魚拓
朝の海から吹く潮風は、
涼しくて心地が良い。
フィエゴが風を浴びながら
装置の熱が下がるのを待っている間に、
モータが崖の上にやってきた。
「どうでしたか?俺の花火は。」
フィエゴがそう問いかけるが、
モータはすぐには答えない。
特に急かす理由もないので、
フィエゴは辛抱強く待った。
心の整理をしているのだろう。
きっと、エジンに言いたいことは
他にもたくさんあって、
あれだけ叫んだところで
足りなかったのだ。
それをフィエゴに言っても
何の意味もないことを分かっていて、
それでも伝えたいことがあって。
だから、言葉を考えては飲み込み、
飲み込んでは考えている。
「…フィエゴさん。」
やっと出したモータの声は、
枯れていて聞き取りにくい。
だが、海から吹く風が
モータの声がフィエゴの耳に
届くのを手伝ってくれる。
「どうして、魚だったんですか…?」
結果から見れば、
フィエゴが打ち上げた魚を見て
エジンとモータは言葉を吐き出した。
吐き出すことができた。
フィエゴの花火がなければ、
今頃エジンとモータは
お互いに言いたかったことを言えずに
悶々と後悔していただろう。
少なからず、モータはフィエゴに
感謝をしているが、
なぜ花火の形が魚だったのか、
聞かずにはいられなかった。
「…エジンさんから聞いたんです。
モータさんとの一番の思い出は、
この港で行われた魚釣りの大会で
二人で優勝したことだと。
今でもずっと、その時の感動を
忘れずに覚えているのだと。」
宿屋の前でエジンに会った時に、
エジンは自分の身の上話と
モータのことを語ってくれた。
エジンの母親の名前は、
ハドル・セレボーロ。
セレボーロの血を引くハドルと
エジンは小さな時から記憶力がなく、
毎日の日記を書くことで
記憶の維持をしていたそうだ。
今となってはハドルの
顔も声も思い出せないようだが、
母親から受け継いだ筆跡だけは
今でも使えるらしい。
モータと初めて会った時、
パーサート領に来た理由は
両親が不慮の事故で死んだからと言ったが、
本当は、ハドルが精神的に
壊れてしまったことをきっかけに、
家族でバラバラに暮らすしか
選択肢がなかったからだった。
エジンはパーサート領の
孤児院に引き取られ、
当時そこに遊びに来ていた
モータと出会ったのだ。
その時の記憶も、
日記の中にしか残っていないが。
「大切な思い出さえ
失ってしまう感覚って、
どれだけ怖いんでしょうね。」
モータと仲良くなったエジンは、
自分が引いている血のことは
何一つ言わずにいた。
言ってしまえば、
嫌われてしまう気がしたから。
そして、エジンが17歳の時に参加した
パーサート領での魚釣りの大会。
エジンに魚釣りの経験は皆無だったが、
あの時、モータから誘われたことが
とても嬉しかったらしい。
二人で朝から夜まで特訓して、
迎えた大会当日の夕暮れ。
その日最も大きな魚を釣ったのは、
エジンとモータのチームだった。
肩を抱き合って喜び、
初めての感動に涙を零した。
釣った魚に二人で魚拓用のインクをかけて、
立派な魚拓を仕上げた。
貴重な写真も撮ってもらい、
大切な思い出となった。
人は生きていく中で
様々な経験をするが、
エジンにとってその時のことは
他の何にも負けない思い出だ。
忘れないように日記にも残したが、
あれから10年以上が過ぎた今でも、
エジンの脳裏にはいつも
モータの笑顔と魚拓が浮かんでいた。
もちろん、モータにとっても
その時のことは思い出深いことだった。
だから、フィエゴが打ち上げた
魚を目にした時、
自然と言葉が溢れてきたのだ。
「釣りのコツは忘れてしまったようですけどね。」
パーサート領を離れて、
カスタ王国を離れて、
中央大陸を離れて、
西大陸に渡ると決めてから、
エジンはモータへの
今までの感謝の証として、
自分の力で釣り上げた魚の
魚拓を贈ろうとしていた。
だが、道具や仕掛けの使い方は
忘れてしまっていて、
途方に暮れていた。
宿屋の前でフィエゴと3度目に会った時も、
どうにか魚拓が作れる程の
大きさの魚を釣ろうと
頑張っていたのだが、
結局何も釣ることができなかった。
だから、フィエゴが話を聞いてくれて、
しかも代わりに魚拓を作ってくれると
言ってくれた時は嬉しかった。
その時にフィエゴは詳細を
話してくれなかったが、
エジンの期待以上の
魚拓をフィエゴは作ってくれていた。
魚拓の知識さえないフィエゴだったが、
エジンの話を聞いてから
すぐに宿屋の店主に
フィエゴが借りていたのは、
参考用の魚拓だったのだ。
魚の種類は分からない。
完成した魚拓だって、
フィエゴがイメージで作っただけの
この世に存在しない魚だ。
けれど、それが良かった。
モータとエジンにとって、
魚の種類なんてどうでもいいのだから。
二人を繋いでいたのは、
二人で作った魚拓そのものなのだから。
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