黒い魚
エジン・セレボーロ。
エジンが名乗った
セレボーロという家名に、
フィエゴは聞き覚えがあった。
フィエゴがこの世界に転生して、
世界のことやカスタ王国のことを
色々と調べていた時に
目にしたことがあったからだ。
セレボーロ家はかつて、
カスタ王国建国の際に
王の側近の貴族として
地位を与えられた一族だった。
初代当主のミーラ・セレボーロは
高い知性と冷静な心を持っており、
参謀として大いに活躍した。
ミーラの血を引く者はみな、
ミーラから引き継いだ知性で
カスタ王国を支えていたのだが、
ある時、四代目の当主である
レーキブ・セレボーロが突如として
原因不明の奇病を患ったことで、
セレボーロ家は地位を失った。
その奇病は記憶力を低下させ、
人間としての知性を弱くするというもので、
参謀の役目を果たせなくなったレーキブは
早々に息子に当主の座を譲った。
だが、ただそれだけのことであれば、
これまでの功績もあって
セレボーロ家全体の地位が
奪われることはなかっただろう。
問題だったのは、その奇病が
伝染してしまうことであった。
レーキブの血を引く者はもちろん、
レーキブの親戚にあたる者はほとんど
同じ奇病を患うことになった。
いや、奇病というより呪いだ。
セレボーロ家だけが持つ呪い。
セレボーロ家の五代目当主になった
ランフ・セレボーロも例外ではなく、
まだ15歳という若さでありながら
記憶力がほとんどなくなっていた。
そして、当時セレボーロ家を
心良く思っていなかった貴族が
裏で結託したことによって、
レーキブとランフは
反逆者の烙印を押されて処刑され、
セレボーロ家は辺境に追放された。
たった一つの病によって
地位も名誉も何もかも失い、
いつしかセレボーロという名前は
人々の記憶から消えていった。
……と、フィエゴは文献で知った。
平和を掲げるカスタ王国で
そのような歴史があることは、
ものすごい衝撃であった。
そして、エジンはセレボーロ家の
血を引く数少ない人間だった。
まさかこんなところで
セレボーロの名前を
聞くことになるとは思わなかったが、
エジンが中央大陸から
去ってしまう前で良かった。
セレボーロの歴史は変えられないが、
目の前にいるエジンだけは
救ってあげられるのだから。
「よし、まだ太陽は昇ってないな。」
エジンが出発する明け方。
まだ夜が残っているのを感じながら、
船の様子が見下ろせる
小高い崖の上から
フィエゴは見守っていた。
花火を打ち上げるには
夜が一番いいのだが、
エジンが出発する時間を
わざわざ変えてもらうわけにはいかない。
エジンがいつ出発するのかを
事前にモータに聞いておいて良かった。
たとえ空が暗くなくても、
花火は綺麗に咲けるのだ。
「じゃあな、エジン。元気で暮らせよ。」
「お前もなぁ。
アクルさんを困らせるなよなぁ。」
別れる前の最後の挨拶を
エジンとモータは交わす。
決して永遠の別れではないが、
二人にとってこの別れは
とても重要なことであった。
だが、大切な時間だというのに、
いや、大切な時間だからなのか、
お互いにうまく言葉が出てこない。
今話さなければ、
きっと後になって後悔するだろうと
頭では理解していても、
何を伝えればいいのか分からない。
そして、結局ほとんど話せないままに、
船の出航の時間がきてしまう。
出航を知らせる笛が鳴ると、
エジンは荷物を抱えて
船へと乗っていった。
年に数回しかない、
中央大陸から西大陸へと渡る船。
主な役割は貨物の運搬であるが、
こうしてついでに
人を乗せることもあった。
「……。」
船に乗るエジンの背中を、
モータはじっと見つめている。
その去り行く背中に
何と言葉を投げるべきなのか、
モータは未だに分からない。
そして、再び笛が鳴ると、
船に乗る足場を片付けて、
船は少しずつ陸から離れていく。
そのタイミングを見計らって、
モータの後ろにいたエステリアが、
雷属性の魔力の塊を打ち上げて
崖の上にいるフィエゴに合図を送る。
それを見逃さずに確認して、
フィエゴは魔力を手に集める。
「さぁ、お披露目だっ!」
装置を繋ぐ回路に、
フィエゴが炎属性の魔力を流す。
回路が徐々に熱を帯びて
全体に広がっていき、
装置の底に熱が届くと
中に入れた花火玉に火がつく。
そして、小さな爆発と共に
花火玉が空へと打ち上がる。
赤い光を引きずりながら
花火は空高くへと飛んでいき、
僅かに明るい空に
大きな真っ赤の菊の花を咲かせる。
空と地上を赤に染めて、
次第に消えてしまう。
しかし、花火は一発では終わらない。
先陣を切った菊が
舞台を整えてくれたのだ。
後に続く花火が地味がワケがない。
今回用意したのは菊と牡丹の
二種類だけだが、色合いや大きさ、
打ち上げる順番の工夫次第で
飽きなどやってこさせない。
最後に打ち上げる花火こそ、
モータとエジンの二人に
目に焼き付けて欲しいのだから。
フィエゴの位置からは
モータとエジンは見えないが、
きっと見ているはずだ。
太陽が水平線の向こうから
昇ってきたその瞬間に、
フィエゴは隔離しておいた
装置に魔力を流した。
「これが、二人の思い出だ!」
ドンっ……と鈍い音が響くと、
仕掛けに掛かった魚のように
左右に大きく揺れながら、
真っ黒な塊が空へと飛んでいく。
やがて、途中で一度爆発する。
掛かった魚が釣り上げられたように、
それは空の上で暴れ狂う。
そして、もう一度爆発した。
明るくなりつつある空の上。
そこに現れたのは、
真っ黒で立派な魚だった。
他の人が見ていたら、
あれは一体なんだと思うだろう。
しかし、依頼主とその友人には
それが何なのかすぐに分かった。
港と海からの叫び声が、
フィエゴの耳にまで聞こえてくる。
「モータぁ!おいら、忘れない!
お前と一緒に釣ったあの魚のこと!
他のことは全部忘れたとしても!
あの魚とお前のことだけは、
絶対に忘れない!」
あれだけ田舎臭かった喋り方に
違和感を覚えなくなったのは、
きっと彼の声に慣れたからだろう。
真っ直ぐ、モータの心に沁みてくる。
「俺も忘れないぞ!エジン!
またいつか、一緒に釣りに行こう!」
二人の男は声が枯れるまで叫び合い、
花火が儚く消えるように、
エジンが乗った船は
水平線の向こうに消えていった。
すっかり太陽も顔を出して、
エジンの行く末を
見守ってくれているようだった。
モータは船が見えなくなっても、
しばらくの間は海を見つめていた。
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