に叩きつけて、残滓ざんしを落としがてらカンッという音を食堂に響かせた。

 反射的に音の鳴る方へ振り向いた少年に、


「待っとるぞ」


 海老野が最後の言葉を贈った。

 不安や心配はもちろんあっただろう。

 しかし海老野の眼差しは、何かもっと先の未来を、未来のヒガサを見据えているようだった。

 そしてそんな未来の何かに信頼を置いているような。


 空っぽの両掌をグッと握り直したヒガサは、


「――――っ……」


 涙をこらえるのに必死で、言葉を絞り出せなかった。

 ここで泣いては格好がつかない。

 食堂を出るまでは、せめて海老野の視界から外れるまでは、胸を張り、背筋を伸ばし、自信に満ちた姿を見せておきたい。

 がしかし、眼球に押し寄せる波を抑えきれないと判断したヒガサは、こぼれ落ちる前にサッと振り返り、出口へ駆け出した。

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