撤収
「そうでしたか……。」
フィエゴが全てを語り終わる時、
モータは納得したように
満足そうな表情をしていた。
モータはフィエゴが家に来た時、
エジンと特別な思い出はないと言っていたが、
今にして思えば、
それは不安から出た答えだった。
あの釣り大会のことも、
モータはちゃんと覚えていた。
だが、そんなことが
エジンとの一番の思い出だと
胸を張って言うことができなかったのだ。
考えてみて欲しい。
自分の知っている人間が、
先祖から受け継いだ呪いのせいで
記憶が次々と失われていて、
なのに魚釣りの大会のことだけは
鮮明に覚えているなんて、
誰が想像できるだろうか。
「もうすぐ、この場所に馬車が来ます。
ここの装置を片付けたら
俺達はこの港を出ていくので、
依頼料をもらっていいですか。」
もうすっかり装置の熱も冷めて、
視界の端の方には馬車に乗る
エステリアの姿が見えた。
モータは懐から財布を取り出すと、
思い出したように
頭に疑問符を浮かべた。
「すいませんフィエゴさん。
依頼料っていくらでしたっけ?」
フィエゴはうっかりしていた。
まだ、モータに今回の依頼料が
いくらなのか言っていなかった。
フィエゴはポケットから
メモ用紙を探すと、
雑に書かれた文字を目で追った。
「オリジナル大玉が一発と、
通常大玉が12発、
通常中玉が10発なので、
合計で20万ネトです。」
ネト、というのはカスタ王国の通貨で、
日本円に換算すると1ネトが1円に相当する。
今回の依頼の内訳は、
オリジナル大玉が一発で3万ネト、
通常大玉が一発あたり1万ネトで12万ネト、
中玉は一発あたり5千ネトで5万ネトだ。
元いた世界の相場とはかなり違うが、
材料費や必要経費、手間賃を考えれば
この金額でも利益を得ることができる。
大儲けこそできないが、
フィエゴの目的はお金ではないのだから、
生活できる程度の利益が出ればそれでいい。
けれど、フィエゴの花火は
決して安いワケではない。
「すいません…。今は手持ちがないので、
一旦家に戻っていいですか…?」
財布の中を確認したモータは、
申し訳なさそうに言った。
どうやら、手元にあるお金だけでは
足りなかったようだ。
支払いは急ぐワケでもないので、
フィエゴは笑顔で了承した。
「兄様、お待たせ致しました。」
「ありがとうエスティ。」
お金の話が終わると、
ちょうどエステリアが到着した。
予定では、装置を馬車に乗せたら
そのまま帰るつもりだったが、
モータの手持ちがないということで、
一旦モータの家に寄ることにした。
装置は丈夫で重いので、
漁師であるモータに手伝ってもらい、
いつもより楽に片付けを終えた。
フィエゴが手綱を握って
モータの家までやってくると、
モータは急いで玄関の扉を開けて
家の中に入っていった。
お金を持ってくるだけなので、
そう時間はかからないだろうと
フィエゴは外で待っていたのだが、
モータは一向に戻ってこない。
エステリアと顔を見合わせて
何かあったのかと心配したが、
もう少しだけ待った後で
モータは息を切らして戻ってきた。
何をやっていたのか、
モータの顔や手が
黒く汚れてしまっている。
「フィエゴさん、エステリアさん。
今回はどうもありがとうございました。
おかげで、心置き無くエジンを
見送ることができました。
これはほんの些細なお礼です。」
モータが持っていたのは、
お金が入った袋と
一枚の紙切れだった。
エステリアが袋を受け取って
金額を確認している間に、
フィエゴは紙切れを受け取った。
それは、この港に来てから
何度も目にしていた物だった。
「ありがとうございます。
額に入れて大切にします。」
紙切れに描かれていたのは、
真っ黒な魚であった。
魚の種類は分からないが、
フィエゴはその魚を見たことがあった。
朝焼けの空に飛び跳ねた、
真っ黒な一匹の魚。
フィエゴが打ち上げた花火と
全く同じ魚の魚拓が、
その紙切れに描かれていた。
実在している魚ではないので、
見よう見まねで
モータが筆で描いたのだろう。
ただ、その魚は今この瞬間にも
紙切れから飛び出して
空へ泳いでいきそうだった。
「20万ネト、確かに受け取りました。」
エステリアがお金を確認し終える。
もうここに留まる理由はない。
フィエゴは魚拓を大事にしまうと、
しっかりと手綱を握った。
「では、俺達はこれで帰ります。
また必要になった時は、
シエロノーテ領にいる俺の所に
フクロウでも飛ばしてください。
今後も、フィエゴ・シエロノーテをご贔屓に。」
馬がパカパカと歩き始めると、
馬車の車輪がグルグル回る。
徐々にモータの家から離れ、
海の匂いが遠くなっていく。
帰っていくフィエゴ達の背中を、
モータはずっと見つめていた。
『黒い魚編』終わり
異世界花火師フィエゴ 青篝 @Aokagari
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