アンロック・セル -脳10%神話-

BB

第一章

第1話   解除

 2035年、冬、東京。

 最悪天候。

 微塵の遠慮もなく降り注ぐ豪雨の中、ピカっと光っては、ゴゴゴッという鈍い音がしばしば轟いている。

 雷は、光ってから音が聞こえるまでの時間でおおよその距離が割り出せるが、それで言うとかなり近い。

 かろうじて車は走っているが、歩道を歩いている馬鹿はせいぜい一人。


「いやぁ、もう、なんかもう、ここまで濡れると、気持ちいいです。うん。超気持ちいい」


 空模様とは異なり、能天気に傘も差さず走ろうともしない男子高校生。

 もはや開き直っている黒髪の彼は、天若てんじゃくヒガサ。

 普段から鍛えているため、体格はそれなりに良く、顔は上の下といったところ。

 まぁ、悪くはない。


 これほど天候が荒れるのは、何十年、下手すれば何百年ぶりだとテレビで騒がれていたほどだった。

 担任教師から早く下校するよう再三忠告を受けていたにもかかわらず、たかが雨だと調子をこいて友人と教室でダラダラ過ごした結果がこれ。

 しし食った報いとは正にこのことだ。


 しばらくすると、ヒガサは後ろから近づく〝ピシャッピシャッ〟というハイテンポな足音に気づく。

 音が聞こえ始めてすぐ、勢い良く背中に柔らかい何かがムニュッと貼りつき、ヒガサは前のめりに体勢を崩しかけた。

 が、陸上部で培った強靭な足腰と体幹で、難無く持ち堪える。

 何事かと首を後ろに捻ると、ずぶ濡れの少女が抱きついているではないか。


「だ、だれ!?」


 身に纏う制服から察するに、他校の生徒のようだ。

 少女は顔を上げて、


「助けて……」


 ズルい上目遣いで訴えかけてくる。

 大抵の男はこれでハートを射抜かれるだろう。

 もちろんヒガサも。


「か、かわ、じゃなくて! 助ける!? 何から!?」

 

 もっともな疑問。


「もう……死にたい……」


 と、矛盾をこぼした少女は、再びヒガサの背に顔をうずめ、ギュッと腕の力を強めた。

 そんな彼女を見るヒガサの視線の先、曲がり角から男が飛び出し、


「いたぞ! こっちだ!」


 声を荒げてこちらに走ってくる。

 コートを羽織り、キャスケットをかぶったその身なりは、日本ではあまり見かけないコーディネート。

 理由はさておき、少女が何から逃げているのかをヒガサは理解した。

 助けてって言ったり死にたいって言ったり、情緒ヤバいだろこの女!なんて無粋なツッコミはせず、ヒガサは自分に巻きつく少女の手を優しく解き、躊躇うことなくお姫様抱っこして走り出す。

 少女は唐突な胸キュンシチュに恥じらい、


「ひゃっ!」

 

 愛くるしい声を漏らした。

 互いが雨に濡れているせいか、服と服が、肌と肌が、吸いつくように密着している。

 内心興奮しながらも平静を装うヒガサは、足の回転率を上げながら、


「よく分かんねえけど、とりあえずあいつらを撒けばいいんだな?」


 自分の腕の中で顔を赤らめる少女に問う。

 コクリと頷いた少女は、目頭を手でひとこすり。


 追手は三人、男。

 とはいえヒガサは陸上部で短距離と長距離、両方が得意分野。

 少女一人くらいの重りならなんとかなる。

 いや、なんとかする。


 一歩一歩力強く前を向いて走る青年を仰ぎ見た少女は、素朴な疑問をぶつける。


「どうして何も聞かないの?」


「そりゃあ可愛い女の子の頼みを断るわけにはいかないっしょ! それにあんたの目は、本気で死にたいって思ってるやつのそれじゃないし!」


 優しくもたくましい目でヒガサは言い切った。

 と思いきや、


「あ、もしかして本気で死にたかった!? 今俺余計なことしてる!?」


 自信があるのか無いのか分からん男であった。


「ううん。そんなことないっ」


 と少女は首を横に振った。

 どこか抜けていて、それでいて頼もしい、そんなヒガサの純粋さが心地良かったらしく、少女の表情がほころぶ。


 行き当たりばったりで逃げ続ける中で少女は、


「あっち!」


 と言っては、


「やっぱりこっち!」


 と言ったり、


「こっちもダメ……次はあっち!」


 指差す方向が二転三転。

 何か考えがあるのだと信じて、ヒガサは足に徹した。

 が、結局、


「やっべ! 行き止まりじゃん!」

 

 狭い路地裏に迷い込み、進む道が見当たらない。

 彼女の言うことを当てにするべきではなかったと、ヒガサが後悔しかけた時、


「そこ! 登って!」


 次の指示が出された。

 少女が指差したのは、ビルの外側に設けられた非常階段?のようなもの。

 簡単に侵入できないよう二階部分から設置されており、登るのは容易ではない。

 しかし後がないため、ヒガサは彼女の指示に従う。


「ちょっと揺れるけど我慢しろよ!」


 そう言ったヒガサはお姫様抱っこしていた少女をクルンとひっくり返し、足を前へ、頭を後ろにして担ぎ上げた。

 反動でひるがえりかけたスカートを、少女が慌てて抑える。


 少し後ずさって助走距離を作ったヒガサは、驚異的な脚力で地面を蹴り、忍者の如く壁を二、三歩走って階段の手すりの支柱を掴むことに成功。

 片手ながらもグッと手繰り寄せ、無事に登ったが、


「つーかこれ屋上まで行くの!?」


 めちゃくちゃしんどいし、逃げ場無くなるんじゃね?状態にヒガサが焦り始めた。


「大丈夫! 急いで!」


 担ぎ上げられた少女がヒガサの背中をペチペチと叩いて急かす。


「うぉぉおおお! いつものトレーニングに比べればこれくらいい!」


 言われるがままにヒガサは上り続けた。

 段数にして概ね200段。

 終盤は気合い以外のなんでもない。


 ヘトヘトになりながらも屋上に到達したヒガサは、少女を肩から降ろした。

 追手はそこそこ体格の良い大人、持久力ならヒガサに部があるはずだ。

 と思えたが、三人ともすぐに追いつき、


「やっと追い詰めたぞ。ちょこまか逃げやがって」


 息を切らすどころか安定した発声ができるほどの余裕があった。


「はぁ……はぁ…………マジかよ……」


 ヒガサは膝に手をついて息を整えながら呟いた。

 ちなみに負けず嫌いな彼は、追い詰められた事よりも、男らがバテていない事に悔しがっている。

 少女は怯え、ヒガサの後ろにササッと退避。


 息が整ってきたヒガサは、自分の足元から男の顔へ視線を移し、気づく。

 

「ちょっと待てよ。あんたら…………」


 脳裏に焦げるほど焼きついた凄惨な記憶が蘇り、身体が震え出す。

 これは恐れからくるものではない。

 運命的な再会を果たした嬉しさからくる歓喜の震えである。


「七年前、俺の家を襲ったのを覚えてるか……?」


 震えた声で、確認する。


「はぁ? 七年前? そんなの覚えてるわけねぇだろ。何だこのガキ。お前ら知ってるか?」


 前の男が後ろ二人に問いかけた。

 すると、片方の男が、


「七年前っつったらあれじゃないっすか? ボスの親父さんが、あの……」


「ん? あぁ! 思い出したぞ! 天若だ! お前あの時取り逃がした一匹か!?」


 一応、覚えてはいた。

 覚えていないよりは幾分かマシかもしれない。

 しかし態度と言い、口ぶりと言い、ヒガサの堪忍袋の緒をノコギリでガリガリと削ってゆくかのよう。


「おいおいこんなことあるのか!? 俺らはお前を逃がしちまったせいで今もこんなくだらねぇ仕事をさせられてんだ! もしあの時お前を殺せてりゃ……俺らは今頃ボスに認められて…………」


 反省の色は無色透明。

 くわえて、聞いてもいないタラレバの話。


「こんなの運命以外の何物でもないだろ! こいつの首持って帰ったらちょっとは出世できんじゃねぇか! なぁお前ら!」


 大の大人が三人とも、高らかに笑って勝手に盛り上がっている。

 しかしヒガサはその三人を上回る勢いで、


「かっははははっ! そっかあ! これが無情かぁああ!」


 腹を抱えた。

 彼の堪忍袋の緒は完全に断ち切られていたのだ。

 人間は怒りを通り越した時、呆れると言われている。

 しかし今のヒガサは、呆れをも超えた状態。

 それが無情。

 相手を同じ人間とは認識できなくなり、一切の情が湧かなくなるのだ。

 ずいぶんハイになっているようだが、彼なりの無情。

 さすがに男たちも少年の異常さに引いている。


 ひとしきり笑い飛ばしたヒガサは、濡れた髪を掻き上げ、


「ふぅ。もうどうでもいいや。とりあえず全員ぶち食らわす」


 右手で胸をドンッドンッと叩いたヒガサはファティングポーズをとった。

 彼はここぞという時、この癖が出る。

 心臓の音を感じ、己を鼓舞するためだ。


「ほう。何か知らんが度胸だけは認めてやるよガキ」


 男は指をポキポキと鳴らしながら前進。

 少女は邪魔にならぬよう、さらに後ずさる。


 一対三。

 子供対大人。

 ちなみにヒガサは格闘技の経験など一切無く、中学時代に何度かショボい喧嘩をしたくらい。

 ただ、正義感と自信は誰にも負けないだけ。


 斯くして、ヒガサにとって圧倒的に不利な闘いの火蓋が切って落とされようとした刹那。

 鋭利な閃光が空を切り裂き、瞬く間に全員の視界を白一色に染め上げた。

 皆の思考と時間が停止したのも束の間、凄まじい轟音が鼓膜を揺らし、脳を揺らし、骨をも揺らす。

 大気に蓄積された負電荷が、大地の正電荷を目掛けて放電する大自然の神秘。

 運命と言うべきか、必然と言うべきか。

 何の因果か、様々な歯車が寸分違わず噛み合い、美しく青白いいかづちがヒガサの脳天に直撃したのである。


 直撃雷を受けた場合の生存確率は約20%、ほとんどが死に至る。

 しかしそんな低い確率をこの正念場で引き当てる豪運の持ち主が天若ヒガサという男。

 天を仰ぎ、白眼をむき、口から煙を上らせながらも、彼は倒れなかった。

 そしていつしか、彼の額から首元にかけてシダの葉のような紋様が浮き上がっている。

 これは雷に打たれた際、皮膚の表面を電流が枝分かれしながら走ってゆくことで刻まれる、電紋でんもんという熱傷である。

 その痛々しい傷は、だいだい色の強い光を放っている。

 雷撃は神経を伝って体中に染み渡り、鼓動はいつになく激しい。

 総身に張り巡らされた管を通る緋色の液は、まるで意志を持ったかのように活発化し、みるみるうちに体温が上昇してゆく。

 頭頂部から爪先に至るまで、全ての身体機能に力が漲っているのが分かる。

 溢れ出し、使い切ることができないほどの力量。

 年収が億を遥かに超える大企業の社長が、お茶を一本買う時の金銭感覚に似ている。

 金を、力を、使っているのか自分でも分からない程度の微々たる消費。

 元あった貯蓄の膨大さゆえの感覚の歪み。


 落雷というイレギュラーが全員の意識を掻っ攫った時間は約五秒。

 時間にしてみれば短いものだが、目の当たりにした者たちからすれば途方もなく長いものである。


「お前ら! 突っ立ってねえでやるぞ!」


 ようやくと言っていいのか分からないが、初めに正気を取り戻したのはリーダー格の男。

 後ろに控える二人はその声を聞き、我に帰った。


 雷に打たれた人間がそう簡単に動けるはずがない、と安易に考えた男は、一歩踏み出して拳を引き込んだ。

 男の殺意がヒガサに向けられた瞬間、顔に刻まれた電紋が橙から紫に変色。

 同時に、血走った眼球がギロリと動き、黒眼が姿を現す。

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