第90話 おはよう




「……おはよう」


「その顔は何も覚えていないって顔だな」


「……私、何してた?」


「盛大に酔っ払ってたよ。今度からお酒は二杯までにしておこうな? それまでは、比較的まともだったし、会話も成り立ってから」


「……記憶がないのは残念」


 はたして残念だろうか。忘れていたほうが幸せだと俺は思うけど。


 メノさんは三分の一ぐらいしか開いていない目をこすってから、何のためらいもなく俺の頬に口づけをしてきた。寝ぼけているのかもしれない。

 まだ目覚めて一分も経っていないから、仕方がないか。


 現在、朝の六時。


 昨日と言っていいのかわからないが、ともかく、俺たちは深夜の一時までお酒を飲んでいた。もし俺の家で飲んでいたとしたら、グースカと寝ている葵や母さんたちに気を遣ってもう少し早めに寝ていただろうけど、そういうストッパーが無かった。


 ストッパーというと、直近の予定がないのも原因の一つと言えるだろう。毎日が日曜日である状態なのだから、夜更かしになんの罪悪感もない。


 強いて言うのであれば、寝坊して朝食の場に出席できなかったらどうしようという不安ぐらいか。しかしそのストッパーさえも、準備を手伝えない申し訳なさより、結婚報告をした次の日に二人そろって遅刻するという、『昨夜はお楽しみでしたね』と言われてしまいそうな事態を回避したいという思いのほうが強い。その羞恥心が唯一のストッパーだったかもしれない。


 ただ、こうして俺たちは二人とも起きた。というか、俺は十杯ほど飲んだけど、そこまで酔わなかった。本当に気持ちがいい程度で済んだ感じだった。


 おかげさまで、昨日のあれやこれやを全て覚えてしまっているという状況なのだけど。


「とりあえずさ、ボタンを留めてズボンを履こう」


 メノさんは横向きになって、俺を見ている。そして俺は、枕に頭を乗せて天井を見ていた。いま、メノさんの方向を見ることはできないのである。


「……な、何をしたの? も、もしかして……」


「何もしてないから! それ全部、メノさんの仕業だからな!?」


 俺はメノさんから視線を逸らすように体を横に向けて叫んだ。

 メノさんが今着ているもの、パンツとパジャマの上着だけである。


 しかもその唯一の見られても平気なパジャマですら、前面のボタンは全開。上の下着を付けていない彼女は、喉元からおへそに至るまでをさらけ出している状態なのだ。幸い、今は布団で隠れているけれど。昨日は本当に大変だった。


「脱衣癖というかなんというか……メノさん、俺がボタンを閉めてもどんどん開けていくんだよ。なんとか締め切ったと思ったら今度はズボンを脱ぎだすし、ズボンを拾いに行ったらもうボタン全部外してたし」


 最後はもう諦めた。このままイタチごっこをしていたら、たぶん寝れないと思ったのだ。幸い、メノさんはパンツを脱がなかったし、パジャマの上もボタンを外すだけでとどまった。その状態で腕に抱き着かれ、俺もよく眠ることができたなぁと朝目覚めた瞬間は感動を覚えたものである。


「……アキトのえっち」


 メノさんはそう言って布団にもぐると、もぞもぞと動きはじめる。それから布団の中に入ったままベッドの下に手を伸ばし、落ちたズボンを回収した。


 パジャマを本来の姿で身に着けたメノさんが、にょきっと俺の隣から顔を出す。


「……私が酔っ払っているのをいいことに、アキトが脱がした」


「そうだったらいいのにっていう願望でしょうが。まぁたしかに、メノさんの記憶に残らないのなら何やっても良かったんだよな……」


「……! や、やっぱり何かした?」


「冗談だよ」


「……すれば良かったのに」


「だから無防備すぎるんだよ!」


 朝からそんな風にいちゃいちゃしていました。少なくとも三十分ぐらいは二人ともベッドから降りずにお互いをからかいあって楽しんでいました。


 その後いつものように朝の挨拶周りをしたのだけど、そこにはメノさんも一緒に付いてきて、普段とは少し違う朝になったのだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 さてさて、そんな浮足立った日常を送りつつも、俺はこの島に来た本当の理由を忘れているわけではない。アルディア様に対し『頼まれたら、嫌気がさしてしまいそうで怖いんですよ。だから、俺は自分の意思で彼女たちを助けたいです(キリッ)』なんて言っておいて、恋に夢中になっていたりしたら目も当てられない。


 そんなわけで、俺は午前中にリケットさん、ロロさん、ディグさん、フロンさんという四人を集め、聞き取り調査をすることにした。


 神様から頼まれている『生贄少女』はリケットさん一人ではあるが、ロロさんは世間的に死亡し、ディグさんとフロンさんもヒカリの魔法によって怪我を治療できたとはいえ、この島から出ることができないということは変わりない。


「どうやったらもう少し住み心地が良くなるか――ですか? これ以上となると、なかなか難しいですね。現状でとてつもない満足度ですから」


「アキトさんの気持ちはとても嬉しいのですが、もうすでに住み心地が良いというのが本音ですね」


 リケットさんとロロさんの二人は、困ったような表情でそう言った。


 ちなみに、ディグさんは俺からの仕事の依頼をさっそくこなしてくれており、今日の挨拶のタイミングで俺にこそっとその話をしてくれた。二人のパートナーについてのことである。


 結果としては空振り――というか、俺が考えるような答えではなかった。


 てっきり『そういうことにも興味はある』『いずれは結婚したい』なんて答えが返ってくることを予想していたのだけど、二人の回答は揃って『興味なし』。


 まぁ彼女たちも、元の生活から急激に変化が起きたから、その辺りまでまだ気が回らないのだと思う。余裕がないと言っていいかもしれない。


 例え彼女たちの心持ちが変化してもしなくても、ある程度男子の流入は考えておいたほうがいいだろうな。


「俺はそうだなぁ、シズルの姉御が酒も造ってくれてるし、強いて言えば酒の種類を増やしてほしい――けど、それもいまやっている最中だから、何もないと言えば何もないな」


「食べ物も美味しいし、食材も調味料も日に日に増えてるでしょ? 最近じゃヒスイちゃんたちが石鹸やシャンプーの良い香りのものも作ってくれてるし、困ることがないということが困るぐらいかしら」


 ディグさんとフロンさんも、これといって要望はないらしい。目安箱に投書が無い時点である程度察していたが、やっぱりそうだよなぁ。


「問題が問題にならないみたいな感じか」


「そうそう」


 メノさんの頭脳という知識に加え、今では図書館が設置されており、大抵の調べ物はそこでなんとかなる。知識も技術も、非常に高い水準の島なのだ。


「……ふむ」


 彼女たちのためのことだから、彼女たちに聞いた方がいいと思ったけど、案外そうじゃないのかもしれないなぁ。


 逆に、葵や母さんたちに聞いた方がいいかもしれない。異世界水準ではなく、日本水準の住みやすさを考えたほうが、もっといい形になるのではないだろうか。



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