第2話   脳内戦争

 狂気じみた少年と目が合った男は言い知れぬ恐怖を感じたが、構わず拳を押し出す。

 しかしその恐怖は無視すべきではなかった。


 迫りくる拳を容易に避けたヒガサは男の懐に潜り込み、左ストレートをみぞおちにめり込ませたのだ。

 あくまでもカウンター、相手の攻撃を避け、間髪入れずに繰り出す攻撃ゆえ、助走はほぼ無い。

 にもかかわらず、彼の放った一撃は凄まじく、大の大人が人形のように宙を舞うほどの威力であった。

 転落防止柵に受け止められた人形は気を失い、ぐったり。


 この時、ヒガサは自分の身体を制御できなくなっていた。

 自分の中にある別人格に、身体の制御権を奪われるという奇妙な感覚に陥っていたからだ。

 いや、別人格と言うより、影。

 陽の光に当てられてできた自分の影だ。

 解離性同一症かいりせいどういつしょう、いわゆる多重人格の症状に似ているが、彼は今まで今回のような経験をしたことが無い。

 また、多重人格は十歳以下で発祥するケースが大多数と言われているため、このタイミングで症状が出るとも考え難い。

 言うなれば、主人格であるヒガサと、副人格であるヒガサの、身体制御権を賭けた脳内戦争。

 そして今はヒガサに主導権を握られており、ヒガサは劣勢。


 残された二人の男は、


「え? なに?」


「なんだ!? なにが起きた!?」


 飛ばされた人形を見てあたふたしている。

 その隙を逃さなかったヒガサは、男のジャケットの内側に手を滑らせ、拳銃を奪取。

 そして瞬時に男の額に銃口を向けて引き金を引く。

 頭の具が飛散すると思われたが、


「ぐぉぉおあああああ! てめぇぇえ……!」


 弾丸は男の太ももを貫いていた。

 激痛に耐えかねた男は跪いて、太ももに開いた穴を必死に押さえている。

 豪雨で薄まり、淡い桃色になった血液が足元に広がってゆく。


 どうして男の頭へ向かっていたはずの銃口が、太ももに方向を変えたのか。

 それはヒガサ対ヒガサの脳内戦争に動きがあったからだ。

 終始、身体を制御できていなかったヒガサだが、発砲する寸前に右半身の制御権をヒガサから奪還したのだ。

 そして男の額をめがけて発砲しようとする左手を、なんとか右手で押さえつけた。

 結果、銃口が大きくズレたのである。


「くそっなんこれ!? 止まれ! 殺すのは違ぇ!」


 依然として、身勝手な左手を右手で抑制しようと試みるヒガサ。


「止まれ! 止まれよ俺の左手ぇぇえ!」


 周囲からすれば、うずく左手を封じんとする、中二病を患った重症患者にしか見えない。

 だが本人は至って本気。

 そして再び、中二病患者へ殺意が向けられる。


「貴様ぁぁああ!」


 仲間が足を撃たれたことに過剰な反応を見せたもう一人の男が即座に拳銃を構えたのだ。

 しかしヒガサの瞬発力は人知を遥かに超える速度。

 一瞬にして、男が構えた銃を左足で蹴り上げて脅威を取り除いた。

 そしてすかさず、銃を手放して怯んだ男の額に銃口を向ける。

 が、すぐにそれを右手で押さえ込む。

 内臓に響くほどの銃声が鳴り渡るも、銃弾は男の耳をかすめて荒れた空へ消えてゆく。

 発砲を諦めた左半身は拳銃をポイッと投げ捨て、今度は男の膝に高速のキックを繰り出した。

 これは抑えようがなく、


「う゛ぐぅぁぁああああ!」


 クリティカルヒット。

 男の膝は、絶対に曲がってはならない方向にポッキリ。

 負担を和らげるために、折れた片足を上げるその姿はさながらフラミンゴ。

 その後、痛みに耐えかねてジェンガのように崩れ落ちるフラミンゴのあごに、非情な左足がダメ押しの膝蹴り。

 これもまともに食らった男は頭をグワンとひるがえし、キャスケットを飛ばしながら仰向けに倒れた。


 残るは太ももから大量の鮮血を垂れ流して跪く男。


「分かった! 悪かった! でも俺は本当はこんなことしたくなかったんだ! 許してくれ!」


 宿題をしてこなかった中学生の言い訳くらい薄っぺらく滑稽な命乞いを披露。

 すると左手が、グーパーグーパー手の平を開閉した後、握り拳をブンブンと回し、宙に円を描き始めた。

 どうやらヒガサが操る左半身は、男を殴りたくて仕方ないようだ。

 しかしそれはヒガサも同じ。

 拳銃でなければ死ぬことはないだろう。

 そう考えたヒガサは、男の処遇をヒガサに委ねることにした。

 ヒガサもヒガサの意思を察したようで、左手を力一杯振りかぶり、


「待て待て待て待て――――」


 男の鼻に会心の一撃。

 無論、男は数メートル飛ばされ、気絶。

 右手に拒まれなかったためか、左手がずいぶん生き生きしている。


 しかしここで、ヒガサの脳内で巻き起こるヒガサとの身体制御権を賭けた闘いに転機が訪れる。

 電紋からは橙が消え、紫一色に染まったと同時に、再び右半身の制御権をヒガサに奪われたのだ。

 こうなっては左手を右手で押さえ込むことは当然、全身の抑制ができない。

 とは言え、敵は三人とも無力化したのだ、暴れる理由などあるまい。

 と、呑気なヒガサは少しホッとしていた。

 だが事態はそんな単純な話ではない。

 次にヒガサの眼光と電紋が照らすのは、腰を抜かした、か弱き少女。

 そう、ヒガサには敵や味方という概念が存在しないのだ。


 着実に少女の元へ歩みを進めるヒガサ


「ね、ねぇ!」


 少女の声は届かない。


「ねぇってば!」


 届く気配が無い。

 厳密に言うと、ヒガサの意識には彼女の声が届いている。

 だがしかし身体の制御が効かない今は、その声に応えられないのだ。

 ヒガサを殴って制御権を奪還する、なんて簡単な話ではなく、意識下での争奪戦ゆえ、何をどうすれば良いのかさっぱり分からない。

 先ほど、右半身の制御権を奪還したのもただのまぐれ。


 そうこうしている内に、少女の目の前まで歩み寄ったヒガサは、微塵の躊躇いも無く右手を振り上げる。

 が、その時、


「なーにやってんのぉぉお!」


 何者かの叫び声が聞こえたと同時に、ヒガサの右横腹に強烈な衝撃が走る。

 その威力は常軌を逸しており、車に跳ねられたかのような重い一撃。

 相当なダメージを食らったものの、ヒガサはクルンと身体を回転させて上手く受け身を取った。

 これはヒガサゆえの身体能力である。

 ヒガサが身体を制御していたのなら今頃無様に倒れていたことだろう。

 そしてすぐさま振り返り、脅威の正体を確かめる。

 少女の前には、


「ったく、女の子に手を出すDV男なんてモテないよ?」


 暴風にもかかわらず、傘をさして雨を凌いでいるイケメンが立っていた。

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