第一章・聖女

宿屋にて目覚める

 レイヴンはベットの上で目が覚める。


 窓から日差しが降りており、外では人々の会話が聞こえる。

 子供たちのご機嫌なはしゃぎ声と共に、犬や猫の鳴き声が聞こえてくる。


 平和そのものだ。

 魔王城での激戦が夢のようだ――レイヴンはそう思う。


 レイヴンはゆっくりベットから起きる。節々に痛みが走るが、耐えられないほどではない。

 念のために腕を握ったりするが、魔力の高まりを感じない。


 自分は助かったのか……。

 そう安堵した瞬間である。


 ギュルルルルルーーーーーーーー。

 レイヴンの腹が大きくなる。


 あまりの音の大きさに、レイヴンは少し恥ずかしくなって、誰かに聞かれていないと、周囲を見渡す。

 人が見つからない代わりに、テーブルに、美味しそうなスープと、スープにつけるための麦パンを発見した。

 それは、誰かと一緒に食べるためかのように、二つ置かれていた。


 レイヴンはスープの匂いにつられて、何時の間にか席に付いていた。

 ニンニクの薬味とコンソメが混ざり合い、お腹に刺激的な香りを運んでくる。

 スープの中には彩り豊かな野菜が浮かんでおり、目も楽しませてくれる。スープの中には肉も入っている。

 もはや、レイヴンに「食べてくれ」と言わんばかりの誘惑が凝縮されている。


 レイヴンは辛抱溜まらずそのスープに飛びついた。


 スプーンを使って口に運ぶと、ニンニクや肉の旨味が広がると共に、少しピリッとした辛さを感じる。

 そして、パンを千切って食べると、麦の香りが口いっぱいに広がり、さらに食欲を掻き立てる。

 小麦の優しい甘みが、スープとよく合うのだ。


 レイヴンは夢中で食べ進めた。

 気が付くと、皿にあった食べ物はすっかりなくなっていた。

 さらに、もう一つのスープも飲み干していた。


 レイヴンは満腹感を覚え、体を伸ばした。

 お腹が満たされると、冷静になって状況を理解しようとした。


「まず、ここはどこだ?」


 レイヴンは部屋を見廻した。

 家具としては、簡単なテーブルとベットが二つ。あとは椅子が二つあるだけであり、広くない。

 生活するのには必要最低限のものが置いてあるだけだ。


 そこから察するに――ここは宿屋だ。


 レイヴンは、椅子から立ち上がり、ベッドに座り直して、頭の中で状況を整理する。


(まず、私は勇者との戦いに敗れた。その後、ナイトシェイドによって不明な場所に転送された。そして今、宿屋の一室で目が覚めた)


 恐らく転送時に気絶してしまい、意識を失ったレイヴンを、宿屋に運んできた人物がいるのだろう。

 レイヴンはそう推測する。


 レイヴンは魔族の中では比較的人間に近い外見だ。

 頭の角は大きくなく、髪の毛に隠れている。

 尖った耳もフードに隠れている。

 人間社会に馴染み、人間として見られる為には十分だ。


 目立つところといえば、服装は黒服でかつ、金文字でルーン文字が施されており、手足には魔力を高めるための幾何学の入れ墨がほどされていることくらいか。

 だが、これも「高名な魔法使い」と言い張れる範疇のものだ。


 レイヴンはさらに、その人物像を考える。

 人間が倒れこんでいると思って運んできた、気の良い人間がいると考えられる。

 魔王軍と人間軍が戦っている時に、そんな気のいい人間といえば、聖職についているようなタイプの人間だろう。

 例えば――。


「起きましたか?魔族さん」


 そこには、シスター服を着た少女が立っていた。

 そうだ。こんなご時世に、人を助けるようなお人よしは聖職者くらしかいないだろう。


 レイヴンの推理はだいたい当たっていたわけである。

 違ったのは、既に魔族だとバレていることくらいか。


 年の頃は十八歳くらいだろうか。

 首には十字架のネックレスが光っている。

 髪は金髪であり、紺色のシスター服と合わせて、まるで麦の稲穂のように輝いている。

 そして、手足はすらっとしていて、人形を思わせる。

 目は空のように深いブルーで、聖職者たる落ち着きを感じさせる。

 シスターの少女は、レイヴンの姿を見て、安堵の表情を浮かべる。

 しかし、テーブルの上のスープが、自分の分まで食べられているのを見て、呆れた顔をした。


「困った魔族さんです」


 しかし、魔族――しかも四天王――を助けるのは、底なしのお人好しとしか言いようがない。

 さすが聖職者といったところか。

 シスターの少女はレイヴンの浮かない顔をして、忘れたことを思い出したようにハッとして、自己紹介を始める。


「遅れました。私、聖女のアリスと言います。大聖女になるために、各地を旅しており、修行しています。旅の途中で貴方が倒れているのを見かけまして、助けたのです」


 レイヴンは、それを聞いて納得した。

 確かにアリスという少女は聖なるオーラを纏っているのがわかる。

 才能もあるのだろう。


「私は、レイヴンだ。もうバレているなら隠す必要はないだろう。魔族にして四天王だ。助けてくれて感謝する。しかし、私は行かなければならない」


 そう言うと、レイヴンは貴族として、そして四天王として、極めて落ち着いた礼を行った後に、その場所を後にしようとする。

 しかし、アリスはレイヴンの服を引っ張って制止する。


「ちょっと待ってください」


 レイヴンは、アリスの細腕から出ているとは思えないほど強い力に驚きながら振り返る。

 レイヴンは、アリスを振り払おうとするが、上手く力が出ないことに気が付く。


「レイヴンさん、それを付けて出るのは自殺行為ですよ」


 それとはなんだ、とレイヴンは腕を見る。

 すると、レイヴンの腕には、豪華な修飾と、複雑な呪文が刻まれた腕輪がはめられているのに気が付いた。


「あなたなら、それがどのような魔道具か、わかりますよね」


 レイヴンは顔に手を当てて、天を仰ぐ。

 それは、魔族にとって一番の天敵である『封魔と使役の腕輪』だった。

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