第110話 前夜




 結婚式の準備自体は数日前に完了していたものの、当日までの時間は長いようで短いようで、何かやり忘れはないか、他にできることはないのかと考え続けるような日々だった。ラートの車輪でコロコロと世界樹の周りを転がりながらも、頭の中では不安がチラついていたりした。


 そしてそれはメノさんも同様だったようで、結婚式の前日には二人で最終確認を何度も繰り返し行うこととなった。もちろん、住民全員とも食事の場で話したりしていたし、メノさんは転移魔法を使い、他の七仙のもとに出向いて話もしていたようだ。


 順風満帆に進んでいたかと思われたが、今宵、新たな問題が発生してしまった。

 時刻は深夜の零時すぎ。二人並んでベッドに横になってから、数分後のことである。


「……アキト」


「んー? まだ気になるところがある?」


「……寝れそうにない」


「それは事件だな」


 メノさんがいるほうに顔を向けると、彼女は枕に頭を乗せた状態でこちらを向き、ギラギラとした瞳で俺をジッと見ていた。


 一日徹夜したぐらいで目にクマはできたりしないだろうけど、できることなら万全の状態で臨んだほうがいいだろう。あとになって、後悔はしたくないだろうし。


 しかし、世界最高峰である七仙のメノさんでも、結婚式の前日には緊張で寝られなくなってしまうというのは、なんというか親近感のわく話である。可愛い。


 俺はここ最近、考え事をしながらもルプルさんや葵たちと遊びまわることが多かったからなぁ。わりとすぐに眠られそうだ。緊張していないというわけではないけれど、身体に心地よい疲労感があるし。


 どうしたもんかと頭を悩ませていると、メノさんが勢いよく上半身を起こした。そしてこちらを見下ろして、俺の袖をくいくいと引っ張ってくる。


「……ワイン飲む」


「それは……いやまぁ、いい案ではあるのか……?」


「……アキトも付き合って。一人で飲むのは寂しい」


「いいよ。俺も案外、眠れなかったかもしれないし」


 お酒で激しく酔っ払うことはないとはいえ、ぽかぽかと体が温まり気分が少し上がることはたしかだ。少し飲むぐらいなら、いい感じに入眠できるようになるかもしれない。


 メノさんと二人で寝室を出て、リビングに向かう。

 キッチンでグラスとワインの入ったボトルを用意して、それをテーブルに置いてからソファに腰を下ろした。


「じゃあ早く眠れますように――と」


「……うん、乾杯」


「乾杯」


 夜中なのであまり大きい声を出さないように、静かにグラスをくっつけた。

 薄いオレンジ色のワインをしばし眺めて、香りを楽しみ、口に含む。


 母さんが言っていたように、お酒は熟成が進んでいるのか、どんどん美味しくなっている気がする。これじゃあ満足のいくワインってものを作るのは、確かに難しそうだ。俺はお酒に詳しいわけじゃないから、これが世間一般からどのような評価を得られるものなのかはよくわかっていないけれど、少なくとも俺の舌は喜んでいる。


 隣を見てみると、すでにワインを飲み干して二杯目を注いでいるメノさんがいた。


「大丈夫かぁ? あんまり飲み過ぎるなよ?」


「……まだ二杯目」


「まぁそうなんだけど。それでおしまいにしておこうな」


「……仕方がない」


 やや不服そうではあるが、俺がワインボトルを取り上げても抵抗する様子はなかった。今度はしっかりと味わいながら飲むつもりらしい。



 それから十分ほど、だらだらとメノさんとここ最近の話をした。

 最近作ったあれは良かった。誰と誰が最近仲良くなってきている。毎日が楽しい。


 そんな感じの、他愛のない話だ。感情の上下は少ないような内容だけど、それはそれで落ち着くというか、リラックスという言葉がすごく合っているような雰囲気になった。


 すなわち寝ようとしている俺たちにとっては、とても適切な状態である。


「……眠れそう」


「お、それはよかった。寝室に行くか?」


「……少しフラフラする、こけたら危ない」


「肩を貸せばいいの?」


「……運んで」


 メノさんはそう言って、正面から俺の首に手を回し抱き着いてくる。

 ここで『メノさんってレベルが高いから、たとえこけてもまったく危なくないよな?』なんて正論パンチをしてはいけない。


 転んだ拍子に眼球に魔鉱石製の釘が突き刺さるなんて自体を想定すればたしかに危なそうではあるけれど、以前メノさんと空を飛んでいた時、彼女は俺に『頭から落下してもちょっと痛いぐらい』なんてことを言っていたんだよな。怪我はしそうにない。


 とまぁうだうだと考えてみたけれど、


「はいはい、しっかりしがみついてろよ」


「……大丈夫」


 メノさんの返事を聞いてから、俺はソファから立ち上がって寝室に向かった。グラスたちは放置。メノさんは俺に腕だけでぶら下がっているような状態で、足はブラブラと宙を漂っている。地球にいたころの体ならかなり苦しい状況だろうが、何も問題はない。せいぜい彼女の胸がふにょんとぶつかるせいで色々考えてしまうぐらいだ。


「お酒を飲むと甘えるようになるよなぁ、メノさんって。甘えるために飲んだりすることあるの?」


「……気のせい」


 どうやらメノさんは、ここで『そう』と答えるほどには酔っていないらしい。俺はこんなことを聞いてしまうぐらいには酔っているけど。


 二十五歳と七百歳だ。はたして、第三者がみたら俺とメノさんのどちらが年上に見えるのだろう。ここまで差が開いてしまったら、逆にわからないかもしれないな。


 メノさんの背に手を回して支えながら階段を上り、寝室にたどり着く。

 彼女を先に寝かせてから、俺もその隣に横になった。


 うん、お酒を飲む前よりも、ずっとぐっすり眠れそうな気がする。時間としては一時間ほどだったけれど、楽しい時間だったな。


「おやすみ、メノ」


 恥ずかしい気持ちはあったけれど、彼女が起きているのか起きていないのかわからなかったから、これを期に呼び捨てで呼んでみた。いまなら顔の赤みもお酒のせいにすることができる。


 聞こえていたとしても、寝ぼけてくれたらいいなぁなんてことを思っていたが、メノさんはパチリと大きく瞼を持ち上げた。


「……目が覚めた、もう一回言って」


 タイミングを、間違えてしまったかもしれない。




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